説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

わきまえのない者に悟りを与える

2018-07-16 11:09:16 | 説教要旨
みことばの戸が開くと、光が差し込み、
わきまえのない者に悟りを与えます。

詩篇119:130
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2017年10月1日 説教箇所

2017-10-20 22:12:52 | 説教要旨
2017年10月1日 説教箇所 
エペソ人への手紙5章21節~33節

キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。
「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。
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2017年9月24日 説教箇所

2017-10-17 22:10:42 | 説教要旨
2017年9月24日 説教箇所 
エペソ人への手紙5章10節~20節

そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
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2017年9月17日 説教要旨

2017-10-14 22:08:08 | 説教要旨
2017年9月17日 説教要旨 
エペソ人への手紙5章1節~9節

「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」

私たちはイエス・キリストの十字架を信じた時に罪が赦され、神の子どもとなります。その私たちを神は愛しておられます。どのような愛で愛されているかというと、そのままの私たちを愛しておられます。罪人であり、弱い者、愚かな者である私たちを愛しておられ、十字架でひとり子のイエス様を私たちの身代わりにするほど愛され
ています。しかし、私たちの方で実感がなかったり、よくわからないことがあります。このとき、問題なのは神様に接しないとわからないのです。大切なのは神様に触れ、交わりをもつことです。問題やすべてのことを神様の前に出して祈ったり、すべてを感謝したり、罪は悔い改め、教会に繋がり、主に従っていくときに私たちは神様を体験し、神様の愛を知っていきます。私たちが神様の愛を体験的に知っていかないと、真に「神様にならう者」、人を愛したり、「愛のうちを歩む者」となっていかないのです。

「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」

聖徒とはイエス様を信じた者のことです。私たちは罪人ですが、イエス様という尊い犠牲が払われているゆえに聖徒なのです。不品行は性的な罪、けがれは神様以外の霊的なものに触れること、むさぼりは貪欲などです。それらは口にするのもいけない、そして感謝に口を用いなさいと言われています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためは、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」また、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と聖書は言っています。私たちは信仰を用い、悪いと思う事や失敗、問題もすべてを感謝する時、神様が私たちの益のために働いて下さるのを見ます。
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2017年9月10日 説教要旨

2017-09-24 19:23:38 | 説教要旨
2017年9月10日 説教要旨 
エペソ人への手紙4章25節~32節

「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」
先週は、私たちが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るという事について学びました。新しい人とはイエス・キリストの身代わりの十字架を信じ、罪を悔い改め、罪が赦され、永遠の命が与えられます。そして霊が生きたものとなった人のことです。ただ、ここで問題なのは私たちにその感覚がないことです。しかし、これは真実なので、大切なのはまず「新しい人になった」ことを信じ受け取ることです。主が言われたことを受け取るかどうかは、主の言葉の成就や実質と直接関わってきます。次に新しい人の歩みをすることです。私たちは罪人なので自分の意志や力でそれをすることができません。信仰の対応が必要なのです。「全てのことを感謝しなさい」また、「神の計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とありますから、問題や困難、そして人から何か害を受けた時も感謝をしていくのです。また、罪を悔い改めることです。どんな罪も悔い改めれば赦して頂けますが、そのままにする時に、罪を犯しているという感覚が無くなっていきます。また、握っている罪があるなら捨てなければなりません。そして主に従うのです。その時に新しい人の実質が現れてきます。もし、私たちが新しい人になったことを受け取らず、信仰を用いないならば、新しくされているにも関わらず、古い人の実質しか現れてきません。古い人の実質は25~31節にある通り、偽りを語る、怒り続ける、盗みや不正、悪いことばを語る、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり等等です。そしてそれは神の聖霊を悲しませんることになります。しかし、新しい人の歩みをしていく時に、(32)「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」という歩みへ変えられていきます。
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