2012年7月15日 説教要旨 ヨハネの福音書15章16節
私たちが救われたことも神の選びです。救いも人生の歩みも神が私たちを選んで導いてくださっています。
(Ⅰコリント1:26~31)私たちが何か出来るから選ばれたのではありません。偉大なお方である神ご自身が、あえて無に等しい者を選んでくださり、弱い愚かな者である私たちを通して、素晴らしい栄光を現わし、実を結ばせてくださいます。今それぞれに置かれている職場や家庭、学校、教会に神が置いておられることを覚えましょう。
選ばれる者は少ないと書かれている箇所もあります(マタイ22:1~14)。王が披露宴を設け人々を招きましたが人々は来たがりませんでした。宴会に着ていく礼服も与えられて全員招待されていたのに来たがらなかったのです。(ここに宴会に来た人の中で「礼服を着ていない人」が出てきますが、これは王が用意したものを着ていない‥つまり異端の人をあらわします。十字架の救いを着ていない人は決して入れないのです。)皆選ばれているのです。しかし拒否してしまう時選ばれないのです。救いも歩みも同じです。礼拝に来ることも神の招きに応答していることになります。選びに応答することは私たち一人一人の選択です。神を選ぶとき、選ばれることを覚えてください。そして選んだ者には神のわざがあらわされます。
(ヨハネ15:16)「実」は救いの実です。それが中心で、そこに焦点があることを覚えましょう。救霊の思いを持てない時は神と交わりましょう。交わる中で「実」が残ることを求めていくことができます。また1時間祈ることが重要で恵みを受けるポイントです。祈れない時は教会で祈ったり、祈りの格好だけでもしていく時、それを信仰の対応として見てくださいます。神と交わり、さらに収穫に向かって進んでいきましょう。(文責・木本)