説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

忍耐の末に

2010-10-31 23:03:06 | 説教要旨
神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。

「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」

こうしてアブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

へブル人への手紙6章13~15節
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写真は長崎の西坂、二十六聖人レリーフ

祈りと願い

2010-10-30 17:51:55 | 聖書の言葉
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、

大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

ヘブル人の手紙5章7節


ザンビア孤児院、愛犬の死に悲しむテリーズ

大漁

2010-10-29 20:56:48 | 聖書の言葉
イエスは彼らに言われた。

「舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば、とれます。」

そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き揚げることができなかった。

ヨハネの福音書21章6節

神のわざがこの人に現われるため

2010-10-28 11:31:14 | 説教要旨
2010年10月17日 【説教要旨】 ヨハネの福音書9章1~7節

(1~2)イエスと弟子たちが歩いていた時、道ばたにいる生まれつきの盲人に目を留められました。彼は誰にも顧みられない状況でしたが、主は彼に目を留められました。神様は私たちひとりひとりに目を留めておられるお方です。しかし、盲人を見た弟子たちは、「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか」とイエスに質問しました。(当時、病気は罪から来ると言われていました)
この盲人本人も、自分はなぜ盲目に生まれなければならなかったのか分からずに生きて来たと思います。そして、貧しく困難な長い時が経て、この時にイエスに出会ったのです。
(3)イエスは「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と答えられました。誰が悪いのでもなく、むしろ神の栄光が現されるためです。このことの背後に良いこと、素晴らしい神の計画がある…とイエスは全く違うことを語られました。
人の思い計ることは限られています、また、バチが当ったとか否定的なことを考えます。しかし、イエスはそれを超えて違うことを語られました。私たちも神のことばを聞く必要があります。神は真実に私たちを愛しておられ、神の思い、考えは人の考えとは違うからです。
また、一つは『時』があります。自分の人生や家庭、教会などでどうしてこの事が?…と理解できないようなこと、困難が許される時がありますが、ある『時』が来た時にハッキリと示され、そしてそれは素晴らしい神の計画が始まる時となっていきます。神が語られることを私たちは聞く必要があります。人の計画と神の計画は違います。すべてのことを感謝することと、神のことばに耳を傾けていきましょう。
(6~7)イエスはつばきで泥を作られ、それを盲人の目に塗られました。そして盲人がイエスのことばに従って、自分で歩いて行って池で洗ったところ、見えるようになりました。彼は盲目というハンディを持ち苦しんできましたが、そのことゆえに素直に低くなってイエスのことば、神のことばに従うことが出来ました。そして彼は自分が神に愛されていることを知り、神の業と計画の偉大さを知ることができたのです。彼は低く弱くされていましたが、神のことばに対する霊の目が開かれていました。私たちは霊的な目が見えないと神のことばを受け取れません。神は私たちの心を低くし単純に従う祝福に導かれます。これから神のことばの成就が一人一人に、群れに現されます。さらに神に期待し神のことばに従っていきましょう。      (文責・木本)

写真はアフリカのザンビア孤児院の子どもたち


真理

2010-10-27 00:24:36 | 説教要旨
わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。

真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。

ヨハネの福音書18章37節
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写真はチャリティーライブ