オーストラリアに住んでみれば

南国暮らしに憧れて、住み始めたオーストラリア。
住んで、暮らして、初めて分かる、色々な体験談をお披露目します。

オーストラリア AUTISM 事情

2017-04-30 21:27:18 | 日記
Autism というのは、自閉症のことです。


日本でも、こういった障害を持つ方はいらして、どういう風に暮らしていらっしゃるのかは知らないけれど、


こちらでは、自助団体も多く、理解するための無料講座も開かれたりして私も行ったことがあります。


今日は、私がピアノをお教えしている自閉症の子供のことを書かせていただきます。



Yukoは今年17歳で、日本人のお父さんと、オーストラリア人のお母さんとのハーフで、とても美人さんです。


私が Yuko と出会ったのは、もう、4年くらい前でしょうか?




自閉症といっても、色々な種類や程度があって、みんな違いますが、主な特徴は、人とコミュニケーションが取れない、


とか、愛着が持てないとか、目を合わせないとか、多動的であるとか、色々言われていますが、皆、程度も症状も違います。


でも、私は彼女を普通の子供だと思ってお付き合いしてきています。



何故かというと、


Yuko は、皆が、諦めて、しゃべりかけない、教えようとしない、それは、Yuko が、普通に答えることができないから、


ということを、Yuko 自身が気づいているのではないかと思うからです。


なぜそう思うか?



それは、時々、手ごたえがあるからなのです。


ほんのたまにですが、心が通じた気がする時があるのです。


どういうことかというと、私が思うことをYuko が感じて、それに的確にこたえる時があるのです。


多分、Yuko は、他人の思惑を予想することが難しく、そうすると、自分自身の気持ちと、行動がハウリングして、


自分で解きほどけなくて、答えることが出来ないだけだと思うのです。


答えは、持っているのです。


Yuko には、どうしても答えたくなる質問が必要なのです。



Yuko の眼の奥を見て、話しかけます。


彼女はいつもするように、言葉を真似し、繰り返そうとします。


でも私は、Yuko に、そうさせないように、一心に話しかけ続けるのです。


すると、いつも彼女のお世話をされる養護院の先生が



”彼女にそれはわかりませんよ””自閉症には、無理なんですよ”と、教えてくださいます。


そして、どうやって彼女を誘導するのかやって見せてくださいます。


でも、私は、そうせずに、彼女と接していたいと思っているのです。



  ”信じて、そういう風に扱うこと” が、そういふう風にならせること、だと思っているのです。


もしも私が、養護院の先生のように、四六時中、彼女と一緒にいるなら、きっと、


そういう考えはできなくなると思います。そして、


先生のやる風に、扱うのが正しいんだ、と思うと思います。


でも私は、ピアノのレッスンの時だけしか会わないので、其れができるはずなのです。


専門家の方が、Yuko を、決まった合図で、決まった行動させるのを見ると、


専門家の扱うように、自閉症の子供として、扱ったほうが、


Yuko も分かりやすくていいのかもしれないと、思うこともありますが、


諦めるもんか、と、思い直すのです。


信じてあげなかったら、 Yuko は自分の能力を使うことを忘れてしまうような気がするのです。



例えば、耳の悪い方が、悪いほうの耳にだけ補聴器を付けると、良い方の耳が、聞こえなくなることがあるそうです。


何故かというと、補聴器を使う方が、楽なので、そちらばかり使うようになるからだそうです。


例えば、赤ちゃんだって、出が良くて飲みやすい哺乳瓶でミルクを飲むことを覚えると、


出にくいおっぱい、吸わなくなってしまいます。



最初、Yuko とは言葉が全く通じませんでした。


叱っていないのに、私の表情が厳しいと、きっと、否定されたと思うのでしょう、悲しそうにします。


都合が悪くなると、自分の世界に行ってしまいます。


ピアノを教えるという、前の段階で、先ず、ピアノを弾き始めてくれません。


ピアノなんて、教えられるんだろうかと思いました。



でも今は、完ぺきではないけれど、かなりうまく色々な曲を弾けるようになっています。


ピアノのグレーディングの試験に備えて、いつもと違うことをしても、落ち着いて対応してくれるようになりました。


うまく弾けたときは、自分でも得意そうです。


分かっているのです。


負けそうになる時もありますが、何とか、諦めず、彼女の可能性を信じてゆきたいと思います。



間違っているかもしれないけれど、彼女にとって、必要なことだと思っています。




”可能性は無限である”




わたしの一番好きな言葉です。


お父さんは、残念なことに、今、彼女のお世話をしていなくて、お母様が、一人で一生懸命、Yuko を育てています



私は、Yuko のお母さんを、応援しています。