ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「史上最強の教え子」Rさんとの再会

2015-08-10 22:42:55 | 「育」業
夕方になっても、30℃を超える暑さが続く。
運動公園で10km余りを走り終えると、体じゅうが汗でびっしょりだった。
公園の水飲み場で顔を洗い、手足に水をかけ、一息ついていた時だった。
物陰から、2歳くらいのかわいい女の子を連れた男性が歩いてきたが、私を見て、驚いたように叫んだ。
「………先生!?」
固有名詞で私を呼んだ。
その男性の顔を見ると、眼鏡をかけていて丸顔に近い顔。
「どこかで見たような―。」と思って、じっくり顔を眺め出したら、その眼鏡顔の下から、思い当たる懐かしい顔が、浮かび上がってきた。
その瞬間、その男性は、自ら名乗った。
「H……R……です。」
「おお、やっぱり。Rさんかあ。びっくりしたよ。」
「ぼくもびっくりしました。今月の下旬に2人目が生まれるので、妻と共に里帰りしているんです。」
思いもよらぬ再会に、互いの言葉はさらに続いた。
「たしか、奥さんは高校の同級生だったよね。だから、市内の出身なんだ。」
「はい。そうです。いやあ、先生にはお会いしたいと思っていました。」
「今は、あなたも、東京で小学校の先生をがんばっているのでしょ。今年は、何年生の担任?」
「今、6年生の担任です。その上、学年主任です。」
「そうかあ。でも、あなたは、子どもの頃から周りの人たちの心をつかむのがうまかったから、大丈夫だよ。」
そう言いながら、心は、20数年前の小学校時代の忘れられない思い出がよみがえってきた。

彼は、私にとって「史上最強の教え子」だった。
級友の信頼も厚く、いつも周囲の子どもたちを笑わせたり、遊びの中心となったりしていた彼だった。
しかし、2つ年上の兄と違って、彼は、スーパーマンではなかった。
テストの出来は、中の上と言ってもよいくらい。スポーツは好きだったが、目立った実績がない。
水泳では、がむしゃらに泳ぐクロールはそんなに速くなかった。練習の結果、飛び込みだけはうまくなったが。
ミニ・バスケットボールでは、シュートもドリブルもそんなにうまくはなかった。リバウンドだけは、背が高くないがオレが取る、というファイトにあふれていたが。
不器用さはあるが、いつでも明るく仲間を思い、堂々としていた彼だった。
そんな彼が「史上最強」だったというのは、相手が教師だろうと年上だろうと、いざという時には、正しいと思った自分の思いをしっかりと主張し、行動していたからである。
担任である私に対しても、それは変わらなかった。

ある日の体育の時間に、こんなことがあった。
彼の好きなミニバスケットボールで、強さが同じくらいになるように、担任の私が男女混合で5人ずつのチーム編成を決め、試合を行った。
ところが、彼のチームは、連敗した。
情けない負けっぷりに、彼は、体育館で私に対し、大声で叫んだ。
「なぜ、オレのチームをこんなに弱い奴らと一緒にしたんだ。こんなチーム編成では勝てる訳ないじゃないか。お前は担任のくせに、なんでこんなにひどいチーム編成にしたんだ!!?」
私は、応えて言った。
「うるさい。何を言ってるんだ。お前なら、このチームでも強くできると思って、組んだんだ。それなのに、何だ、弱音を吐くだけか。お前なら、しっかり作戦を立てて、しっかりリーダーシップをとって、チームのみんなを生かしてがんばってくれると期待していたんだ。それが、何だ。作戦なんか一つも立てられないで、負けると仲間のせいにする。見損なったよ。お前に期待した俺が馬鹿だった。」
「なんだ。担任のくせにいい気になって、好きなことばかり言いやがって。いいわい。わかった。見てろ、次の試合。絶対勝ってやるからな。お前のその担任ヅラ、鼻を明かしてやるからな、覚えてろ。」
体育館は、私とRの言い合いに、他の子どもたちの動きは止まっていた。
同じく体育をしていた隣の学級の先生や子どもたちまでが、息を止めて心配そうに私たちを見つめていた。

翌日、教室に行ってみると、Rは気まずい様子も見せず、笑顔で私を呼び止めた。
「先生、今日は、作戦7つ考えてきた。今日の試合が楽しみだ。」
にこにこしながら話す彼に、昨日の言い争いは何だったのだろうと思えるほどであった。
屈託のない彼の笑顔に、まだ昨日の気まずさを引きずっている自分の方が人間的に小さいな、教師のくせに、と私は自分を恥じた。
やがて午後になり、体育の時間、今日の対戦相手はそれまで結構勝っているチームだった。
彼が立ててきた作戦の指揮の下、チームメートたちもがんばった。
もともと周囲の子に対して気遣いのできるRなのに、昨日はあんな言葉をRに吐かせてしまった、という申し訳なさが、チームメートたちにはあったのである。
Rのチームには、一人一人が自分のやるべきことを懸命にやり、一体感があった。
試合は、Rたちのチームが完勝。
ついに、上位の相手に初勝利をあげた。
「どうだ、先生。やったぜ、オレたち。」
「ああ。やったなあ。さすがRだぜ。」
そう私も賛辞を贈ったのであった。

私は、自分の思いをもって生きている存在が大好きである。
それが子どもであろうと、そういう人は、尊敬に値すると思っている。
子どもであっても、間違いなく彼はそういう存在であった。
私に反感を抱くことがあっても、実際に刃向うように対立してくるような子どもは、他にいなかった。
だから、彼こそは、私にとって「史上最強の子ども」なのだ。
そして、その生き様もしっかりしている。

その後、高校は地元の進学校に進んだ彼だったが、大学に進むには他の人より3年も多くかかった。
そして、その後教師を志望し、東京都で適応指導教室の指導員の先生を行ったり、臨時教員をしたりしながら、実に長い時間を要したのであった。
ようやく待望の教員になったのは、通常の人よりも何年も後のことと言えた。
そのようにして東京都の正式教員になった彼であったが、今は信頼されて最高学年6年生の担任、しかも学年主任だ。
そして、今はこうして1児の、もうすぐ2児の父。
大人になってからも、ここまで相変わらず器用ではないが、実に誠実で着実に人生を歩んでいる。

この仕事をしていて、私が最もうれしいのは、かつての少年少女が現在しっかり地に足をつけて生きていることである。
この日、またその成長を見ることができた。
「今日は、うれしかったです。」
と言って、彼は、握手の手を差し伸べてきた。
「今、手は走ったばかりで汗だらけだから。」
と言って、ちゅうちょする私に、
「かまいません。」と言って、汗に濡れる私の手を握ってきた。
私もそれに応えた。
握手した後、「互いにがんばろう」と私は言って、こぶしを握り、彼のこぶしとぶつけ合った。

どんどん定年に近づいていく私。
跡継ぎ、という訳ではないが、彼なら子どもたちのためにしっかり体を張ってがんばってくれることだろう。
がんばってほしい。
私も、自分のできる範囲で、がんばるからね。

しっかりした社会人として生きている彼。
同じ仕事を選んでくれた彼。
頼もしいなあ。

家に向けて再び走り始めた私の足どりは、信じられないほど軽くなっていた。


コメント
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