梅雨は、紫陽花・・・雨舞台

2012年06月15日 | 日記
  
このピンクのアジサイは、咲きたての西洋アジサイです。(6月5日)
西洋アジサイは、日本から、中国に渡り、さらにヨーロッパで改良されました。

これは、蕾の状態です。
  

咲き始めは、一枚の花びらが大きくなり、そして4枚が同じ大きさになります。
  

この紫陽花は、今から20年前ぐらいに、小さな鉢で買ったものです。庭の
小さな地面の隅に植わっている数少ないもののひとつで、一昨年時期外れに
剪定したので、去年は2輪しか咲きませんでしたが、今年は、12輪以上も
花をつけてくれました。
     


アジサイは、日本古来の植物で、万葉集に2首あります。万葉集の編者である
大伴家持(718-785)が詠んだ歌に、
         
 「言問わぬ 木すら味狭藍(あぢさゐ) 諸弟らが 練りのむらとにあざむかれけり」(773)   
    (物言わぬ木でさえ、 紫陽花のような移ろいやすいものがあります。諸弟らの巧みな占の言葉に
     私は、騙されましたよ。)・・・・(1)

橘諸兄(684-757)が詠んだ歌には、

 「安治佐為能(あぢさいゐの) 八重咲くごとく 弥つ代に いませ わが背子 見つつ偲はむ」(4448)
    (紫陽花の八重に咲くように、幾重にも栄えておいで下さい。わが君よ。私はその立派さを仰いで
     讃嘆しましょう)(2)があります。

このあとには、「右の一首は、左大臣、味狭藍の花に寄せて詠めり」とあります。
その後、平安時代には、ほとんど詠われていないようです。

また日本在来のアジサイとは、ヤマアジサイやガクアジサイのような、
中心部分に玉のような小さな花があり、ガクが花のように見えるアジサイと思われます。
これは、去年6月22日の庭のガクアジサイです。
    

紫陽花をアジサイと読むのは、源順(みなもとのしたごう)による編纂の辞書
『倭名類聚抄』に 「紫陽花 白氏文集律詩云、 紫陽花、和名阿豆佐為」
とあることからきています。

源順(911-983)は、平安中期の学者で、歌人。梨壺の五人のひとりであり、
三十六歌仙の一人でもあります。

白氏文集の巻第20にある
              何年植向仙壇上
              早晩移栽到楚家
              雖在人間人不識
              与君名作紫陽花
ここから取られているようですが、現在では、白居易が名づけたこの花がアジサイであったかどうかは
不明とされています。

ともあれ、日本では、アジサイを漢字で書くと「紫陽花」ですが、
中国語では、「八仙花」「繍球花」と書くようです。

  
これは「てまりてまり」という名のアジサイの6月5日の様子です。
  
花のひとつひとつがとても繊細なアジサイです。
これを調べてみると、「テマリアジサイ」というようで
日本で改良されていったものです。

花の周りから少しずつ花びらが大きくなり、色づいていきます。
次の3枚は、同じ花の外側から中心部にかけての様子です。
  

そして9日、一番最初の大きな一輪が整い、他の蕾も色づき始めています。
  

12日、大輪は花びらが幾重にも増えていきます。


15日、今日の西洋アジサイは。全体もまるで手品の花のように球形になっていて、、
花びらのピンクと中心の水色の玉がとてもきれいです。
  

「テマリテマリ」のほうは、少し赤味を帯びてきて、
なんだか輝いて見えます。
 

それぞれの、ハレ姿です。





5月のバラが終わると、いっきに花が無くなり、梅雨の雨にうなだれる草花。
でもアジサイは、曇りや雨の日のほうが、かえって生き生きしています。
この花の最高のハレ姿は、雨の日・・・だから梅雨は、アジサイにとって
最高の雨舞台なのです。



(1)『万葉集注釈』第4巻 沢瀉久孝 口譯
(2 『万葉集』四 日本古典文学大系 大意