日本では、変幻自在の宗教の人が多くて、
お正月、クリスマス、お彼岸など、シチュエーションに合わせて、フレキシブルに神様に敬意を払うのですが、
オーストラリアでは、国民の六割以上が、クリスチャンなのです。
若い時、思うところあって、キリスト教大学に行きましたが、多くの友達がクリスチャンである中、
私には、見えもしないものを信じきって、それを心の頼りに生きてゆけるなんて、
結構なことね!羨ましいわ!!
としか、思えませんでした。
宗教心の深さには、すごく個人差がありますが、オーストラリアの人の多くは日曜の朝に教会に行きます。
私は始め全く興味なかったのですが、
離婚した時、子供の周辺を、道徳的な事を教えてくれる人で固めたいと思っていたので、
"別に教会行っても、毒にならないんだし、いやだったら、いつでも辞めていいんだし" と、友人の一言で、
薦めてくれた教会に子供を日曜学校に行かせるのが目的で行き始めました。
私は、英語のヒヤリングが苦手で、まして早く喋られると、何を言っているのか分からないので、うたた寝をしに行っているようなものでしたが、
祭司様が、 "私たちは、皆、父の子だから、家族であり、教会は家” と仰ったので、
家族がここにいない私としては、それは結構なこと、と思い、大体の日曜日には、家族に会うため教会に通ううちに、
ふと気がつくと、周りの影響を受けて、(きっと賛美歌を歌って、自己暗示にかかったのかも?)
今ではすっかり、皆と同じように、神様にお祈りしてるのです。
で、気付いたのは、やはり神様を信じる事が出来たら、心が救われるということ。(それと、感謝が出来ます)
人間、神様を信じず生きてゆけるほど、強くは無いと思うのですけどね!
お正月、クリスマス、お彼岸など、シチュエーションに合わせて、フレキシブルに神様に敬意を払うのですが、
オーストラリアでは、国民の六割以上が、クリスチャンなのです。
若い時、思うところあって、キリスト教大学に行きましたが、多くの友達がクリスチャンである中、
私には、見えもしないものを信じきって、それを心の頼りに生きてゆけるなんて、
結構なことね!羨ましいわ!!
としか、思えませんでした。
宗教心の深さには、すごく個人差がありますが、オーストラリアの人の多くは日曜の朝に教会に行きます。
私は始め全く興味なかったのですが、
離婚した時、子供の周辺を、道徳的な事を教えてくれる人で固めたいと思っていたので、
"別に教会行っても、毒にならないんだし、いやだったら、いつでも辞めていいんだし" と、友人の一言で、
薦めてくれた教会に子供を日曜学校に行かせるのが目的で行き始めました。
私は、英語のヒヤリングが苦手で、まして早く喋られると、何を言っているのか分からないので、うたた寝をしに行っているようなものでしたが、
祭司様が、 "私たちは、皆、父の子だから、家族であり、教会は家” と仰ったので、
家族がここにいない私としては、それは結構なこと、と思い、大体の日曜日には、家族に会うため教会に通ううちに、
ふと気がつくと、周りの影響を受けて、(きっと賛美歌を歌って、自己暗示にかかったのかも?)
今ではすっかり、皆と同じように、神様にお祈りしてるのです。
で、気付いたのは、やはり神様を信じる事が出来たら、心が救われるということ。(それと、感謝が出来ます)
人間、神様を信じず生きてゆけるほど、強くは無いと思うのですけどね!
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