説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

神にはできる

2016-08-31 12:16:26 | 聖書の言葉
イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

マルコの福音書10:27~28

2016年8月14日 説教要旨

2016-08-28 22:28:36 | 説教要旨
2016年8月14日 説教要旨 
ローマ人への手紙5章6~11節

私たちと神との関係の中心は愛です。私たちは優れているもの、好ましいもの、良いものを愛しますが、神の愛はちがいます。6~8節に神の愛について書かれています。「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」神さまは私たちが弱かった時、不敬虔な者であった時、罪人であった時に罪の身代わりに死んでくださいました。神さまはそのままの私たちを知っておられ、そのままの私たちを愛してくださっています。この神の愛を信じるのです。
ただ、この時、ある方々は自分は愛されていない、赦された気がしないと言われます。このとき、大切なことは、①みことばに立つこと。自分の感情や状況ではなく、みことばが神は私のことを十字架の愛をもって愛していると書いているから、「私は愛されている」というところに立つことが重要です。信仰に立つ時、みことばの実質をみます。②罪を握ったままにしないこと。例えば人を憎んでいたり、赦さなかったりすると、相手が悪くても憎しみは罪なので、自分が赦されているという自覚が持てなくなります。信仰によって赦しを宣言し、相手の祝福を祈るのです。その時から変わってきます。9~11節では敵であった私たちを神は憐れんで和解の道を開いて下さったことが書かれています。和解を願わなければならないのは私たち人間ですが、罪のためにそれができなくなっており、神の方からその道を開いて下さいました。私たちは今、キリストを通して神と和解し、平和が与えられ、大胆に神のみ前に出ることができ、交わりをもつことができるのです。さらに祈り、神の恵みを具体的に体験していきましょう。

2016年8月7日 説教要旨 

2016-08-25 22:27:22 | 説教要旨
2016年8月7日 説教要旨 
ローマ人への手紙5章1~11節

私たちは神から正しいとされる時救われますが、それは私たちが正しい行動をするから救われるのではなく、信仰によると書いてあります。
私たちは自分が罪人であることを認め、罪を悔い改め、イエス・キリストの十字架の贖いを信じることによって救われると聖書は言っています。
私たちはイエス・キリストを信じるならば赦され、義とされ、神との平和をもつのです。ですから私たちは神に裁かれる、罰が当たるなどと考える必要はなく、神との親しい関係が与えられ、祝福されているのです。
ただ、クリスチャンによって祝福を少し受けている人、ある程度受けている人、本当に受けている人がいます。これは神が不公平なのではなく、信仰によるのです。
私たちは信仰に立つ必要があります。3~4節で「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」と書かれています。私たちは患難は喜べないのですが、このとき、心が落ち込んでいても、目が据わっていたとしても、信仰によって「喜ぶ」ことを選び、意志をみことばに働かせる人はその祝福を見るのです。ですから、喜んでいきましょう。これは神がすべての問題を解決して下さる。すべてのことを益にして下さるから、喜びなさいということなのです。つまり、先に喜ぶのです。見てから喜ぶのは信仰ではありません。信仰とはみことばに立つことです。本当に喜ぶことが起こってきます。「練られた品性」とは「試験済み」という意味です。神はすべてのことをご存知です。忍耐を働かせ、揺るがない信仰の祝福、勝利をみていきましょう。

耐え忍びなさい

2016-08-23 12:52:41 | 聖書の言葉
こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

ヤコブ5:7~8