ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

桜満開の高台に立つ~今はなき小学校~

2012-04-22 23:09:23 | 「育」業
ようやく新潟県のあちこちで桜が開き始めた。
南の方に行くと少しは満開の桜が見られるのではないかと、県内で「桜の名所」と言われているところへ出かけてみた。
しかし、まだまだ桜のつぼみが開いているものは、ちらほら。
まだまだ咲き始め、ということでとても残念であった。
南の方へ行けばいい、と単純に考えたのは間違いだったようだ。
仕方なく、せっかくだから、少し遠回りしてドライブして帰路に着くことにした。

その途中、少し高台になっているところに、満開の桜が何本か咲いているのが見えた。
とても美しく見えたので、狭い道に入り、立ち寄ることにした。
実は、ここは知らないところではない。
ここは数年前まで学校だったところである。
コンクリートの道のそばには、木造2階建ての校舎が建っていた。
今は、その校舎も取り壊されて、跡形もない。


そのことを知っている私…。
今から30年余り前、私は新採用教員としてこの学校に勤めたことがあったのだ。
その時の教え子たちも、もうすでに40歳を超えているはずである。
子どもたちと様々な出来事があった。
そして、一緒に勤めた先生たちとも…。
当時の校長先生も、教頭先生も、定年を迎えていくらもたたないうちにそれぞれ難病にかかって亡くなってしまったのは、とても残念だった…。

地域の人たちが情熱的な応援をしてくれて盛り上がった運動会。
そのグラウンドも、今は一面草が生えて緑色になり、トラックやフィールドの区別もない。


ただ、プールは薄汚れたままそのままの場所にあった。

30年余り前のあの頃に、できたばかりのプール。
地域に大歓迎されて出来上がったものだった。
毎日毎日、子どもたちをプールに入れて泳げるようにした。
うまく泳げない私だったが、子どもたちに教えるために、一生懸命泳ぎ方や指導法を学んだのだった。
今はそのプールも、ただ放置され、壊される時が来るのを待っているように見えた。

一角に、ここに学校があったことを示す記念碑が建っていた。
そこには、校歌が刻まれていた。
近くには、創立百周年を示す碑もあった。
私が勤務している時に迎えた百周年。
その20年後には、タイムカプセルを開け、皆で小学校時代をしのんだり、これからもこの学校の永遠を願ったものだった。
しかし、そのわずか数年後、突然学校は他の中心校に統合することになった。
あっけなかった。

全国で、特に地方で、少子化により子どもの数が減り、学校が次々になくなっている。
4月から勤務しているところも、その憂き目にあっている。
地域にあった学校がなくなると、その地域からは子どもの声がなくなり、火が消えたように寂しくなる。


青空に、満開となった桜が美しい。
30年前は、ここの学校がなくなるなんて、誰ひとり夢にも思わなかった。
桜は、あの当時からさらに幹を太くして咲いていた。

あの当時、ここで学んでいた皆さん、元気に生きていますか。
皆さんと過ごした日々は、とても尊いものでしたよ。

桜を見上げ、青空に語りかけた。



コメント
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