Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

「プラスチックの祈り」白石一文

2022年05月20日 | 読書
ー 身体のプラスチック化。愛妻の「死」。タイムカプセル。失われた「母親の記憶」。
   鬼才が仕掛ける、あなたの日常と常識の打破。あなたはさながら迷宮をさまようが
  如く、この物語に魂を奪われるであろう。あなたはどこまでついてこられるか?
  読者を挑発するノンストップ問題作1400枚。
  これは天罰だと直感した。しかし、いったいなぜ?現実を侵犯する、この物語の力よ!ー
                            (本の帯より)
            

主人公の作家「姫野伸昌」は妻「小雪」を亡くし、酒浸りの毎日の中で足の踵のプラスチック化が始まり、
身体のあちこちがプラスチック化していき、それを解明していくストーリーでした。(4月20日に読み上げ)

分厚く重たい本のせいだけでもなく、読んでいてもよく分からない物語でした。
身体がプラスチック化していく気味悪さ以上に、主人公の記憶と周りの記憶と
がことごとく大きく食い違うことに不気味さを感じました。

主人公が言うには、
「『自分』というのは、頭の中で勝手に作り上げた、キャラのようなもの。
ひとりひとりが、『自分』という人間の作者であり、『自分の人生』というのは、
そうやって書き続けている一本の長編小説のようなもの」と。

個々の生き方、考え方で自分の性格も作られ、人生も進んで行くのだろうと私も共感。
自分で、良い人生を創作して楽しめば良いのだと。

主人公の記憶の混乱、欠落、、、読んでいても私も混乱し、登場人物の関係図作成が必要
でした。
結局、妻「小雪」にまつわる記憶の捏造もプラスチック化も、目指す目的はすべて小説を
書き続けるためだったのでは、と主人公が思っている辺りからちょっと私の中で謎が解け
てきたように思えました。

主人公の思いをまとめました。
「プラスチック化が異常ではなく、ありとあらゆる存在が本来はただのプラスチックに過ぎ
ず、「人生」という一個の有限な”物語”というサングラスをかけたときのみ、巨大なプラスチ
ックのかたまりであるこの世界を、我々は別の姿で見つめることができるのだろう」と。
    
 姫野伸昌(主人公)とは一体誰なのか?「私」とは誰なのか? (すべては物語?)

最後のページには。

 雨足はさらに強まっている。
 雨に煙る見渡す限りの風景がプラスチック化していた。
「私」はその荘厳な景色に見とれながら、小さな声で祈りを捧げる。
 物語よ、終われ。
 そして始まれ。