ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

とんだ災厄4連続(後編)

2024-11-21 17:57:27 | 生き方

(前編からの続き)

3 

翌朝は、熱湯風呂のショックと蚊による寝不足が大きかったせいか、体に変調が起こっていた。

なんと、お通じが通じなくて困ったのだ。

「門」の近くまで来ていて出したくてたまらないのだが、そこを突破できないのだ。

そこでたまっていて痛くて苦しくて困ってしまった。

 

でも、出発しなくてはいけない時間になったので、仕方なくお通じできないまま、宿から出発。

熱湯風呂に、相次ぐ蚊の襲来と、熱烈歓迎していただいた、思い出深い宿になった。

おまけに、今度は自分の体に変調が起きるとは…。

 

向かった先が袋田の滝。

そこでは、光のトンネルや大きな滝など素晴らしかったから、下の痛みも少し軽減していた。

見終わった後、苦しくなったので、公衆トイレでまたがんばってみたけど、ダメ。

やっぱり苦しい。

 

約2時間の車運転の後、また別の公衆トイレでがんばったが、ダメ。

持ち合わせていた胃薬を飲んでみたが、改善の気配はなかった。

苦しい、苦しい。

 

 

この後、親類宅を訪問した。

懐かしいいとこや、伯母に会えてうれしかった。

伯母は90代だが、はきはきしていて元気な口調なのがうれしかった。

訪問中は、幸いトイレに行きたいとは思わなかった。

そこを辞して、あとは新潟に帰ることにした。

 

高速道路に乗って、サービスエリアで小休止。

当然のように、トイ活(トイレ活動)をした。

努力を重ねたせいか、昼に飲んだ胃薬が少しは効いたのか、ずっと塞がっていた一部が「開門」。

すっきりとまではいかなかったが、一部出たことによって、ようやく苦しみから解放された。

7時間も、この苦しみと戦っていたので、解放された喜びは大きかった。

ああ、完全じゃないけど、やっと楽になったぞ!

うれしいなあ。

…3つ目の災いは、この開門しない苦しみであった。

あとは、気持ちよく運転して帰るだけだと思ったのに、まさかこのサービスエリアのトイ活が、もう一つの悲劇を生むことになるとは思わなかった。

 

3時間高速を走って、下道に降りると、目の前はゆっくりと乗用車が走っていた。

多少イライラしそうになりながら、私の車の後ろにも何台も車がつながっているのが確認できた。

可能なら抜きたいのだけど、すでに日は暮れているし、道も広くなく危ないから、ずうっと30分以上、後ろを付いていった。

やっと前のゆっくりな車と別れることができ、イライラから解放され、10分ほど走って、ようやく家に着いた。

 

いろいろあったけど、やっとわが家に着いたよ。

さて、荷物を下ろそう。

その前に、運転の邪魔だからと外しておいたウエストポーチを持って、…と。

…ない!ない!?ない!!??

え~!!?そんなバカな!!

ウエストポーチがない!!

ウエストポーチには、財布も入っていた。

現金だけでなく、キャッシュカードやポイントカードなども、たくさん入っている。

うわあ~、どうしよう!!!?

どこでなくした?

そうか、サービスエリアのトイレだ。

思い出した。

用を足すために外して、棚のようなところに上げて置いたのだった。

なのに、「開通の喜び」が大きかったものだから、それに紛れて、ウエストポーチをとり忘れてしまったのだ。

なんてこった!!!

心臓バクバク、冷や汗ダラダラ。

あれからたくさんの時間がたっている。

悪い人に拾われていたら、もう返ってこない。

カードを悪用されたらどうしよう?…⤵

 

それでも、まずはサービスエリアに電話だ。

スマホで検索するにも、もどかしくて時間がかかった。

やがて、電話がつながると、「ありますよ」という話。

すぐには信じられなかったが、トイレ掃除の作業員の方が見つけて、届けてくれたのだそうだ。

入っている物を確認すると、何も取られてはいなかったことが分かった。

ホッとした。

着払いで荷物を送ってくれるように頼んで、住所や名前などを告げた。

 

2日後、小さな段ボール箱が届いた。

丁寧に梱包材でくるんであった。

開けてみると、アルビ選手のキーホルダーがついた黒いウエストポーチ。

まぎれもなく私が置き去りにしてしまったウエストポーチだった。

さっそくサービスエリアに電話をして、大きな感謝の気持ちを伝えた私であった。

 

 

…熱湯、蚊、閉門、置き忘れ。

わが身が招いたものもあるけれど、24時間の間に4つも災厄に見舞われた私だったのである。

なんだかね~…(タメイキ)

でもね、4番目の、置き忘れたウエストポーチが手元に返ってきたということは、幸運だったのだから、これからいいことが続くと思いたいね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんだ災厄4連続(前編)

2024-11-20 20:38:55 | 生き方

日曜日の夕方から月曜日の夕方までの24時間に、とんでもない災いに見舞われてしまった。

まあ、自分が悪いのもあったけど、…。

恥をしのんで、とんだ災厄4つをさらすことにする。

 

日曜日の夜、旅館に泊まった。

ホテルではなかったが、たまにはいいだろう。

温泉にも入れるし。

…そんな思いで宿泊した宿。

実は、とんでもない目にあった。

宿泊に当たって、期待は、温泉にゆっくりつかることだった。

泊り客も多くなく、風呂に行くと、誰も入っていなかった。

やった。一人でゆっくり入ることができるぞ。

体にお湯をかけ、浴槽に入ろうとして、片足を入れた。

その瞬間、思わず、飛び上がった。

熱い!!

ここの風呂は、熱くしているのかな。

ならば、湯温に体を慣らしながらゆっくり入るしかない。

だが、かろうじて両足を入れたが、すぐにダメ!

飛び上がって、浴槽から出た。

こういうときには、水を入れればいいのだが、なんと浴槽そばに水道の蛇口はない。

誰もいないのをいいことに、一番近いシャワー(それでも浴槽から遠い)から水を強く出して浴槽めがけてしばらく水をかけ続けた。

だが、焼け石に水とはこのこと。

全然湯の温度は下がらない。

我慢してへそまでつかってみたが、

…やっぱ、無理!!!

と、湯から急いで上がった。

体だけ洗って、入るのはあきらめた。

 

クレーマーと思われるのは嫌だったが、フロントの方に、お湯が熱すぎて風呂に入れないことを告げた。

すると、昨日の客が「湯がぬるいからもう少し熱い方がいい」と言われたそうだ。

「でもね、今本当に熱いから。ほかのお客さんから苦情が出ると悪いから、クレーマーと思われてもいいからお知らせしますね。」

と、私が言うと、実際に言って確かめてみたようだ。

10数分後、

「本当に熱かったです。水が出るようにホースをつなげたから、熱かったら水を出しながら入ってください。」

と言われた。

だけど、もうあんなに熱い思いをした後だったので、もう一度風呂に行く気にはなれなかった。

熱湯風呂で温泉を楽しめないなんて、なんということだろう。

 

風呂につかることができなかったので、仕方なく部屋で、テレビを見ていた。

見たのは、日本対キューバの野球の試合。

日本の楽勝かと思って見ていた9時過ぎ、頭がかゆいなと思って手をやったら、プーンという羽音と視野の隅っこに映ったその姿…蚊だ!

こんな時期になってもまだ蚊がいるのか、と思いつつ辺りをうかがうと、1匹飛んでいるのが見つかった。

追いかけて、パチン!やっつけた。

野球の試合は、しだいにミスもあって、接戦の様相になりそう。

ついに同点になってしまった。

すると、また1匹蚊が出てきた。

え?この時期、2匹も蚊が出るの?と思いつつ、これもなんとか見つけてやっつけた。

 

まだ同点だったが、次の日のこともあるので、10時半に明かりを消して寝ようとした。

少しうとうとしかけた時、耳元にフ~ンという蚊の飛ぶ音。

なんだ!?3匹目まで出るなんて!!

明かりをつけて、目を凝らす。

仕方がないからテレビも付けてみると、野球は最終回の表、日本7-6と1点リードだが、キューバがなんと1死満塁のチャンス。

3匹目の蚊を見つけて、これもやっつけた

日本のピッチャー藤平も、なんとかやっつけろ、と念じていたら、最後のバッターを三振にとって、日本に勝利をもたらした。

もう11時を過ぎていたが、電気を消してまた寝ようとしても、なかなか寝付けなかった。

 

まさか4匹目はないよな、と思っていたら、11時半過ぎ、頭の辺りにプーンという音。

また出た!4匹目なんて、もう限界!!

フロントに行って、宿の人を呼び出した。

蚊が出て寝られないと言うと、おばあちゃんのその人は、「ちょっと待っててください」と言って、奥に引っ込んでいったまま、なかなか戻って来なかった。

やがて持ってきたのは、蚊取り線香と、それ取り付けるためのニンジンに刺したつまようじ。

これを作っていたから時間がかかったのか。

さっそく部屋に戻って、蚊取り線香に火を着けて寝ようとしたが、さすがに簡単には眠れない。

さっきの蚊らしい羽音がフーン、フーンと聞こえていたが、やがて蚊取り線香が効いたのか音がしなくなった。

代わりに、雨音、風で戸がガタガタいう音が気になる。

やっぱり眠れない。

1時半くらいになって、ようやく意識がなくなった。

 

熱湯風呂に、季節外れの蚊の襲来。

なんかとんでもない宿に泊まってしまったな…。

そんな思いでいたのだったが、災難は翌日に引き継がれるのだった。

(後編に続く)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小菊とサツマイモで…

2024-11-14 19:57:37 | 生き方

おやまあ、こんなところに菊がきれいに咲いている。

まるで昨日書いたものの続きのようだけれど、びっくりだった。

そのきれいに咲いていた場所とは、この写真で分かるかな?

石灯籠があるということは、菊が咲いていた場所のここは、墓なのである。

 

季節外れ(?)のようだが、墓参りに来たのであった。

墓に供える花として、わが家の庭にたくさん咲いているいろいろな菊の花を持ってきた。

そして、墓に来てみると、ここにも菊の花がきれいに咲いていた、ということであった。

 

これが誰の墓参りかというと、この時期何度もここに載せてきたから、分かる人は分かる。

わが父の命日が近いのだ。

その命日には早いのだが、天気がいいのと、命日は都合が悪いことから、今日墓参りとなったのである。

命日あるいはその前後には、毎年のように墓参りに訪れてきた。

その命日から、なんと40年もたってしまった。

 

今日、墓にお供えしたのは、花や線香だけではない。

以前は、酒飲みだった父の墓前に酒を供えていた。

「ふなぐち菊水一番搾り」が定番だったが、それもいつしかやらなくなっていた。

 

今日、妻が準備してくれたのは、酒ではなくレンチンして温めてきた「サツマイモ」。

父が亡くなった日のことと関係があるのだ。

家に帰ってきた父は、母に「(サツマ)イモ、あるか?」と聞いた。

実は、ふかしたサツマイモが残っていたのだが、母は、夕飯前だし面倒くさかったので、「ないよ。」と答えたのだそうだ。

それよりも、せっかく手間かけて作ったロールキャベツを食べてほしかったらしい。

イモをあきらめた父は、何も食べずに、いつもの習慣である夕食前の風呂に入ることにした。

そして、浴場で倒れ、そのまま帰らぬ人になった。

母は、父の死後、「あのとき、イモを食べさせなかったのが心残りでしようがない。」と、よく口にして自分を責めていたのだそうだ。

そんなことで、今日は、1本のサツマイモを、墓前用と墓参りに行った3人の4つに分け、私たちも、墓前で少しいただいた。

 

それにしても、40年か。

父が亡くなったときの年齢を、もう10歳以上も上回ってしまった。

だからこそ思うようになったなあ。

いつ自分も「Xデー」を迎えるか分からないぞ、…とね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腰痛は続く(-_-;)

2024-11-07 20:40:48 | 生き方

腰痛になったのは日曜日だった。

月曜日は痛みが増してしまった。

安静にしていればいいのだから、寝ていれば、と考える人もいるかもしれないが、寝るとかえって苦しいのだ。

なぜかというと、姿勢を変えるための寝返りができない。

寝ようとするときも、起きようとするときも、痛みなくして寝たり来たりはできないのだ。

だから、仕方なしに起きている方がいい。

寝ているより、起きて立っている方がいくらか楽なのだな。

月曜の夜も寝返りができず夜通し厳しかった。

 

そして、朝になると、体が固まってしまっている感じで、何をしても動くたびに腰に痛みが来ていた。

立つのもダメ、立つためにどういう姿勢をとりながら、どこに力を入れればいいのかを確かめながら、痛みが少ない姿勢を選んでゆっくり立ち上がる。

立つのに比べたら、歩くのはいくらか楽。

急がなければ、ゆっくり歩いている方が腰は痛くない。

日中は、時間がたってくると、少しは腰も楽になってくる。

火曜日は、連休が終わって平日になったから、医者が営業している。

だから、いつもの医者に行ってきた。

だが、整形外科医院は、いつも高齢者で混雑しているから、診察室から名前を呼ばれたのは1時間余りたってから。

それでも、いつもより早かったと思ったりした。

 

この医師には、30年前に椎間板ヘルニアの手術を執刀してもらったことがあるので、私は全幅の信頼をおいている。

今回は10か月ぶりだが、特に腰痛に陥った原因がはっきりしないと伝えた。

前には2週間分の薬をもらって飲んだり貼ったりして、なんとか治ったという話もした。

今回も、同じ薬を2週間分処方するから、それで様子を見ようということになった。

 

それから2日、前より寝返りに痛みは伴わなくなった。

少しずつ良くなっているのかとは思う。

だけど、今日は、腰よりも少し上の背中近くの方に痛みが出ていた。

簡単には治らないな、とため息をつく。

 

せっかくエントリーしたのに、楽しみにしていたけれど、ごせん紅葉マラソンは断念決定!

今年最後と予定していた大会だけど、不参加です。

 

…ということで、簡単には治らない腰痛。

今日は立冬、急に寒くなりました。

季節の変わり目。

これをお読みの皆様も、どうかお体お気をつけください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またもや突然の腰痛発症

2024-11-04 14:29:32 | 生き方
困ったもので、昨日、また腰痛を発症してしまった。
たしか、去年もこんなことが、と思って自分のブログを「腰痛」で検索してみると、出てきた、出てきた。
それは、去年のことではなく、今年年明けの頃のことであった。
齢のせいで、覚えが悪く忘れ方がひどいなあ。
それはともかく、あのときは、悪い姿勢で刈込ばさみを使っていたから、そのせいだと原因が断定できたのだが、今回は、まったく思い当たらない。
普通に生活していたら、急に腰に違和感が生じ、以前と同じような痛みが出るようになった。
とにかく姿勢の変更時が痛い。
立つとき、座るとき。
前かがみになろうとするとき。
夜寝ようとするとき。
寝返りをうとうとするとき。
…あ~⤵…。

昨日、発症したのは午前中だった。
午後からのサンクスフェスタで、あの窮屈で堅いビッグスワンスタジアムの椅子にずっと座っていたのは、たしかに苦痛であった。
行かなければよかったか?
いやいや、それはできなかった。
多少腰が痛くても、死闘翌日の選手たちの姿を見たかった。
痛みをこらえながら車の乗り降りしたり、階段の上り下りしたり、堅いベンチに座りっぱなしだったりして痛かったのだが、選手たちの姿を見る喜びの方が大きかった。

1月には、がまんできずに通院して薬をもらい、痛みがなくなるまでおよそ3週間かかった。
それを思うと、また今回も3週間ガマンだな。
残念だが、来週のごせん紅葉マラソンも、出走せずキケンしなければいけなくなりそうだ。
気が滅入るなあ…。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「要受診」とされて、行ってきた

2024-10-30 20:05:09 | 生き方

先月行ってきた特定健康診査。

正式な結果通知が来ていた。

身長は縮み、体重も減少。

なぜか腹囲は1.8㎝増しだけど、今は83㎝台なので、40代50代で着ていたズボンはガバガバ。

その頃は、体重は83~85kgくらいあって、最大で97㎝くらいのウエストのズボンをはいていたのだから。

それが今は、体重は67kg台で、ウエスト82㎝のズボンはきついが、85㎝だとらくらく入る。

やせたもんだなあ。

1回につき10㎞くらいランニングをするようになったら、どんどん体重が落ちていったけど、まさかここまで体重や腹囲が落ちるとは思わなかったな。

そのせいか、寒さに敏感になってしまって、この時期も簡単に寒さを感じてしまうのは困ったものだよ。

 

さて、問題は、血圧。

検査会場で測ったら、どういう測り方をされたのか、2回やったら「146-91」という、最高も最低も高い血圧の値が出てしまった。

しかも高い方を測定値とされたものだから、しっかりと「要受診」となってしまった。

家で毎日測っているけれど、140台になることなんてなかったのにさ。

なんか、会場の血圧測定器おかしいんじゃね!?

と言いたかったよ。

 

「要受診」という知らせが届いたからには仕方ない。

「しゃあない。医者行って来っか~」ということになって、本日、近くの医者に行ってきた。

ここを訪れたのは、3月や4月のCOVID-19感染症以来ですなあ。

あれから半年もたったのか、と時の流れの速さを思いながらの通院。

 

そんなに混んではいなかったが、たっぷり待たされて、診察はあっという間。

「では、血圧を測ってみましょう」

と、聴診器も使いながら、血圧測定。

「平常ですね。116-64。」

「じゃあ、市にはこちらから報告しておきます。お疲れさまでした。」

あっという間に終わり。

 

何もなくて、「あー、よかった!」…なんだけど、診察費890円は高いのか、安いのか…?

うーん。やっぱり、9月の検査会場で高い値を登録されたことに、うらみ節の一つも言いたくなるなあ。

でもまあ、こうしたドッキリを経験させながら、健康への関心を持ってほしいということもあるかもしれないな。

何もなかったのだから、とりあえず、めでたしめでたし!!…としておこう。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

還暦以来8年ぶりの、高校同級会

2024-10-27 19:43:44 | 生き方

昨日土曜日、高校時代の同級会が開かれた。

オリンピックイヤーに開催すると決めているわれらの同級会、前回4年前は新型ウイルス感染症で中止。

8年ぶり開催の会場は、初めて県都新潟市とした。

 

今から50年前、私たちは高校3年生だった。

あれから、半世紀という信じられないほどの時間が経過した。

41名の学級成員のうち、4名は鬼籍に入り、2名は行方不明。

出欠の返事をくれたのは32名で、残念ながら21名が欠席連絡。

体調不良で参加できないというコメントをくれた方も5名ほどいたし、家族の介護で抜けられないという方も複数名いた。

結局参加者は12名、前回より5人減で、幹事としては少々寂しかった。

だけど、それぞれの近況報告は、それなりに味わいがあった。

その一端を列挙してみる。

 

家庭菜園を楽しんでいます。

野菜も子ども相手にしているのと同じで、一つ一つ違うのが楽しいです。

 

仕事は65歳で区切りをつけて、好きなことをしようとあれもこれも首を突っ込んでいたら、忙しくなり過ぎました。

先日は3回目の四十肩で腕が上がらなくて困りました。

 

同級会は16年ぶりの出席です。8年前は、交通事故で入院中。12年前は、がん治療で入院中でした。がんは、見つかったらステージ4と言われたけれども、なんとか克服できました。交通事故では、植物人間になると言われたけど、今こうして生きています。ただ、左脚切断で義足、右手マヒも残っています。好きだったゴルフができず、温泉も入れません。でも、車の運転と酒飲みだけはできます。

 

義母を亡くして、何かしようと思うのだけれど、あれもこれもいろいろ決められなくて、結局何もしていません。

 

60歳で退職したけど、その後も働いています。零細農家なのですが、自分も畑で好きなものだけ作って、農家のまねごとをしています。

 

30年ほど会社勤めで営業の仕事をしたが、それをやめてから10社くらい仕事を変わりました。今は、建物の中での仕事はダメで、外仕事をしています。現在は独りに戻っての生活だけど、人生の中で今が一番いい時だと思います。自分なりの時間の過ごし方ができます。以前やっていたそば打ちをまた始めて見ました。

 

高校時代にいろいろ思い描いていた未来が、今の姿です。今は、水道屋をやっています。10年建設会社に勤めて、また違う会社に勤めた時の縁で結婚して、家業の水道屋を継ぎました。地域の会社の組合の理事長もやったりしました。50年たっての今が未来の姿だったのだから、80歳まで現役でいきたいと思います。

 

電車の中でずっと、8年前の還暦記念の文集を読んできました。自分の書いたのをとても恥ずかしく思いました。今は夫婦2人暮らしですが、18歳から5歳まで孫が6人います。でも、私はまだ勤めを続けています。

 

この4月で勤めていた会社をやめました。

でも、何もしないのはよくないので大きな自然公園で3日に1回くらい清掃作業をしています。そこは広いので、1日に10㎞くらい歩きます。ほかに町内会など、ほどほどに仕事していくのがいいと思っています。

 

定年退職後、再雇用で週に4日勤めたけど、残りの3日はテレビばかり見て時間を過ごすだけなので,公立保育園の用務員に応募し就職しました。子どもと交流するのは楽しいです。園までの片道約9kmをロードバイクで行き来しています。今までスイスに3回トレッキングに行ってきたけど、今度また行ってこようと思っています。

 

家で家族の介護を長らくしてきました。家の中の困ったことがあると、電気工事とか壁張りとかをやったりするのが楽しいので、少し勉強して正式に電気工事の資格とか消防管理の資格とか取ってしまいました。今後は、ピアノをやってみたいと思って、少しずつやっています。

 

老親や家族の生き死になど、苦難のことはもっと語られていたが、ここでは省略する。

それらを掲載すれば、もっと実感が湧くのだが、個人のことだからあまり詳しくするのはやめておこう。

8年前の還暦時に行った同級会に比べ、個々の話は聞きごたえがあった。

ここまでの人生を生きてきたがゆえの、山あり谷ありの報告が多くあった。

皆さんのそういう話を聞いていたら、高校時代から50年、同じ半世紀の時代を生き抜いてきた大切な仲間なのだなあという気持ちが湧いてきた。

それは、私だけでなく、皆同じような気持ちになったようだった。

 

今回の同級会を開かなくては、このような個々人の経験—皆が真剣に生きてきた足跡を知ることはなかったはずだ。

その思いからなのだろう、会が終わるときには、参加者の多くの人から、幹事やってくれてありがとう、の言葉をもらった。

その労いの言葉は、とてもうれしく響いた。

 

さて、4年に1回と決めているわれわれの同級会だが、今回は皆さんの年齢が68歳の会だった。

次回は、72歳の時ということになる。

だが、自分たちの今後となると、4年先は長い、という話が出た。

だから、次回は、2年後の70歳古稀の時に開催しないかという提案が出た。

それはいい、と多くの賛同が出た。

できれば、1泊してゆっくりやりたいなんていう話も出た。

ま、それはともかくとして、2年後開催ということでまとまった。

 

…いかん!

2年後開催を安請け合いしてしまったが、幹事の大変さがまた再来年すぐくるということだ。

でも、今回の出席者の皆さんは、すごく喜んでくれたから、多少の煩わしい苦労は吹っ飛んだ気がするから、次回もがんばろう………ってか。

 

次回まで、皆さん、元気でいてくださいね。

そして、今回参加できなかった皆さ~ん、次回は体調を整えて、多数の参加をお待ちしていますよ~。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、中越地震から20年

2024-10-23 15:08:44 | 生き方

今日は10月23日。

中越地震から20年もたつのだ。

時の流れが信じられないほどだ。

地元紙新潟日報は、別刷で特集版を出していた。

また、紙上広告では、1ページ使って次のようなものが出ていた。

 

ここのブログでも、この日のことは何度か書いてきたことがあったが、20年か、早いなあと思う。

中越地震でいつも思い出すのは、この地震の時は、まだ母が生きていたな、ということ。

この2日前に、母は最後の誕生日を迎えていた。

この地震が起こった頃、私は母や娘と、サッカーJリーグ中継を見ていたのがちょうど終わるところだった、という記憶が強く残っている。

当地では大きく揺れはしたが、それに驚きはしても、幸い被害はほとんどなかった。

その半年後、母はこの世を去った。

母の場合は癌で余命半年の宣告を受けていたのに、それ以上に生きることができた。

だから、日々、悲しみの準備はできていた。

でも、地震のような突発的な災害で家族の命を奪われた人たちの悲しみはいかばかりかと思ってしまう。

中越地震については、最大震度7を記録。死者68名。負傷者4795名。全壊3175棟。半壊・一部損壊約11万棟以上などの被害記録が残っている。

新幹線が脱線し動けなくなったり、その作業中に大きな余震が来たりしたのは、私たちの記憶に残っている。

 

当時専門学校生だった娘は、長岡の寮に入っていたが、地震のあったその日は、たまたま帰省していたから、被害にあわずに済んだ。

だが、約1週間後に長岡に送っていくと、つぶれた家や、

ぺしゃんこになった古い工場のような建物、

七目に倒れかけた電信柱や地中から地上にせり上がって柱のように出ていたマンホールなどを見て揺れの激しさが分かり、驚いたものだった。

娘の入っていた寮の部屋では、様々なものが落っこちて悲惨な状況になっていた。

あれから、7年後には東日本大震災が起きた。

そこから13年たって、今年は能登半島地震が起きた。

遠く離れた新潟市西区周辺でも、家の倒壊や道路などの大きな被害が出た。

 

地震や自然災害は、いつ、どんなことが起こるか分からない。

だから、しっかり備えておかなくてはいけないという戒めを与えてくれている。

それと同時に、年齢が上がってきたら、いつ死んでもいいようにしておかなくては、ということも考えるようになってきた。

終活、身を入れなくては…。

まだ早いと思っていてはいけない、と思いを新たにしている今日であった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬老の日

2024-09-16 19:53:56 | 生き方

今日9月16日は、敬老の日。

先日の「チコちゃんに叱られる」で、敬老の日は、兵庫県の「としよりの日」から来たのだということを知った。

特に故事とは関係なかった、と知った。

別に、それが理由で敬老の日を意識したわけではないが、今年は初めて自分に関係のある日なのだと意識した気がする。

 

総務省が公表した人口推計によると、65歳以上の高齢者は全国で3625万人と過去最多だという。

前年比で2万人の増。

総人口に占める割合も過去最高の29・3%なのだそうだ。

 

新潟県では、前年に比べて3000人減の71万2千人だったそうだが、県人口に占める高齢化率は33・9%で、前年比0・3ポイント増であり、42年連続で過去最高を更新中だという。

市町村別の高齢化率は、最高が阿賀町の52・3%。

かつて勤めた時から10年以上がたち、あの頃よりさらに少子高齢化が進んだ。

だから、10数年前に私が勤めた職場は、もうすでになくなってしまった。

高齢化率が最も低かったのは聖籠町の27・4%で、新潟市は30・9%だったというが、その数字だって「うわっ、低い」と思えるほどの数字ではない。

 

さて、高齢化率が33・9%ということは、県内の3人に1人は高齢者だということだ。

かくいう自分も、そのone of them なのである。

 

自分が高齢者の仲間入りをしたのは一昨年だったが、特別な感慨はなかったといってよい。

まあ、年金がおりるようになって、もらえる年齢になったのかとは思ったが。

不思議なもので、去年もおととしも「敬老の日」だからといって、自分がその対象として関係しているとは思わなかった。

年齢は高齢者になっていても、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでくれる孫がいるわけでもない。

自分たちがジジババになっているという自覚はなかったのである。

だが、今年は、自分のことと感じる割合が高くなった。

 

それはやはり、自分の体力や体調が少しずつ落ちてきているせいだろう。

走ることは好きだったのに、少し速く走った翌日などにはクラクラしそうになったり疲労感を感じたりするようになってしまったから、無理をしないジョギング走りになってしまった。

今年の春には、COVID-19感染症陽性となり、苦しい時を過ごした。

その前後から、内臓がどうも今までとは少し違うような感じになっている。

自分の周囲にいる同年齢や少し下の人でも、体力の衰えや体の不調を言う人が増え、それを他人事とは思えなくなった。

そのうえ、自分の親世代の人々が本当に少なくなってきた、ということがある。

少し前までたくさんいたその世代の人たちがいなくなり、次にいなくなるのは自分たちの世代なのだ、ということをひしひしと感じるようになってきた。

それを実感させるのが、自分が影響を受けた、同じ世代や少し上の世代の有名人たちが、何人もこの世を去っていったということ。

そんなようなことが、自分を高齢者だと実感させることにつながっている。

 

奇しくも先週末、ほぼ同年齢で40代ではすごく世話になった人が亡くなったという報せが届いた。

突然の訃報にはただただ驚いた。

10年ほど前には前立腺がんなどを乗り越えた人だったが、先週具合が悪いからと入院の措置がとられた翌日、急逝したのだという。

まだ70歳にもなっていないのに、急逝だって…?

同世代の訃報を聞き、自分たちの世代でもいつ人生の終わりを迎えるか分からない。

そんなことを急に身近に感じたのである。

 

今日は敬老の日なんだって…と、簡単に流せなくなった今年の敬老の日………。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7回忌を迎え、埼玉は今

2024-08-30 18:02:24 | 生き方

早いものだ。

もうあれから6年。

義兄の7回忌に当たる日を迎えた。

 

埼玉の義兄が亡くなってから、その家や畑を継がざるを得なかった妹。

それが新潟に住むわが妻。

ということで、毎月家や畑の管理をしに私も一緒に埼玉に行って。除草等を行って来るのが、この6年間の生活になっていた。

今やそれが生活のリズムを生んでいたようにも思う。

毎月行かなければ、畑の雑草はものすごいことになる。

以前の写真である。

特に、梅雨の時期から夏にかけては、手を抜けなかった。

だから、毎年こんなふうに伸びた草と格闘してきたのだった。

 

ところで、例年8月はこのように草ぼうぼうの畑だったのだが、今月はこんな状態である(↓)。

本物の畑(?)のようになっているのだ。

草もない。

つまり、本物の畑に戻ったのである。

私たちは、埼玉には行っていない。

どうしたのかというと、畑で農業をやりたいから借りたい、という貴重な人が現れたのだ。

住む家も必要だから、家も貸してほしいということ。

正直、願ったりかなったりということなので、こちらの希望やあちらの願いなどを話し合って、ただ同然で家と畑を貸すことにした。

今まで農業をやってきた方ではないけれども、これから本格的に取り組んでみたいということだった。

でも、本気で取り組む意欲が見えたし、人柄も誠実さを感じたので、信じられる方だと思った。

その方が、あの荒れ地だった土地を耕して、畑にしたのだった。

彼の農業の取組が成功することを祈っている。

 

埼玉の亡くなった義父母や義兄たちも、きっと借り手が見付かったことを、喜んでくれていることだろう。

それとも、娘が新潟から来なくなってさびしがっているだろうか。

 

そんなわけで、埼玉には全く行かないわけではないが、行く機会は減ることになった。

いざはるばる行かなくてもいいということになると、楽にはなったのだが、なんだかちとさびしさも感じる。

新潟とは違う自然環境なので、見られる植物にも珍しさがあった。

わがもの顔に生えてくる雑草にも違いがあった。

猛暑日になると必ず名前の出てくる埼玉県北部。

そこでの真夏の除草は非常に厳しかったが、珍しい植物たちや元気にはびこる植物たちを見ることが楽しくもあったのである。

さびしいなんて、ちょっとした埼玉生活ロスかもしれないな。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする