説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

永遠の栄光の中に

2016-07-28 08:04:16 | 聖書の言葉
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

ペテロの手紙第一5:10
コメント

万物の終わり

2016-07-27 08:04:33 | 聖書の言葉
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
ペテロの手紙第一 3:7

(彩雲)
コメント

2016年7月10日 説教要旨

2016-07-26 19:15:47 | 説教要旨
2016年7月10日 説教要旨 
ローマ人への手紙4章1~12節

「信仰義認」という基本的なことがローマ人への手紙には書かれています。
(1)信仰によって義とされるということは新しいことではなく、旧約のアブラハム
の時からあったことをパウロは語っています。
(2) 「もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることが
できます」とあるように、アブラハムは何度も失敗をしています。誰も神の前に義と
認められる者はありません。
(3)神はアブラハムが信じたことを義と認めています。(創世記15:1~6)
アブラハムは自分の子孫が天の星のようになると語られた時にそれを信じ、それが彼
の義と認められました。
(4~5)「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるな
ら、その信仰が義とみなされるのです。」私たちは誰一人例外なく罪人ですが、イエ
ス・キリストの十字架の贖いを信じるだけで義と認められるようになったのです。
(6~8)ダビデも姦淫と殺人の罪を犯しましたが、真に悔い改めたときに神からの
完全な赦しの恵みを受けました。
(8~12)アブラハムは割礼を受ける前に信仰によって義と認められたことが語ら
れています。私たちは律法を行うことによっては誰一人、義と認められる人はいませ
ん。律法は私たちが罪人であることがわかるだけであり、律法はキリストの救いに導
く養育係なのです。私たちは義の行いをしようと頑張るなら、またおなじところ、
「できない」に戻ってしまいます。信仰によって神に従うことが重要であり、神によ
り頼むことがポイントです。
コメント

決して失望させられることがない

2016-07-25 12:08:50 | 聖書の言葉
なぜなら、聖書にこうあるからです。
「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、
尊い礎石を置く。
彼に信頼する者は、
決して失望させられることがない。」

ペテロの手紙第一 2:6
コメント

いのちのパン

2016-07-24 17:27:52 | 聖書の言葉
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

ヨハネの福音書 6:35
コメント