説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

全世会に出て行き

2012-11-12 22:57:02 | 説教要旨
2012年11月4日  説教要旨 マルコの福音書16章14~20節
イエスは天に帰られる前の大事な時に大宣教命令を語られました。(14)イエスは十字架に架かられ、死んで葬られ、三日目に復活され御霊の体になられました。そして11弟子達が集まっているところに現れ、弟子達の頑なで不信仰な心をお責めになりました。それは復活したイエスと出会った人々のことばを信じなかったからです。弟子達はイエスが十字架にかかられた後も不信仰でした。主のことば、主の約束を信じることが重要です。神は“あれが出来ていない、これが出来ていない”と責められたのでなく、信じなかったこと、不信仰を責められました。信じていないとわからないことがあり、従えないのです。けれどもその弟子達に大宣教命令を語られました。私たちも自分の不十分さを見て駄目だと思ってしまうのではなく、命じられた方に目を向ける必要があります。そして(15)私たちにも「全世界」 と語られています。宣教の範囲は「全世界」です。そのことを意識しておく必要があります。「献金をすること」「祈ること」「実際に出て行くこと」と、一人一人それぞれの召しがあり、三つとも必要ですが、やはり海外に“出て行く”ことを語られています。これは神の命令です。そして命令に従う教会、人は神がともにおられる顕著な働きを見、また祝福を受けます。(第Ⅱコリント5:17)福音の力は素晴らしく、新生していく力、造り変えていく力があります。福音を伝える時人は変わります。どんなに頑なな人も変わるのです。私たちは福音を宣べ伝えていく必要があります。救うのは神です。しかし福音を伝える人が、手を置いていやしの祈りをする人が必要です。私たちの周りには福音を語るべき人が沢山います。その人々に福音を語っていきましょう。(16~18)日本も時が来ると多くのいやし、解放、救いが起こります。それは一方的な聖霊の注ぎかけです。聖霊のバプテスマは誰でも受けられます。異言を語ることは重要です。「いつも祈る」ということも異言で祈るならば出来ますし、また悪霊に対しても対応することができるようになります。聖霊が働かれる時私たちは用いられます。今まで学んできたこと、体験も用いられるのです。そしてクリスチャンは受けた恵みを流す時真に生かされます。私たちは宣教に召されています。今年、宣教のとびらを神は大きく開いていかれます。(文責・木本)