説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

この山に向かって

2012-11-06 20:56:04 | 説教要旨
2012年10月28日  説教要旨 マルコの福音書11章22~24節
「この山に向かって」=山とは動かないものの象徴であり、私たちにとって不可能と思える問題や課題をさします。しかし、その山に向かって「動いて、海に入れ」と言葉を解き放つようにイエスは言われました。神はことばを通して天地万物を創られました。ことばは重要であり、特に神が語られたこと、約束して下さったことを語る時に神が働かれ、山(不可能)が動き始めます。
私たちは告白を通して神が今まで様々な業を現わされるのを見てきました。また、私たちの群れではこの一年、喜びの声、賛美の声をあげ続けました。リバイバルが起こったこと、児童養護施設が与えられたことを受けたと信じて声をあげ続けました。みこころにかなう祈りは聞かれます。私たちはすでにそれを受けたのです。同じように、各教会、個人においても、神が示されたこと、約束されたこと(確認が必要ですが)を口から出して解き放つことがポイントです。まだ、個人的にことばが与えられていない方も、聖書の約束はすべての人に与えられているものですから、聖書の約束を告白していって下さい。
「心の中で疑わず」とは心の中の疑いに立って行動せずに、疑いや恐れ、不安がきても、神のことばに立って告白し受けたと信じる信仰の歩みをやめないことです。
マタイの福音書17章20節では、弟子たちが悪霊を追い出せなかったときに、「あなたがたの信仰が薄いからです。」と言われました。薄い信仰「神さまは○○してくださるのではないだろうか」ではだめだと言っています。しかし、濃い信仰を持てと言われたのではなく「もし、からし種ほどの信仰があれば」「この山に、ここからあそこに移れと言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」
と言われました。小さな小さなからし種の信仰があれば良いと言われたのです。からし種の信仰とは告白する信仰であり、ことばを解き放つ信仰の行為です。日本人は否定的なことを言うと受け入れられやすく、神のことば、肯定的なことを言うと高慢だと思われたりします。しかし、神は私たちに与えられたことばを解き放てと語っておられます。11月から新年が始まりますが、群れに与えられることば、また、一人一人に与えられる神のことばを受け取り、その言葉を告白し、その言葉に立って信仰の歩みをしていきましょう。