説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

永遠のいのち

2012-11-30 07:44:35 | 説教要旨
イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。」

ヨハネの福音書4:13,14

御声に聞き従う

2012-11-29 22:54:01 | 聖書の言葉
2012年11月18日  説教要旨 第Ⅰサムエル記15章22節
『するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」』これは、預言者サムエルがサウル王に対して言ったことばです。
(1~2)「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。」と神は語られました。
 神は今も私たち一人一人に語ってこられます。旧新約聖書が完成している今、聖書を通して語られ、祈りの中で、また預言や摂理を通して語ってこられます。旧約時代は本当の預言者は預言を間違えませんでしたが、新約時代の今は間違いが含まれるので預言は必ず吟味しなければなりません。サムエルは子供の頃から神に仕えていました。子供の時に直接神の声を聞く体験をし、そこから預言者の活動が始まっていきました。神は特別な人だけでなく、一人ひとりにわかるように語ってこられます。“自分には語られない”と不信仰の思いをもつことがないように注意しましょう。
(7~9)サウルは最初は神のことばに従っていましたが、途中から従わず良い物を取っておきました。サウルにとって神のことばは全てではなく、自分の良いと思うことを大切にしてしまいました。
 一方、新約聖書に出てくる百人隊長は、神のことばが全てであることを知って信じていたので、「おことばをください。そうすればしもべはいやされます。」とイエスに求め、その信仰を神は喜ばれ、彼のしもべはいやされました。神のことばを第一としているかどうかが重要です。
(10~13)サウルを王にしたことを主は悔いられました。サウルは自分のために記念碑を造り、神でなく自分の栄光を求めました。そしてサウルは自分が神のことばを退けたことに気付いていなかったのです。自分を正しいとしていくと神の声に気付かないということを覚えておきましょう。
(14~22)どんなに素晴らしいいけにえより神に聞き従うことを神は望んでおられます。私たちも神が語られたことばに従っていきましょう。問題は許されますが、神に聞き、その神のことばに応答して従うとき素晴らしい神の計画が開かれていきます。(文責・木本)


罪の赦しを得させる悔い改め

2012-11-26 21:31:23 | 聖書の言葉
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。

彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。

彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」

それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。

さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」

そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。

さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 

それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。 ルカの福音書24章31~53節

五つのパンと二匹の魚で五千人の給食

2012-11-24 23:17:36 | 説教要旨
2012年11月11日  説教要旨 ルカの福音書9章10~17節
ここは五千人の給食のところです。イエスは喜んで群集を迎え、人々をいやしていかれました。いやしを通して多くの人の心が開かれ救われていったのです。イエスの働きはいつもいやしを伴っていました。
暗くなり動けなくなるといけないので今のうちに群集を解散させてください、と言ってきた弟子達に向かってイエスは、「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」と答えられました。弟子達は「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。」と、それが何になるのでしょうかと答えます。男だけで五千人、全部で数万人のパンを用意することは不可能という状況です。しかし神の働きは問題から始まります。私たちも問題が起きた時、まず感謝し主をほめたたえましょう。この時弟子達は“問題”に目がいっていました。神は無意味に問題を許されません。
イエスはまだ食べ物がない時に50人ずつ組にして人々を座らせました。受けたと信じる信仰を用いられたのです。イエスが感謝をささげて神に祝福を求め、五つのパンと二匹の魚を分けられた時、数万人の人々が食べて満腹するという奇蹟が起こりました。
私たちも今あるものを感謝して神にささげる時、神の奇蹟が起こります。神がやれと言われたら私たちは出来るのです。神が命じられた時、信仰の一歩を踏み出しましょう。その時神のわざが起こります。
今年多くの奇蹟があらわされます。信仰の応答をなしていきましょう。(文責・木本)