1996年2月、法務大臣の諮問機関である法制審議会は、希望する夫婦には結婚前の姓を称する事を認める「選択的夫婦別姓制度」導入の答申をした。法制審の提言は基本的に法制化されるのが慣例であり、民法改正の手続きへと進むものであるが、今日に至っても導入されていない。
この原因は何か?これには、今日の自民党政権の思想的宗教的源泉でもある「日本会議」(1997年5月30日)やその前身である「日本を守る国民会議」(1981年10月27日)などによる執拗で大規模な反対運動が継続して行われてきたという背景が存在するのである。
1995年12月には、「日本を守る国民会議」などは「家族の絆を守り夫婦別姓に反対する国民委員会」(代表上智大教授渡辺昇一)を結成し、署名集めや地方議会での反対決議要求、国会議員への陳情活動、波状的な国民集会などを開催していた。
答申提出後には、日本会議の代表委員となった長谷川三千子氏が日本会議の機関誌と見做してよい『祖国と青年』(1996年3月号)に、
「家制度というものがかっきりあればあるほど、いろんなところで各人の不満というものは当然出てきますよね。ただ問題は、不満があったら即「ああ、不満ですか、解消しましょう」と、そういう仕方で向かうのが良いのか、不満は不満でもそれはある程度仕方のない不満だという格好で、各人が我慢しなくちゃならないのか、という事です。あんまりひどい不満だったらこれは何とかいたしましょう、でも大した事のない不満だったら我慢してください、というバランスのとれた議論というものが、殊に家族の問題に関しては非常に少なくなってしまっていますね。……今のフェミニストたちの主張の通りに、この不満も解消する、あの不満も解消するといって次々解消していくと、どういう事になるかというと、益々女性の我慢の能力というものが低下していって、今の女性が軽々こなしているような生活も、これから二、三十年先の女性になると、もう耐え難くなるかもしれませんね。そうするともうきりがないという事になる」
と反対理由を述べている。
1996年5月には、橋本龍太郎首相(自民党政権)に夫婦別姓を要望。同年12月には、夫婦別姓反対決議が281議会、同国民署名が100万人突破。
2002年3月には、夫婦別姓に反対する国会議員署名が117人、国民請願署名が170万人に達した。
2010年には、夫婦別姓法案反対運動実施。
(2022年9月4日投稿)