2012年8月5日 説教要旨 ヘブル書11章6節
信仰は神と私たちとの間の管です。信仰がなくては神に喜ばれることはできません。信仰は神のことばに従うことであり、感謝と聞き従いは信仰の重要なポイントです。全てを神が支配しておられることを認め、神を求める者には報いてくださることを信じなければなりません。ヘブル人への手紙11章は、アベルから始まってアブラハムやモーセなど神のことばを土台として聞き従った人たちの記録です。
(8~12)アブラハムは神からの命令に従って出て行き、確かにいろいろな失敗がありましたが約束されたところに留まり続けました。アブラハムは99歳になっても子どもはまだ与えられていませんでした。信仰の歩みをするとき私たちは試されます。しかし神の時が来た時にイサクが生まれ、数えきれない子孫が生まれてきました。神に従う時、すべてが益となります。神のことばによって生きる人が祝福を受けるのです。
(使徒16:30)神に従って働きをなしていたパウロとシラスでしたが、冤罪で捕まり、ムチで打たれ、奥の牢に入れられてしまいました。けれども、そのことを許された神に賛美と感謝、礼拝を彼らはささげました。神がおられること、報いてくださることを彼らは知っていたのです。そこから獄舎の土台が揺れ動き、みなの鎖が解けるという奇蹟が起こりました。そして看守と看守の家族も救われました。納得がいかないこと、理不尽と思うこと、ひどい目にあわされ、どうして神はこのことを許されたのかと思う時、その時にみことばにある対応をとりましょう。そうするとき豊かな神の祝福を受け取ることができます。信仰がポイントです。それは神のことばに従うことです。困難や問題、マイナスと思えることの背後に素晴らしい神の計画があることを覚えましょう。大きな勝利があらわされます。(文責.木本)