説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

弱い者

2011-02-28 07:56:15 | 聖書の言葉
弱い者とみなしごとのためにさばき、

悩む者と乏しい者の権利を認めよ。

弱い者と貧しい者を助け出し、

悪者どもの手から救い出せ。

詩篇82篇3~4節


写真はカンボジア孤児院

あふれるばかり感謝しなさい。

2011-02-25 18:44:52 | 説教要旨
2011年2月20日 【説教要旨】コロサイ人への手紙2章1~10節1章8節

パウロはユダヤ教的教え、禁欲的な律法的教えが入ってきていたコロサイの教会に宛てて獄中でこの手紙を書きました。
(2:1~4)コロサイの町は文化的に発達していましたが、真の知恵と知識をもっているとは言えませんでした。パウロはイエス・キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべてかくされていると言っています。まことしやかな議論によって過ちに導かれないように注意しなければなりません。議論すると賢いように見えますが、それで惑わされたり混乱したりすることがあるのです。人の考えや議論は賢いようで浅はかですが、神の考え、神の知恵と知識は真理であり、人を救いに導き、人に幸福に導くものです。
(5~7)律法主義でなくキリストにあって、信仰にあって歩みなさいと言っています。キリストに根差しキリストにつながっているとき実を結びます。離れるなら実を結びません。キリストに信仰によってつながること、具体的なことのポイントは教会につながり、“あふれるばかり感謝する”ことが祝福を受け、実を結ぶ歩みです。
(8~10)だましごとの哲学とは、コロサイの異端的思想です。彼らは自分たちの議論に神を当てはめようとしていました。イエス・キリストの中に神の性質が宿っています。また、神は偏在でどこにもおられますが、満ちていると書かれているのは教会です。(エペソ1:20~23)教会にいるだけで私たちは祝福を受けていきます。
そしてまた、感謝をする時オセロのように黒が白にかわるのを見ます。「感謝」が●を○にひっくり返すポイントです。“こうであれば良かったのに‥”“この事さえなかったら‥!”ということを神は益に変え勝利してくださるのです。そしてそれを教会の中でなしてくださいます。それはイエス・キリストが教会のかしらであり、教会に満ちておられるからです。            (文責・木本) 


写真はイスラエル、大宣教命令が語られたと言われるアルベール山から見たガリラヤ湖