説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

11月13日 説教要旨

2016-11-30 23:16:18 | 説教要旨
11月13日 説教要旨 
ヤコブの手紙2章17節

新年度のみことば「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。 」
今年のみことばは、信仰は行いが伴うものであり、行いがないなら死んだもの、ないのと同じと語られています。同じヤコブの手紙1章には「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」とあります。また、2章ではアブラハムがイサクを捧げたことが述べられています。信仰は実質(行い)が伴うものであることがわかります。そして信仰を用いるためには基になる信仰が必要ですが、聖書は「信仰は聞くことから」とあるので、基本的な信仰生活と共に、祈りが答えられた証しや感謝の祈りを通しての神の業が現わされた証しを読み、聞いていきましょう。
信仰を用いるポイントは、 
① 祈り (祈るか祈らないかで状況はまったく変わってしまいます。)
② 感謝 (感謝も深めていく必要がある)
A、 感謝する
B、 主を崇め、称えていく
C、 告白する。
③ 聞き従う
ジョージ・ミューラーは1万人以上の孤児を養い、300億円以上の必要を神から受けました。祈り聞き従う恵みは計りしれません。
新年度の歩みにおいて、神は教会、一人一人に計画をもっておられます。それに応答する歩みをしていきましょう。

行って実を結び

2016-11-30 07:52:52 | 聖書の言葉
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

ヨハネの福音書 15:16

2016年11月6日 説教要旨

2016-11-27 23:13:03 | 説教要旨
2016年11月6日 説教要旨 
ローマ人への手紙8章33~39節

「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 」とあります。私たちは罪を悔い改めた後も、罪責感に悩まされたり、人から過去のことを何か攻められたりすることがあります。しかし、きちんと悔い改めた罪は神の前には完全に赦され、忘れられています。(実生活で社会的な罪は償いが必要な場合がありますが)ある場合は過去の罪を繰り返し悔い改める人もいます。しかし、それは正しくありません。神が赦してくださったことを信じていないことになります。また、悔い続けてはなりません。神はそのことさえも益にすることができる神だからです。私たちはキリストを信じた時に赦されただけでなく、義とされています。そのみことばを信じ歩みましょう。私たちは義とされているので私たちの祈りは聞かれるのです。
また、問題や困難があっても「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」言っています。それはキリストの愛から私たちを引き離すことができるものは何もないからです。パウロは告白しています。「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」神さまは完全な愛をもって私たちを愛しておられます。神さまは私たちに最善以外なさいません。私たちの方で誤解して、神さまに愛されていない、忘れられている、見捨てられたと思ってしまうことはありますが、神が私たちを見捨てることは絶対にないのです。私たちには理解できないことが許されることもあります。その時もすべてのことを感謝していきましょう。神の最善の計画が現わされてくるからです。また、理解できないことについては放置せず、感謝と共に神さまに聞いていきましょう。必ず神さまは私たちの人生に答えを用意しておられ、神の愛の深さ、高さ、大きさを知り、ご計画の完全さをみるようにして下さるからです。

2016年10月30日 説教要旨 

2016-11-24 23:05:41 | 説教要旨
2016年10月30日 説教要旨 
ローマ人への手紙8章28~32節

聖書はすべて神のことばであり、どの個所も重要ですが、特にこの8章28節はクリスチャンにとって大きな恵みのみことばです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」つまりクリスチャンにはマイナスが無い、すべてが益になると書いてあるからです。これは素晴らしい約束です。この恵みはすべてのクリスチャンに与えられている恵みですが、すべてが益となるというポイントがあることがわかります。それは「神を愛する人々」とありますから、神を愛している必要があります。神を愛するという時、それは神に従うということが内包されていることを覚えておかなければなりません。エペソ人への手紙5章22~33節では夫と妻、教会とキリストとの関係について述べられていますが、妻は夫に従いなさいとあり、それはキリストの花嫁である教会と神との関係と重ねて書かれています。より弱い者が現わす愛は、「従う」ということであり、それはキリストと教会に通じる奥義でもあります。私たちが神に聞き従うとき、神のご計画を選び、その中を歩んで行く時に、どんなことも神はすべてを益にしてくださり、祝福して下さるのです。
 また、ヘブル人への手紙12章には神は私たちを子として扱っておられ、愛する者にはムチを与えることも書かれています。神は私たちを救うだけでなく、成長へと導いていかれる方です。試練や問題を神が許される時に神は意図をもって許しておられ、私たちの益のために許しておられるのです。ですから、テサロニケ人への手紙第一、5章16~18にあるように、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝するのは非常に重要です。これは信仰によってなすことであり、私たちの肉からは自然には出てきません。ですから意識的に行っていく必要があります。心は落ち込んでいても、喜び、感謝するのです。最初は心が伴いませんが、信仰で行っていく時に、心も変えられ、実際に問題も益に変えられ解決されるのを見ます。神の言葉に従いましょう。すべてを働かせて神は益にしていかれます。