説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016-06-30 12:14:48 | 聖書の言葉
わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

ヨハネの福音書12:46

2016年6月12日 説教要旨 

2016-06-28 20:00:39 | 説教要旨
2016年6月12日 説教要旨 
ローマ人への手紙2章1~11節

「神は公平な方」
(1~2)「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。」
パウロは1章後半に書かれている異邦人の歩み(偶像礼拝・同性愛・人間関係の崩壊、等)をさげすんで裁いているユダヤ人に向かって、神のさばきの原則はユダヤ人も変わらないことをはっきりと語っています。自分は神の選民なので特別であり、罪の裁きから免れていると思っているユダヤ人もイエス・キリストを信じなければ罪の解決はなく、同じように滅びると警告しています。
イエス様は神の義ということについて、ルカ18:9~14で、たとえを語られています。罪赦されて神の前に義とされるのは、自分の義を誇っていたパリサイ人(宗教家)ではなく、自分の罪を認め、悔い改めた取税人でした。人の目に正しいと見える者ではなく、信仰によって義と認められるのです。神の前に正しいと認められる人はいません。どの国のどの人も滅びに向かっているのであって、すべての人がイエス・キリストの十字架の救いを必要としています。
また、終末の最後のさばきの時、神が裁かれるのは一人一人の行いです。そしてクリスチャンは十字架を信じたので行いで裁かれる事はありません。しかし、働きと言う面でさばきがあることが語られています。(Ⅰコリント3章)私たちは地上にいる間、神のみこころの人生を歩んだのかを問われる時が来ることを覚えて歩む必要があります。。
神は公平な方です。えこひいきはありません。永遠と永遠に価値あることに目を向けて歩んで行きましょう。


2016年6月5日 説教要旨

2016-06-25 19:59:30 | 説教要旨
2016年6月5日 説教要旨 
ローマ人への手紙1章24~32節

先週は、人類は神さまを認めない結果、知者であるといいながら愚かで虚しい偶像礼拝を
行うことになってしまったことを学びました。今日の箇所はその結果が書かれています。
神の裁きの特徴は「引き渡す」つまり見放されるということです。
神を認め知ろうとしない、求めることを無価値なものとしたため、神は人間を無価値なものに解き放たれたのです。
現代においても、好き勝手なことをし、行っていること自体が裁きの中にあることなのです。そして世の終わりには最終の裁きが行われます。
さばきの結果として、
①自分の身に害をもたらすようになった→同性愛、性の倒錯(ソドム・ゴモラの罪)
同性愛は人権の問題ではなく、罪と裁きの結果なのです。
人は愛する必要がありますが、同性愛、同性婚を認めてはならないのです。
・神のことばを守る、立つこと重要。黙示録3:8
今は神のことばを守るのが困難な時代になってきています。しかし、神のことばを守る者が勝利を得、携挙にも預かるのです。リバイバルの中でこれから多くの同性愛の方々が救われ解放されてくるでしょう。
②人間関係に問題が起きるようになった
人間関係が破壊されてしまいました。(救われた後も同じ問題は悔い改める事)
これがいまの私たち人類の本当の姿、現実です。しかし、神は愛と憐れみをもって、そのためにイエス様を送ってくださり、十字架で身代わりになってくださいました。悔い改め信じるだけですべての罪が赦される、ここに救いがあります。私たちはあらゆることを通して福音を伝えていく使命が与えられています。
特に一人一人に委ねられている方々に福音を伝えていきましょう。