草なのに 台木とは・・・これは花の宰相「花相」です。

2012年06月05日 | 日記
        

これは4月10日と12日の、ある草の新芽です。にょきにょきという感じで伸びてきます。

この時はまだ、塀際にあり、陽もなんとか当たっていましたが、バラの苗もどんどん生育中で、
背の順に、あっちこっち動かしたりしてました。

そこで陽がよく当たる、庭の中心に引っ越しました。

次に写真を撮ったのは、5月4日 この葉、この蕾といえば・・・・
        

これは、シャクヤク(芍薬)です。

818年 弘仁9年 『文華秀麗集』に「芍薬」の名が出ています。(1)
嵯峨天皇の勅命により編纂された、勅撰漢詩集 全3巻。

ちなみに、ボタンの方は、806年には、空海が、唐より薬用に「牡丹」を
持ち帰ったようです。(1)

中国の最古の薬物学書(本草書)の『神農本草経』に中品(中薬)の一つとして
入っています。

江戸時代に「茶花」として観賞され、品種改良がおこなわれた「古典園芸植物」
の一つです。熊本藩では、武士の素養として園芸が重視され、奨励されたようです。
キク・朝顔・椿・花菖蒲・山茶花・芍薬の六花が特に盛んに栽培され、のちに、
「肥後六花」と総称されます。この熊本で育種され系統を「肥後芍薬」と
呼びます。(2)

残念ながら、庭のシャクヤクは、名前が不明です。

13日、まだ蕾ですが、花びらがだいぶ 顔を見せてきました。 後ろに咲くのは、
イングリッシュローズの「ダーシーバッセル」です。
    
     

5月16日 咲きました。
    

咲き進むと、中心部の花びらがどんどん伸びていきます。

属名は、Paeonia 「パエオニア」 この名は、ギリシャ神話の
「プルートがヘラクレスから受けた傷を治すために、この植物の根を
用いた医師のパエオン(Paeon)から取られています。(3)

5月17日 咲き揃ってきました。
   
  
   
花の形は一重咲き、八重咲き、翁咲きなどがあります。


庭のシャクヤクは、その後、5日ほどで、お別れでした。

5月26日、切り花で売っていた芍薬があまりにも綺麗だったので買いました。
2日後の28日の生け花の様子です。
    

  
咲き方に千重、万重咲きと書いたものがありましたが、まさにその通り。

       
 
ところが、次の日、花瓶は倒れ、一つの花が~~~
       

このような姿になりましたが、怪我の功名とはいえませんが、
花びら一枚一枚の、切れ込みや色を見て、感心し、さらに残った花の方も
内部がどのようになっていたか見ることができました。

       

花を後ろからも眺めて、萼も見たりしました。大丈夫な花も。
       

牡丹が「花王」と呼ばれるのに対して、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれるそうです。(2)

その「牡丹」を育てるのに、接ぎ木(台木)として使われるのが、シャクヤクで、草なのに・・台草ですね。

さてその後、庭では、こんなことに・・・「あれは、シャクヤクですか?」と道行く人に尋ねられました。
  

いいえ~実はその隣にあった、イングリッシュローズの「プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント」の
咲き進んだ姿です。 シャクヤクの葉の間に、バラの葉が見えます。
(このお名前のプリンセスは英国女王エリザベス2世のいとこで、バラの愛好家の同妃にちなむそうです。)

咲きたての頃はこんなお顔でした。
  


立てばシャクヤク となりにバラの花。

シャクヤクは、別名「貌佳花」とも。バラとともに、なんとも美しい花のかんばせ(顔)です。



(1)明治前園芸植物渡来年表 
(2)シャクヤクーWikipedia
(3)『花の西洋史事典』アリス・M・コーツ







音に聞く~浜寺公園のバラ~

2012年06月03日 | バラ園・公共園 
このレトロな駅舎は、南海電車の「浜寺公園駅」です。

今から105年前の1907年に建てられた、私鉄最古の駅舎です。

    

この駅舎は、明治から大正にかけて、日本銀行本店、大阪、京都両支店、奈良ホテル
日本生命京都支店 大阪市中央公会堂などを設計した、建築家辰野金吾によるものです。
これらの建物は、国の重要文化財であり、この駅舎は、登録有形文化財となっています。

さて今日は、お誘いを受け、浜寺公園のバラ園を訪ねました。
    

この浜寺公園は、駅舎よりも随分まえの明治6年(1873年)に大阪で公園と指定された
もっとも古い公園のひとつです。公園ができる前、このあたりは、白砂青松の景勝地で、
海水浴場があり、別荘地だったそうです。

広々とした敷地を歩いていくと、満開のバラが待ち受けていました。 
  

  

大きいマーメイドがありました。もう花の盛りは過ぎていましたがまだまだ美しいです。
    

  

      

ピエール・ド・ロンサールは、咲き終わって新しい枝が沢山出ていました。

   

可愛らしい小さな花で、満開の花がありました。
   


香りのよいダブル・デライトが咲き残っていました。
  

  
見渡すと
  

とてもきれいなピンク色です。
  

このみごとなつるバラは、ファイルヘンブラウ・・・ドイツ語で「すみれ色」です。
        

ここからは、原種のバラのコーナーになります。
   

    


中国を思わせるような池のほとりに 原種のバラがありました。スイレンはこれからです。



少し行くと、とても強いアメリカのバラ「ノック・アウト」などが沢山植えられていました。
  

このオレンジ色・・・確かにマーマレードを思い起こしますね。
  

こんなところに京のバラが・・・
  

富士のふもとに咲くバラも・・
  

坂をおり、目の前には、臨海工業地帯のエントツが借景となっていて・・・
  
かつての海水浴場のおもかげはありません。

「音に聞く、高師の浜の あだ波は かけじや 袖のぬれもこそすれ」

高師の浜は、この堺市浜寺から高石市あたりの浜のことで、有名な百人一首にもある
この歌は、祐子内親王家 紀伊が70歳の時の歌で、1102年5月に開かれた歌会、
堀川院艶書合(けそうぶみあわせ)で詠まれたものだそうです。ちなみに、堀川院は、
白河院の第二皇子で、鳥羽院の父です。29歳の若さで崩御されたようです。

はるか離れた都でも、高師の浜といえば、万葉集にもよまれた美しい浜で、
その波を詠むくらい有名だったのですね。

足元には小川が流れ、水車小屋がありました。かつては、こんな風景もあったのでしょうか・・・
  

 

  

 
  

すこし、最高の花の時は過ぎていましたが、まだまだ美しい花やこれからの蕾も沢山ありました。

出口を出てみた、ルージュ・ピエール・ド・ロンサールはこれから・・・バラの希望の蕾でいっぱいでした。
 

          

以前から、浜寺公園のバラのことを聞いていましたが、行ったことはなく
本当に「音にきく」でした。うわさどおり、美しい広大な庭園で、桜も多く、とても美しいそうです。
お誘いのおかげで、今日は一日、たくさんのことを味わいました。本当にありがとうございました。
 
  
    

バラとユリと3種の草花

2012年06月01日 | 日記
    

この花の名は、「スイカズラ」 花を取り、元から吸うと甘い蜜が
出てくることから、吸葛(スイカズラ)と名付けられたようです。

学名は、「ロニセラ・ジャポニカ」 スイカズラ科の常緑つる性植物です。

別名は、ニンドウ(忍冬)冬場を耐え忍ぶことから、この名がついています。

花の色が、白から黄色に変わるため、「金銀花」ともいわれます。

この上には、イングリッシュローズ第1号のコンスタンス・スプライが
咲いていました。
       
咲いていたのは数日で、数輪だったため、見落とすところでした。

英名は、「ジャパニーズ・ハニーサックル」

ヨーロッパや北西アフリカが原産の「ハニーサックル」はピンク色に黄色の
しべが綺麗な花。いつか植えてみたい花です。



      

この赤紫の花は、クレマチスの一種です。蕾から日に日に花が大きくなっていきました。
このあたりには、ピエール・ド・ロンサールがありました。
            



次の花は、「ジギタリス」 きつねのてぶくろです。

          

実は、これは植えたものではなく、随分以前に植えたものから飛んだ種がここで発芽し
咲いたものです。よく見ると、花に毛がいっぱい生えています。

ジギタリスは、ギリシャ語の「ゆび」を表すdigitalに由来し、花の形が指サックに
似ていることから。また、「きつねのてぶくろ」は、fox gloveからきている
ようです。

『花の西洋史事典』によると、
 「英語名は、アングロ・サクソン語の「フォックス・グルウ」
(Foxes-gleow)からきていて、グルウは鈴をアーチ状の支柱に大きさの順番に
 並べてある楽器のことである。」
とあり、ノルウエー語でもやはりキツネに関係して、「キツネの鈴」とか「キツネの音楽」
という名だそうです。


ほかにも薄いピンク色のもあります。そばにあるバラは「ローズ・ポンパドール」
       

「コント・ド・シャンボール」5月16日の蕾の姿。そして5月22日に咲き始めました。 
  

そして下の方の枝にも、沢山蕾がつきました。
  

すかしゆりが知らない間にバラの後ろで咲いていました。あまり香りはありません。
     

「コント・ド・シャンボール」の下の方に咲いた枝と一緒に飾りました。