説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

狭い門

2010-05-31 16:04:21 | 説教要旨
努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。
ルカの福音書13章24節

弱さをもったままで

2010-05-29 23:32:31 | 説教要旨
2010年5月23日 【説教要旨】コリント人への手紙Ⅱ12章9節
今日はペンテコステ(五旬節)の礼拝です。ペンテコステは聖霊がくだり、信じる者の内に住んでくださるようになりました。聖霊の時代が始まったのです。そして今私たちの生きている時は後の雨の時代に入ってきました。これから素晴らしい聖霊のみ業、賜物を通しての働きとリバイバルがおこってきます。また、ここから教会がスタートし、終わりの時代が始まったのです。
 さてパウロは病気が許されており、それは彼の働きにも生活にもマイナスとなる事でした。そしていやしを求めましたが、神さまは「わたしの恵みは十分である。」と言われたのです。皆さんは今、自分に起こっていること、また、過去のマイナスと思えることを「恵みが十分」と受け取れるでしょうか?神さまは私たちの益のためにしか働けません。
 また、神は「わたしの力は弱さの内に完全に現れるからである」と言われました。実際、パウロは弱さを持ったまま、病いをもったままで主に従っていきました。その彼を通して神は驚くべきしるしと不思議のみ業、多くの人々の救いのみ業を起こしていかれました。
 以前のパウロは自分に頼り、自分の儀に立つ者でした。パリサイ人で律法を重んじ、クリスチャンを激しく迫害していきました。しかし、まことの神さまに出会い彼の人生は180度変えられてしまいました。神の恵みによって生きる者となったのです。そして神の恵みによって歩むことがどんなに素晴らしいかを体験していきました。イエスの弟子たちもイエスを裏切り、人々を恐れ、自分たちの弱さを知ったのです。しかし、実はそれがまず必要なことだったのです。その後に神は聖霊を注ぎ、彼らは真に用いられていきました。
私たちの歩みにおいても問題や弱さを覚えることが多く許されていきますが、それは神の恵みを知るときであり、神さまの素晴らしさを体験し、神の愛の完全さを知る時となるのです。ただ、ここで必要なことがあります。パウロは弱さを弱点を欠けを大いに喜んだのです。神がすべてを益にされるという信仰、神には何でもできるという信仰の現れです。受けたと信じる信仰の行為をしていったのです。
 私たちにおいても、信仰の対応をしていく必要があります。弱さを喜び感謝し、すべてを主に委ね、弱さをもったままで主に信頼し、したがっていきましょう。そのとき現わされてくるのは私たちの思いを超えた驚くべき神の業と栄光なのです。
(写真はザンビア孤児院の子どもたち)


家に帰って

2010-05-26 23:16:56 | 聖書の言葉
そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。

「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」

ルカの福音書8章38~39節

(写真はパトモス島。ギリシャ・パトモスチームの映像はこちら→)