ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

娘よ(54)

2014-08-27 18:22:33 | 生き方
日没が早くなった。夏も終わりが近いことを感じさせる。
娘にとっても、私たちにとっても、淡々と毎日が過ぎていく。

再転院後、娘は、日曜日に今月4回目の試験外出を終えた。
幸い体調不良を訴えることはなく、落ち着いていると言える。
最近は、歩行訓練や足腰を強化するトレーニングを入れてもらっているので、試験外出して家で過ごした時、茶の間で立ち上がったりしても、ふらつくことは少なくなった。
だが、まだ足元がふらついたり、ふいに足をひっかけたりすることもある。
油断はできないのである。
ただし、歩く姿は、発作の起きた7月に比べだいぶよくなった。

しかし、記憶障害の改善は、なかなか難しいと感じている。

帰宅途上、道路の両側に見かける店が、なくなったとか、できたとか話すことがあるのは相変わらずである。
毎度同じ場所で同じことを言う。
本人に記憶が積み上がらないから、毎回「新しい発見」のつもりで口にするという訳だ。

日曜日は、家で、高校野球の準決勝をテレビ観戦した。
新潟県代表の日本文理高校を応援したのだった。
残念ながら、5年前の再現の決勝進出とはならず、三重高校に0-5で苦杯を喫した。
家族一緒にテレビを見たのだったが、このことを後で聞くと、負けたことは合っているのだが、0-2で負けたのだと言っていた。

夕方、病院に送って行き、エレベーターの前で、行く階のボタンを押させた。
娘は、私の顔色をうかがいながら、自分の病室を2階だと思って押した。
エレベーターの扉が開き、求めているのと違う景色だったので、次には「3」を押した。
求めているのと似ている風景だったが、正面の部屋が違っていると思ったらしい。
次には、「4」を押したのだった…。

夕食を終えて、歯磨きやら洗顔やらをやっている姿は、普通の人とまったく同じなのだ。
だが、記憶や、場所、日時の認識がままならない。

最近は、家に帰りたがることが多くなってきている。
OT、ST、PT。今の病院で、様々なリハビリを行ってもらえるのはいいのだが、記憶障害の目立った改善が見られないのが、残念なところである。
われわれは、娘に痙攣の不安が少なくなれば、あとは、退院させ自宅で暮らすことを考えたいと思っている。
すでに、妻は、仕事を辞める心の準備ができている。
職場側でも事情は分かっていて、やむをえないと考えてもらっている。
今後、日中の外出から、試験外泊を経た後、特に何もなければ、その態勢を整えようかと家族で話し合っている。

今日は、夏の終わりを感じさせるに十分な、涼しい、肌寒ささえ感じさせる夕方であった。
季節も変わろうとしている。
娘の環境も、新たな展開に向けて、変えていく準備を始めるのが適切なのかもしれない。
コメント (2)
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