説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年3月6日 説教要旨

2016-03-31 20:58:10 | 説教要旨
2016年3月6日 説教要旨 
使徒の働き25章12~27節

パウロは祭司長やユダヤ人に訴えられて裁判を受け、長く留置されていました。州総督だったフェストはアグリッパ王が敬意を表するために来た時、「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」と話しました。フェストはパウロが何も犯罪を犯してはいませんでしたが、イエス様が生きていると証しし、福音を語っている事が問題となっていると、この問題の中心を捉えていました。主に従うと十字架を負います。パウロは復活の主を証しし、今も生きておられるイエス様を証ししていたからです。私たちが信じている神さまは生きて働いておられます。宗教を信じているのではなく、生ける神さまと交わり、共に歩んでいます。そのことを多く体験し、証ししていくことは神さまのみこころです。
ローマ人への手紙12章2節で「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一
新によって自分を変えなさい。」と語られています。私たちはイエス様を信じた時、霊は救われ、完全に新しくされているのですが、たましいの部分が日本人の文化、罪の思索の中で育ってきているので、そこを聖書のみことばの方に切り替えていかなければ、一新はされていきません。霊は新しくなっていても、生ける神さまを体験するということがありません。たとえば、すべてのことを感謝しないさいと聖書に書かれていても、私たちの思索や感情はナンセンスと感じてしまうのです。ですから意図的に、意識的に聖書のことばに切り替えていく必要があります。そして私たち一人一人がそれを選んでいく時に、神のことばの力、生ける神さまの力が解き放たれ、具体的な問題の解決や勝利を見ることを覚えてください。


2016年2月28日 説教要旨 

2016-03-28 20:56:56 | 説教要旨
2016年2月28日 説教要旨 
使徒の働き25章1~12節

パウロは2年も囚人としての生活を強いられ、ユダヤ人からは命を狙われ続けるという、とても困難な状況にありました。そして先の見通しの立たない状況にありました。
しかし、パウロはユダヤ人の陰謀の中にあっても、神から知恵を頂き、冷静に対応していました。また、祭司長たちは州総督に取りいってパウロを殺害しようと、人間的な方法を用いましたがうまくいきませんでした。
このとき、パウロの心の中には何があったのでしょうか。それは神のことばです。
「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使徒23:11)
必ずローマに行くことを神は語っておられ、それが成就していくことを彼は知っていたのです。
私たちの歩みにおいて大切なことがあります。それは私たちの中に神のことばがあるかということです。神のことばがあるならどんな状況の中でも神がとびらを開いていかれます。
毎日、聖書を読み、自分に語られる神のことばを聞き、また、自分の問題について神は何と語っておられるかを受け取っていきましょう。
また、よくわからない場合も聖書の約束やことばで私たちに適用できることばは、適用して信仰を用いていきましょう。
今年のイスラエルチームにガンが癒されて加わった2名の方がおられましたが、お二人とみことばを握り、告白し、適用していきました。私たちは漠然と神は助けてくださると思うのではなく、はっきりとみことばを握り、みことばに立っての信仰の対応をなしていきましょう。今年、神は私たち一人一人に奇蹟を現わし、栄光を現わそうとしておられます。