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改訂版:後藤正文の朝からロック「親方は日本国籍」(朝日新聞)、にうかがえる偽善

2019-07-05 13:02:54 | メディア

 2019年7月3日の朝日新聞記事「後藤正文の朝からロック『親方は日本国籍』の狭量」を読み、横綱白鵬が「大相撲」の窮状を救い、再興の原動力として活躍してきた姿を見てきた、そして今活躍している姿を見ている相撲ファンとしては、白鵬に対する評価については後藤氏の言われる通りでまったく同感である。また、外国人力士が親方になる条件として日本国籍を必要とする事についても、後藤氏の「国籍に関わらず、人を人として扱う事」という考え方にまったく同感である。

 しかし、後藤氏が「それを当然とする社会に生きていると信じたい」と述べている事がひじょうに不愉快である。これまでどのような生活を送って来たのかと不思議に思ってしまう。日本の社会が後藤氏の言うような社会では無い事は小さい子どもでさえ知っている。現実の日本社会はその正反対そのものであり、そのために外国人はもちろん国民はつらい思いをしてきたのでありしているのである。まったく現実認識が誤っておりずれていると言いたい。

 また、「人を人として扱う社会」は、それを阻害している者に対して、それを願う自らの努力や闘いがあってこそ実現できるのである。「信じたい」と願っているだけでは実現しない。日本社会はそんな甘いものではない。

 また、使う言葉や表現の仕方にはその人の思想が表れる。外国人が置かれてきた置かれている状況についての知識も備えておられるようだけれど、それにしてはなぜ「日本に帰化する」という言葉を使っているのか疑問である。「帰化」とは本来、「外国人が君主の徳に感化されて帰服する」という意味である。「国籍取得」が使用すべき適切な言葉である事を認識されていないようだ。ただし、日本国籍の取得が必要である場合にである。しかしもう少し深く考えてみよう。

 「国籍を日本に変更せよというのは、狭量だと感じる」としているが、この問題は「狭量」などという「心が狭い広い」という度量の問題に矮小化してはならない。極めて明確な憲法法律に関わる人権侵害問題として認識し判断すべき問題として理解すべきである。白鵬は力士を職業とする外国人労働者である。その白鵬に2014年5月には安倍晋三首相みずから内閣総理大臣杯を授与もしているのである。日本政府は、外国人労働者に対して、内外人平等主義の原則に立脚している。また、1995年12月15日には人種差別撤廃条約に加入しているのであるから、白鵬の国籍の件について安倍自公政府は自己の責任を回避できない極めて政治的な問題であるという自覚をもつて、白鵬の人権を尊重する形の対応をする事こそが妥当な解決であろう。後藤氏の言葉からはそのような視点をうかがえない。

 以上のような疑問点から、後藤氏は偽善者(本心からではなく、見せかけで善事を行う者。善人を装う者)であるとうかがえるのであるが、いかがなものか。

(2019年7月5日投稿)

 

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