イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

気力があったので今日も書いてみた レヴィ=ストロース

2008年10月18日 14時54分48秒 | Weblog
親族の基本構造がこんなにさらっと書かれていていいのかと
訝しる向きもありますが、私たちがまだ触れたこともない
新しい「知」に遭遇したときは、まずはそれを無条件に受け入れ、
「私」の言葉に換えて表現できるくらいのところまでいかないと
その新しい「知」に到達することができません。
上っ面をなめた程度でも批判することは可能ですが、
それでは知ることの喜びを感じられません。

何だこれは、いったい何を言わんとしているのだ。

そんな風に直感(多くの体験を通して、肌で感じられるようになった感覚)
で感じられるようになればしめたものです。
多くの場合疑問すら感じずに通り過ぎてしまうのですから。


これから記すことは本当に奇抜です。

ではどうぞ、

さまざまな社会集団における家族間の「親密さ/疎遠さ」を掘り下げていった結果
そこにはあらゆる家族集団に共通する不思議な法則が呈していたというのです。

0ー父とその息子は親密だが、甥と母方のおじさんは疎遠
1ー甥と母方のおじさんは親密だが、父と息子は疎遠

0-夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠
1-妻とその兄弟は親密だが、夫婦は疎遠

あらゆる家族集団はこの二項対立の二つの関係において
必ずどちらかの選択肢を選ぶ。

これが不思議な法則の正体です。

身近な家族間の関係から、文明とは関係のないような
「部族」と呼ばれる集団にさえこの法則が存在するのです。

いったいなぜ世界中の社会集団の中にこの構造があるのか。

「この構造は考えうる限り、存在しうる限り最も単純な親族構造である。
まさしくこれが家族の基本単位なのである。親族構造が存在するためには
人間社会に常に存在する三種類の家族関係ー共通の父を持つ関係、
婚姻関係、生んだものと生まれたものとの関係、言い換えれば兄弟姉妹、
夫婦、親子がそこに含まれていなければならない」

とレヴィ=ストロースは答えています。

これこそが親族の基本構造なのです。

そして世界中の言語音が十二の二項対立で表現できるように
世界中の親族構造は二つの二項対立で表現できるという仮説を立てたのです。

これはあまりにも大胆な仮説ですが、この仮説をまずは丸ごと受け入れてみると、
そこから二つのことが見えてくるのです。

一つは、人間は二項対立の組み合わせだけで複雑な情報を表現しているということ、

もう一つは、私たちが親や兄弟、子供などに感じる情は
じつは自然で内発的(人間に生まれながらにして普遍的に備わっている情)
なものではなく、構造によってつくりだされたものだということです。


まだまだ続くのですが、今日はこのあたりでお開きということにしましょう。

最後に一言、

「人間性の起源は贈与にある」このキーワードから離れてはいけません

最後にはちゃんと納得いきますから。


因みに、

私は妻の入れてくれるコーヒーを一度もおいしいと感じたことがないのです。

自分で入れるコーヒーは
お決まりのマグカップにまずコーヒー(ネスカフェエクセラ)大さじ山盛り一杯
次いで砂糖大さじ一杯半、クリープ大さじ二杯これが私の黄金比なのです。

妻が入れてくれるコーヒーは薄くて、、、、。

妻には何度もこのような比率で入れて欲しいと頼んでいるのですが、
そんなに濃いコーヒーは体に悪いという理由でまったくもって聞く耳を
もたないのです。

酒もタバコもギャンブルもやらないのですから、
一つくらい体に悪いことがあったっていいじゃん。ねー?