説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

試練はこの上もない喜び

2012-11-01 22:28:58 | 説教要旨
2012年10月14日  説教要旨 ヤコブ書1章2~3節、マタイの福音書25章21節
パウロ秋元牧師のメッセージの確認:(ヤコブ1:2~3)‘試練を最高の喜びと思いなさい’と書かれています。「思い込め」と言っているのではなく、最高の祝福を開くカギなので本当に喜べと言っているのです。つまり‘信仰の対応をしなさい’ということです。  《なぜ試練を祝福といえるのか?》 ①〔クリスチャンの問題は神によって解決される。又は最善がなされる。試練とともに脱出の道が与えられる。〕問題の中に解決を見いだそうとすると失望してしまいます。希望と解決は神のことばの中にあることを覚え、みことばを信じて感謝していきましょう。 ②〔試練は信仰のたて上げとなり、人格、品性をたて上げる。〕ポイントは信仰の対応をとることです。(第Ⅰペテロ1:6~7)(ローマ5:3~5)試練は希望につながります。ヨセフは兄弟に殺されそうになり結局売られて13年間奴隷の生活をしました。けれどもその中でヨセフは神と人とに愛され、憎しみ、恨みの生き方でなく困難のただ中で神のことばを見て歩み続けました。そして最後に彼はエジプトの総理大臣となったのです。奴隷生活の13年間は総理になった時の準備であり、その間に彼はたて上げられていきました。神は無駄に試練を与えられません。ヨセフはひどい試練の中でも神を恨むことはしませんでした。私たちも試練の受け損にならないように注意しましょう。試練の時に感謝をし信仰の歩みを全うしていきましょう。 ③〔開かれる神の計画〕試練は神の計画の中で祝福され、用いられます。試練を通して神が開かれるポイントがあり、それを受けることができます。“成就しない”と怒り投げ出すと神の祝福を最後に見ることができません。試練で約束を離す人でなく握り続ける人が勝利を見ます。けれども試練は嫌なもので、とても祝福とは思えません。しかし、「思いなさい」→つまり最高の祝福が与えられるので信仰の対応を取れ、と神は語っておられます。日々嫌なことがありますが、そのチャンスを活かして感謝していきましょう。
(マタイ25:21)ここは終わりの時のことが書かれており、賢い5人の娘と愚かな5人の娘の例えが出てきます。油を持っていなかった愚かな5人の娘は主人に戸を閉められて決して中に入ることができませんでした。これは携挙のことをあらわしています。また、タラントを用いた人は更に増し加えられると書かれています。霊的な賜物、また経済や時間、能力など実際的な賜物を用い、神が言われることをなすとき祝福されます。置かれているところで神に仕え、みこころを行っていきましょう。(25:34~40)孤児や困難な人たちを助ける働き、与える働きは神が祝福し報いてくださいます。そしてそれは携挙の一つのポイントとなります。この終わりの時代に神のために与えられている賜物を更に用い歩んでいきましょう。(文責・木本)