説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年9月10日 説教要旨

2017-09-24 19:23:38 | 説教要旨
2017年9月10日 説教要旨 
エペソ人への手紙4章25節~32節

「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」
先週は、私たちが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るという事について学びました。新しい人とはイエス・キリストの身代わりの十字架を信じ、罪を悔い改め、罪が赦され、永遠の命が与えられます。そして霊が生きたものとなった人のことです。ただ、ここで問題なのは私たちにその感覚がないことです。しかし、これは真実なので、大切なのはまず「新しい人になった」ことを信じ受け取ることです。主が言われたことを受け取るかどうかは、主の言葉の成就や実質と直接関わってきます。次に新しい人の歩みをすることです。私たちは罪人なので自分の意志や力でそれをすることができません。信仰の対応が必要なのです。「全てのことを感謝しなさい」また、「神の計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とありますから、問題や困難、そして人から何か害を受けた時も感謝をしていくのです。また、罪を悔い改めることです。どんな罪も悔い改めれば赦して頂けますが、そのままにする時に、罪を犯しているという感覚が無くなっていきます。また、握っている罪があるなら捨てなければなりません。そして主に従うのです。その時に新しい人の実質が現れてきます。もし、私たちが新しい人になったことを受け取らず、信仰を用いないならば、新しくされているにも関わらず、古い人の実質しか現れてきません。古い人の実質は25~31節にある通り、偽りを語る、怒り続ける、盗みや不正、悪いことばを語る、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり等等です。そしてそれは神の聖霊を悲しませんることになります。しかし、新しい人の歩みをしていく時に、(32)「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」という歩みへ変えられていきます。

2017年9月3日 説教要旨

2017-09-21 22:17:13 | 説教要旨
2017年9月3日 説教要旨 
エペソ人への手紙4章11節~24節

「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」

ここで五職と教会のことが述べられています。私たちはイエス様を信じる時に新しく生まれます。そして神の子になります。また、同時に私たちはキリストの体である、教会の一部となります。教会に関してはふた通り聖書に書かれています。
① カトリック、ギリシャ正教も含めて救われた人たちの群れ。
② 各教会の身体の一部(たとえば、いのちの冠福岡教会の身体の一部)
身体にいろいろな部分と機能があるように、それぞれに役割や働きがあります。「力量にふさわしく働く力により」と書かれているように皆さんお一人ひとりを通して身体全体が機能していくのです。そしてあらゆる結び目とあるように、礼拝に来るとか、いろいろな結び目があって、それを通して成長していくます。
「異邦人」と書いてありますが、ここではクリスチャン以外の方々のことを指しています。神を信じていない時、むなしい心で歩んでしまうということです。むなしくない事とは神様と神の言葉を信じる歩みです。ノンクリスチャンの方は人のことば(自分の思いや、他の人のことばしか持っていませんが、クリスチャンは神のことばが与
えられています。しかし、自分を見ると新しくなっていないと感じたりします。感じなくても実際に新しくされているのですが、信仰を用いなければその実質が現れてこないのです。たとえば「すべてのことについて感謝しなさい」とあり、神は「すべてを働かせて益としてくださる」とあります。もし私たちがみことばを信じ、感謝し従うなら新しくされた人の実質が現れ始めるのです。