ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「むかし女がいた」(大庭みな子著;新潮社)を読む

2023-02-16 18:17:57 | 読む

図書館の新潟県関係の書を集めたところに、この本があった。

著者名は、聞いたことがあった。

大庭みな子氏。

小説家だと知ってはいたが、作品を読んだことがなかった。

新潟高等女学校(現新潟県立新潟中央高校)を卒業したので、新潟県関係の本のコーナーにあったのだ。

この方が亡くなってから久しいはずだと思いながら、本の題名が気になった。

「むかし女がいた」

 

表紙の装丁が、よく見てみるとローマ字のアルファベットにすべて裸婦の絵が入っている。

そんな本を手に取って見るのは少々気がひけたが、中のページをペラペラとめくってみた。

すると、構成は短い章からなっていて、28章あった。

その28章すべてが、「むかし女がいた」という書き出しで始まっていた。

その奇抜さ(?)にひかれて、その本を借りてきた。

 

読んでみると、28章すべてにわたって、いろいろな女性の生き様が綴られてあった。

最初の方では、出てくる女性一人一人が、たしかに「むかしの女」であった。

戦前や戦中を生きた女性も出てくる

生き方としてみると、結婚することが当たり前で、それが女性の幸せにつながると信じられていた時代を生きた女性もいる。

それゆえに不幸な思いをした女性もいる。

戦後から遠くなるにつれて、女性の生き方は自由になったように見えたが、一人では生きにくい時代が続きはした。

それでも、愚かな男性をパートナーにしながら自由奔放に生きた女性もいる。

 

あとがきの部分には、

…(略)逝った人たちの話、今生きている人たちの話、とりとめのない話をしているうちに、どういうわけか昔めぐり逢った人たちが遠いところから次つぎにやって来て、話し始めるのを、そのまま書きとめたのが「むかし女がいた」である。

と、書いてあった。

 

もう少しだけ作者の大庭みな子氏について知りたくなって、ウイキペディアなどを開いてみた。

そこには、「フェミニズムに関心が高く」と書いてあった。

フェミニズムについては、ググって見ると、

フェミニズムとは、性差別をなくし、性差別による不当な扱いや不利益を解消しようとする思想や運動のことである。 フェミニズムはその歴史から女性権利向上・女性尊重の運動だと捉えられがちだが、男性嫌悪や女性だけを支持するものではなく、男女両方の平等な権利を訴える運動である。

とあった。

 

なるほどなあ。

それぞれに生きた女性の話を拾いながら広げて書いていったというわけだ。

確かに、女性を尊重しながら書いていることが、28の章から伝わってきた。

 

最終章の最後には、詩の表現で綴られている文章が印象的だった。

(略)

何が何だかわからない

生きれば 生きるほど

わからないことが

どんどん多くなる

全て世はこともなし

 

何もわからずあの世へ行く人は

いつまでも老いなかった人

 

人は一度生まれたら

決して死ぬことはない

誰かが あなたを憶えている

憶えているあなたを 

またべつの誰かが 憶えている

 

だから あなたは決して死なない

それに 鳥や花に生まれ替るとしても

人に生まれ替るより不幸だということもない

星になっても 石になっても

水になっても 火になっても

同じこと

誰かが あなたをみつめている

 

人は一度生まれたら

決して消えてなくなることはない

 

この世のすべてのありようは

むかし生まれて逝った人たちの織る

模様 かたときも休まず

少しずつ 変る だが 変らない

不思議な 模様

 

この文章に出合って、なんだか気持ちが救われる気がした。

救われるのは、「むかし女がいた」に登場した、なにげない一人一人の女性の存在だけではない。

ここには男女関係なく、私たち一人一人が生きたこと、生きてきたことも無駄ではないと思わせてくれるものがある。

ともすれば、自分の人生は何だったのか、と思いがちな人にも大きな力を与えてくれているように思えたのであった。

コメント
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