不良おやじの小言

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自由に、のびのびと、たった一度の人生

文明の衰亡

2006年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

高坂正暁の「文明が衰亡するとき」という本を37歳前後に 読んだ時、
なんともいえない印象深い思いを持ったことを 記憶しています。
その書物からの抜粋と感想です。

ローマ及びヴェネチィア文明の衰亡に対する考察を行っています。

1、ローマ文明の衰亡の説を下記の5つに分類して解説しています

①蛮族の侵入によって滅びた

②人間の変化ローマ建設時人間と衰亡時の人間がまったく異質のものだ

③自然の気候変化により生産が衰え衰退した

④共和制から専制政治に変化したために滅びた

⑤経済的破綻によって滅びた

⑤の経済説に面白い記述があります。

「ローマにおいてそれぞれ皇帝が「行政改革」を試みたがなかなか難しかったそうである。
例えば皇帝ユリアヌスは高官を4人に減らしたのであるが、彼の死後10年足らずの間に高官が2百人になり、彼が17人に減らした秘密情報官が3千人に増えたそうである。

こうした状況が官僚制を動かす為のコスト維持の担税能力を超えてしまった。
その犠牲者は中小の有産者であり、彼らは次第に大資産家に吸収されていった。
この大資産家たちは国家の圧力が耐えがたくなると、脱税や特例措置によって自らを守った----こうして危険な悪循環が現れる。
国家の支出の増大は耐え難い税の圧力を生み、そうした圧力は高官と大資産家の側の合法的あるいは非合法的な税の逃れの傾向を強める。

----この悪循環の帰結は一つであった。すなわち、巨大な国家の破産と、税を逃れ、巨大な資産を持つ少数の特権的な人々が政府から独立して、経済的小宇宙を作ることである。」

何か、日本の将来を暗示しているようではありませんか。

2、ヴェネツア色々と衰亡の原因が述べられていますが。

文明は滅びる時は新しい事業に乗り出す冒険の精神や活力の衰退と守旧的正確の増大、自由で開放的な体制から規制と保護の体制への変化、すなわち柔軟性の喪失と硬直化が滅ぼしてゆくといっています。

いろいろの話の中で政治手法の記述があります。

「直接選挙制というともっとも民主主義的であると誤解され易いが、それは大きな功績をあげたりして有名になった者が選ばれ易く、「大衆の支持」を得ているということで、強大な権力を持つ恐れがあるものである。
直接選挙に対するヴェネツア人の警戒心はまことに徹底していた、元首を選ぶ際まず共和国国会の議員のうちから、くじで30人を選ぶ。その30人をくじで9人に減らす9人は40人を選挙する。選挙された40人の中から、くじで12人を残す。その12人が25人を選挙する。

25人はくじで9人に減らされる。9人は又45人を選挙しくじで11人に減らされる。
残った11人が41人を選挙しようやく元首を選ぶ有権者になれるのである。
元首はこの41人のうち25票を獲得できて当選するのである。

なぜこのような複雑なことをしたのか、アトランダムな過程を作り、事前工作をほとんど不可能にした」

日本も政官癒着等を断ち切るため採用してはどうでしょうか。

昔の人は色々考えるものですね。また世襲制の貴族政治であったようですが、その仕組みは滅私奉公的な日本の武士のような性格を持っていたようです。

この本では特にヴェネツアの生き方が日本に似ており、
その文明の繁栄と衰退を検証し参考にしてほしいと呼びかけているようです。
ヴェネティアも資源がなく仲介交易による通商国家であり、
外交的には駆け引きがうまく、しかし嫌われることが多かったようです。

日本のことは下記のごとく述べています。

「日本は水資源と人的資源を除いて領土も狭く資源もほとんどない国であるが、1億以上の人口が良く教育され勤勉である。
しかし領土が狭く資源がないということは強大な国家となる基盤がないにもかかわらず広汎な通商をおこなって経済的に成功した。

(戦前には、日本品排斥運動や日本品に対する差別的輸入制限、日本への羊毛、スクラップ、石油の輸出制限と言うようなことが行われた。
要するに戦前の世界は、日本にとって狭い世間であった。
だからその狭い世間、息苦しい世界で、日本の生存権を確保するために、大東亜共栄圏と言うようなことを叫んでみたが、惨憺たる失敗に終わった。ところが皮肉なことに敗戦によって日本が得たものはGATT・IMF秩序への加入であり、
そこでは原則として、日本品は差別的制限を受けることなく、世界各国に輸出することができる。輸入の方は、お金さえあれば何でも買える。その結果、明治以来、初めてもっとも自由な世界が目の前に広がった。---他文章の引用)1960代池田首相の所得倍増計画等により、
戦後日本は高度成長した。」

最後に米国の衰退傾向についても述べています。

「戦争終結の際、日本の神風特攻隊や極度の愛国心に日本の再度軍事強国化を恐れた米国は、マッカサー・GHQを通じ日本の軍事的無力化を図りました。
戦勝国としては当然のことであると思います。

マッカサー・GHQは憲法の制定、天皇象徴制等矢継ぎ早におこないました。
しかし、その後ソ連や中国の共産圏の台頭が目立ち始め、
米国は日本を共産圏の防波堤にしなければならないと考えました。
従って日本に軍事力が必要と考えたのである。それが警察予備隊であり、いまの自衛隊です

(この時もっとも米国に抵抗したのは自民党の親分である
吉田茂と聞きます、彼は軍事の恐ろしさと軍事が財政を食いつぶすことを良く知っていたのではないかと思います。によって日本は軍事費に予算を食いつぶされることなく高度成長を成し遂げられたと私なりに思っています。)
----カッコ部部分は私個人の感想

しかし、その後60年経過し、結果としてよかったかは疑問なのです。
敗戦国であるが故に、米国の後を続けと、米国の政治・経済踏襲していき、日本の10年後が今の米国とよく言われました。
経済的には大量生産・消費社会を作りました。」

また米国に対等にものが言えて、立ち向かえる政治家は皆無
に近くなってしまったようなのです。

最近の民主党党首の訪米にみられる何でも米国賛成のような発言が目立ちます。
自民党も民主党の政治家も、米国参りは何か米国に睨まれたら政治家として生きていけないようなおぞましい行動がみられます。
政権をとるためには戦勝国参りが必要であるのかもしれないのですが。

このような状態で、日本で日本人が、どんなアイデンティティーを持てるというのでしょうか。
所詮敗戦国だから仕方ないことなのかも知れませんし、もちろん戦後の日本の経済発展と自由主義には米国に感謝しなければならないことも多数あります。

しかし、もっとも多くの米国国債を買わされ、日本としては800兆に近い国の借金を抱え、軍事費は増大傾向にあり(最新鋭機器と言われ、高額で中古兵器を米国から購入し)、
韓国・中国・アジア諸国からは米国の手先と言われ、なにか日本人の誇りまで売渡したような気になりませんか。

なんとか日本人がアイデンティティー取り戻せるよう政治家の皆さんがんばって。



コメント
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