2020年4月14日、新型コロナ感染拡大阻止対策として休業要請を始めた大阪府のコールセンターには「対象となった店舗が営業している」といった匿名の通報(換言すれば密告)が約100件届いている。そのほとんどはパチンコ店で、レンタルビデオ店も含まれていたという。同月20日現在では、パチンコ店が最多の約370件、カラオケや風俗店など遊興施設が約120件、時間外の営業や酒を提供している飲食店関係などが約70件など、合計約640件届いているという。それを根拠に、
大阪府知事・吉村洋文氏(大阪維新の会、国政では自民党の補完勢力)は2020年4月23日、休業要請に応じず、営業を続けている事業所(店舗)に対し、電話で休業を要請し、それにも応じない場合は要請文を送付し、府のHPで事業所(店舗)の名称を公表するとした。
しかし、この「公表」という手法は前近代的で人権を尊重しない「見せしめ・見懲らし」以外の何ものでもない。主権者市民(国民)が求めている「安心・安全」な経済活動や日常生活を持続するうえで納得のできる保障をする視点こそ最重要とする「手法」とは到底思えない。
このような「手法」は、国民(臣民)生活や経済活動を保障しなければならないとする認識とはまったく相反するもので、国民(臣民)に対し一方的に抑圧拘束強制し崩壊させ悲惨な目に合わせ苦しめた神聖天皇主権大日本帝国政府の手法とまったく同根である。つまり、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」などという目標を掲げた戦争協力の生活を強いたのと国民観は同じだという事である。第1次近衛文麿政府が、1937年7月7日の盧溝橋事件を発端に日中全面戦争を開始し、同年10月には、「国民精神総動員運動」を開始し、38年には「国家総動員法」を公布し、1939年には、多くの「戦時立法」を行った。3月「賃金統制令公布」、10月「価格統制令公布」、12月「小作料統制令公布」、2月「鉄製品回収開始」、4月「米穀配給統制法公布」「外国映画上映禁止」、6月「パーマネント廃止」「ネオン廃止」、12月「白米制限」「木炭配給制実施」、9月「興亜奉公日実施」などの統制を次々と実施した。
帝国政府は「興亜奉公日」にどのような生活を求めたのだろうか?「興亜奉公」とは、アジアを活性化するために、戦場の労苦を忍び私生活を二の次にして、「公け」のために「奉仕」するという意味である。この日には全国民が朝早く起きて神社に参拝させ、食事は一汁一菜で質素にさせ、禁酒禁煙、子どもは梅干し一つだけの「日の丸弁当」、「勤労奉仕」に励ませ、飲食・接客の各業種は休業させた。「興亜の大業を翼賛」(戦争遂行に協力)させるために、個人生活の色々な欲望を抑圧し、きりつめさせ、真面目に働かせる日であった。そして、帝国政府に反発し違反する国民(臣民)は「非国民」と非難し孤立させ、厳しく罰し「見せしめ」とする事によりすべての国民を従わせたのである。
このような過去をみれば、帝国政府への回帰を目指す自民党とその補完勢力である維新の会が上記のような「密告」による「公表」などの手法を、どのような業種に対してであれ、行使する事に対しては、主権者市民(国民)は決して手放しで賛成してよいものではなく、警戒をすべき動きと見なければならないと思うのである。
マルティン・ニーメラーの言葉から学ぼう。
「ナチスがコミュニスト(共産主義者)を弾圧した時、私は不安に駆られたが、
自分はコミュニストではなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスはソーシャリスト(社会主義者、労働組合員)を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが、自分はソーシャリストではないので、
何の抗議もしなかった。
それからナチスは、学生(教育)、新聞人(マスコミ)、ユダヤ人(少数者)と、
順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大したが、
それでも私は行動に出なかった。
ある日ついに、ナチスは教会(宗教)を弾圧してきた。そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが、その時は、すべてがあまりに遅すぎた。」
誤解のないように最後につけ加えておきます。私は上記の業種、事業所、店舗などと一切関わりはありませんので誤解のないように。