そのむかし、ぼくは、「I is」と言ってはばからないほどの英語通でした。どれくらい昔のことかと言うと、イスラエルに行く直前、つまり四年前でしょうか。
「I is」があるくらいだから、もちろん「You is」だってありです。つまり考えられぬほどの英語通だったのです。
ですから外人と話すなんてことは決してあってはならぬことでした。
あってはならぬはずのシチュエーションが時に現実となることもあります。
トルコ航空の飛行機の中で、喉が渇いてどうにもならぬときとか。
我慢したんです。俺は大丈夫、一日二日水分を取らなくたってきっと生きていける。
そう自分に言い聞かせ、喉をかきむしりたくなるような思いを必死に堪えながら、横を何度も素通りして行くスッチーを横目に、ぼくは我慢し続けたのです。
しかし、
我慢にだって限度と言うものがある。
そしてとうとうそのときはやってきたのです。
もう、我慢がならぬ。これ以上我慢したらきっとトルコに着く前に死んじゃう。
体中のすべての勇気を振り絞り、蚊の鳴くようなか細い声で、しかし目だけはギンンギラギンに真剣な眼差しで、
「うぉーたー」
それだけを告げたのでした。
わかってくれました。あまりに必死だったのでしょうか。その単語一つで、スッチーは全てを理解したようでした。
ああ、つまらぬことで命を落とすところだった。
ああ、生きてるなあ。生き物には水分が必要なのだよ。
まさに、命の水を飲みながら、生きながらえることが出来た、そんな喜びを噛み締めた一瞬でした。
今は、
英語ではあまり動じません。
とりあえず「I is」からは卒業しましたが、レベルはそんなに上がっていません。
一年半のイスラエル生活が、僕を少し強くしたようです。
「I is」があるくらいだから、もちろん「You is」だってありです。つまり考えられぬほどの英語通だったのです。
ですから外人と話すなんてことは決してあってはならぬことでした。
あってはならぬはずのシチュエーションが時に現実となることもあります。
トルコ航空の飛行機の中で、喉が渇いてどうにもならぬときとか。
我慢したんです。俺は大丈夫、一日二日水分を取らなくたってきっと生きていける。
そう自分に言い聞かせ、喉をかきむしりたくなるような思いを必死に堪えながら、横を何度も素通りして行くスッチーを横目に、ぼくは我慢し続けたのです。
しかし、
我慢にだって限度と言うものがある。
そしてとうとうそのときはやってきたのです。
もう、我慢がならぬ。これ以上我慢したらきっとトルコに着く前に死んじゃう。
体中のすべての勇気を振り絞り、蚊の鳴くようなか細い声で、しかし目だけはギンンギラギンに真剣な眼差しで、
「うぉーたー」
それだけを告げたのでした。
わかってくれました。あまりに必死だったのでしょうか。その単語一つで、スッチーは全てを理解したようでした。
ああ、つまらぬことで命を落とすところだった。
ああ、生きてるなあ。生き物には水分が必要なのだよ。
まさに、命の水を飲みながら、生きながらえることが出来た、そんな喜びを噛み締めた一瞬でした。
今は、
英語ではあまり動じません。
とりあえず「I is」からは卒業しましたが、レベルはそんなに上がっていません。
一年半のイスラエル生活が、僕を少し強くしたようです。