これは4月10日と12日の、ある草の新芽です。にょきにょきという感じで伸びてきます。
この時はまだ、塀際にあり、陽もなんとか当たっていましたが、バラの苗もどんどん生育中で、
背の順に、あっちこっち動かしたりしてました。
そこで陽がよく当たる、庭の中心に引っ越しました。
次に写真を撮ったのは、5月4日 この葉、この蕾といえば・・・・
これは、シャクヤク(芍薬)です。
818年 弘仁9年 『文華秀麗集』に「芍薬」の名が出ています。(1)
嵯峨天皇の勅命により編纂された、勅撰漢詩集 全3巻。
ちなみに、ボタンの方は、806年には、空海が、唐より薬用に「牡丹」を
持ち帰ったようです。(1)
中国の最古の薬物学書(本草書)の『神農本草経』に中品(中薬)の一つとして
入っています。
江戸時代に「茶花」として観賞され、品種改良がおこなわれた「古典園芸植物」
の一つです。熊本藩では、武士の素養として園芸が重視され、奨励されたようです。
キク・朝顔・椿・花菖蒲・山茶花・芍薬の六花が特に盛んに栽培され、のちに、
「肥後六花」と総称されます。この熊本で育種され系統を「肥後芍薬」と
呼びます。(2)
残念ながら、庭のシャクヤクは、名前が不明です。
13日、まだ蕾ですが、花びらがだいぶ 顔を見せてきました。 後ろに咲くのは、
イングリッシュローズの「ダーシーバッセル」です。
5月16日 咲きました。
咲き進むと、中心部の花びらがどんどん伸びていきます。
属名は、Paeonia 「パエオニア」 この名は、ギリシャ神話の
「プルートがヘラクレスから受けた傷を治すために、この植物の根を
用いた医師のパエオン(Paeon)から取られています。(3)
5月17日 咲き揃ってきました。
花の形は一重咲き、八重咲き、翁咲きなどがあります。
庭のシャクヤクは、その後、5日ほどで、お別れでした。
5月26日、切り花で売っていた芍薬があまりにも綺麗だったので買いました。
2日後の28日の生け花の様子です。
咲き方に千重、万重咲きと書いたものがありましたが、まさにその通り。
ところが、次の日、花瓶は倒れ、一つの花が~~~
このような姿になりましたが、怪我の功名とはいえませんが、
花びら一枚一枚の、切れ込みや色を見て、感心し、さらに残った花の方も
内部がどのようになっていたか見ることができました。
花を後ろからも眺めて、萼も見たりしました。大丈夫な花も。
牡丹が「花王」と呼ばれるのに対して、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれるそうです。(2)
その「牡丹」を育てるのに、接ぎ木(台木)として使われるのが、シャクヤクで、草なのに・・台草ですね。
さてその後、庭では、こんなことに・・・「あれは、シャクヤクですか?」と道行く人に尋ねられました。
いいえ~実はその隣にあった、イングリッシュローズの「プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント」の
咲き進んだ姿です。 シャクヤクの葉の間に、バラの葉が見えます。
(このお名前のプリンセスは英国女王エリザベス2世のいとこで、バラの愛好家の同妃にちなむそうです。)
咲きたての頃はこんなお顔でした。
立てばシャクヤク となりにバラの花。
シャクヤクは、別名「貌佳花」とも。バラとともに、なんとも美しい花のかんばせ(顔)です。
(1)明治前園芸植物渡来年表
(2)シャクヤクーWikipedia
(3)『花の西洋史事典』アリス・M・コーツ