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対米英宣戦の大詔(詔書)にみる昭和天皇の外交認識と目論見

2023-12-11 20:20:49 | アジア・太平洋戦争

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、対英米宣戦の詔書(天皇の言葉、命令)を、真珠湾奇襲攻撃開始(日本時間12月8日午前3時20分、ハワイ時間7日午前8時20分、ワシントン時間7日午後1時20分)の約8時間後の日本時間8日午前11時過ぎに国民に発表した。ちなみに、野村・来栖両大使が米政府のハル国務長官に最後通牒を手渡したのは攻撃から1時間後のワシントン時間12月7日の午後2時20分(ハワイ時間午前9時20分)で、交渉打ち切りの宣言のみで開戦の意志は明示していなかった。英国政府にはまったく事前通告なしに攻撃を開始した。 

 詔書(天皇の言葉、命令。攻撃開始8時間後の8日午前11時過ぎに国民に公表)の大きな特徴は、宣戦の相手国は「米英国」であり、この戦争の責任は神聖天皇主権大日本帝国政府の真意を理解しない中(米英)国側にあり、大日本帝国政府は無謬で絶対に正しく加害責任も一切なく、むしろ被害者でありこの戦争は「自存自衛のため」の戦争あるという認識を主張しているとともに、そのために「既存の国際法秩序を破砕する」と宣言している事である。

 大日本帝国政府が「無謬で絶対正しく加害責任も一切ない」という事に関しては「東亜の安定を確保し以て世界の平和に寄与するは丕顕(大いに明らか)なる皇祖考丕承なる(受け継ぐ)皇考の作述せる遠猷(遠大な計画)にして、朕が眷々(ひたすら)措かざる所、而して列国との交誼を篤くし万邦共栄の楽をともにするは之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり」とするが、それが「今や不幸にして米英両国と釁端を開く(争いの始まり)に至る、まことに已むを得ざるものあり、豈朕が志ならむや」とする。その上で、

 中華民国政府に対しては、「先に帝国の真意を理解せず、濫りに事を構えて東亜の平和を撹乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、ここに四年有余を経たり、幸いに国民政府更新するあり、帝国は之(汪兆銘南京政権、日本の傀儡政権)と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権(蒋介石政権)米英の庇護を頼みて兄弟尚未だ牆に相せめぐを改めず、米英両国は残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞しうせんとす、その上同盟国を誘い帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、遂に経済断行を敢てして帝国の生存に重大なる脅威を加え、朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきにわたりたるも彼は毫も交譲(互いに譲り合う)の精神なく徒に時局の解決を遷延せしめて、この間却って益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめんとす」との認識を示し、その結果「東亜の安定に関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆(危うい状態)に瀕せり」とした。そして結論として「帝国は今や自存自衛のため、決然起って一切の障礙を破砕するの外なきなり、皇祖皇宗の神霊上にあり、朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚(信頼)し、祖宗の遺業を恢弘(大きく押し広める)し速やかに禍根を芟除(刈り除く)して東亜永遠の平和を確立し以て帝国の光栄を保全せんことを期す」と国民に表明しその実現を命じているのである。

(2023年12月11日投稿)

 

 

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