俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『日本の戦後復興に貢献したワルポン』

2007-07-28 21:27:03 | Weblog
人間生活の基本三原則は「衣食住」だと昔、学校で習ったと思います。

戦後の復興期から昭和40年代にかけては、正に衣食住を得るために、みんなおなかを空かせて必死に日々働いたものです。

どの会社も早出・残業の連続の毎日で、今なら労基法に引っ掛かるかもしれないが、月に150時間も残業したこともあり、安月給が大いに潤ったものでありました。

工場での労働作業も厳しく、戦場さながらに軍隊式で“三歩以上は駆け足!”と大声の叱声が飛び交う中で、軍手をはめボロ服をまとい首に手拭いを巻いて、朝から晩までコマネズミのように動き回り、全身汗まみれ、身を粉にして誰もが働いたものでした。

長い長い一日の作業が終わるとみんな総出で、うす暗い裸電球の下、打ちのめされたように無口で肩を落として、うつむきながら黙々と後片付け掃除をして仕事を仕舞いました。

風呂を浴び、遅い晩御飯をビールとともに流し込んで、6畳間のたこ部屋のような3人部屋の折り畳んだせんべい布団を伸ばすと倒れこむように寝っぷして、翌朝起こされるまで眠りこけたものです。

目刺、納豆、生卵、漬物、ねぎの味噌汁にどんぶり飯の朝食をかっ込み、体中の筋肉、節々の痛さをこらえて、早朝の朝もやの中を自転車で出勤、「今日も元気に重労働!」の繰り返し・・・。


休日は反動で、朝から青春映画、西部劇、ポルノ映画でありヤクザ・仁侠映画の5本立て映画にひたり、映画館から出るときは主人公になりきって肩をいからせ町へ繰り出したものです。

「5時から男」(残業の無い時のアフターファイブや休日)はマージャン、競馬、競輪、競艇、花札、トランプ、囲碁、将棋、チンチロリン、パチンコなどに興じたが、全てに金が懸かっていて、遊びは即、生活(収入、支出)に結びついていたのです。

月給以上に稼ぎ出す猛者もいて、大儲けした時はキャバレーへ繰り出しお気に入りの指名のし放題、中儲けのときはサントリバーでレーズンバターをつまみにだるまのオンザロックかチンザノロック、小儲けのときはトリスバーでトリスのハイボールかアブサンをあおり、おけらの時は焼き鳥で焼酎引っかけて、勘定は堂々と大声で「おやじ!つけ!」と叫んでの給料日払い。

宵越しの金は持たねェ、とばかりに盛り場へ繰り出し、おだをあげて午前様。
結局は悪銭身に付かずで、次の日からも食うために、又、必死で働くのでありました。


高度成長期に入ると飽食の時代とも呼ばれるようになり、戦中戦後の本当に食べるものの無い貧しい時代を過ごした団塊の世代より上の年代は、それまでの食い損じた分を取り返すかのように、ひたすら食べ、且つ飲んで、ときには踊り、歌いして気炎を上げたものです。

この食うためのエネルギーが、世の中の金を日本の隅々まで激流渦巻くように回りに回って戦後の復興の原動力となり、 “繁栄を支えた全て”といっても過言では無いと思います。

世界史上に例をみないといわれる日本の戦後復興を、ここだけの話ですが、したがって、実は「食」によって、我々が成し遂げたのであります。


「若者よ!宵越しの金を持つな!」

日本を復活させよ!


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