2020年2月28日、天皇陛下即位に伴う皇室行事とされている大嘗祭の終了により、大嘗宮を建築していた皇居・東御苑で、天皇家の私的使用人である「賞典」により祝詞の読み上げなどの地鎮祭が行われたという。
ところで、メディアは地鎮祭について、主権者国民に対し、主権者が知識を広め判断力を高める事ができるようにもう少し詳しい説明をすべきであろう。それは、
地鎮祭というと直ちに神社に関係する宗教儀礼と考えがちであるが、そうではなく色々な地鎮祭が存在するという事を。同様の儀礼は、仏教各宗においても、密教の真言宗の地鎮式、浄土系の浄土宗や浄土真宗の地鎮式、日蓮宗の地鎮式などがある。新旧のキリスト教でも定礎の際に祈りを行う。神道系でも、白川神道、吉田神道などの地鎮祭が古くから行われている。この度の天皇家(皇室)の地鎮祭は、神聖天皇主権大日本帝国政府が神社神道を国教として整備(国家神道)した際に国家神道の儀礼の一つである雑祭として定型化したものであり、特定の土地(植民地なども)を清め(地元の神を追っ払い)天照大神などの守護を受ける事を目的とする宗教儀礼である。
国家神道体制下の国民学校では、『初等科国語三』の「地鎮祭」という教材により、個々の土地に神が存在するとして子どもたちを洗脳していた。それは、
「校長先生が、地鎮祭というのは、新しく家が立つ土地の神様に申しあげて、その家を、いつまでも守っていただくように、お祭をするだいじな儀式だと、お話なさいました。……神主さんは、大麻をふって、みんなのおはらいをしてくださいました。それから、『オー』と声を高くあげて、神様のおいでになる先払いをなさいました」というものである。
また、『満州補充読本巻六』改訂版の「関東神宮地鎮祭」(神聖天皇主権大日本帝国政府の租借地・旅順)という教材では、「祭場の入口には、麿磐山の濃い緑を背景に、大日章旗が燦然とひるがえっている。……聖地旅順。そうして又、我が大陸発展の第一歩が踏み出された由緒の深い旅順。ここに、大陸鎮めの神として、天照大神・明治天皇御二柱の御神霊をとこしえにおまつりする。官幣大社関東神宮が御造営になるのである。何という大御心の尊さ、かたじけなさ」とされている。
上記のように、国家神道に基づいて整備された「地鎮祭」の歴史は短く、日本の地鎮祭を代表するものではない事を確認すべきであり、主権者国民にとって、様々な宗教と関わりなく受け入れる事ができる普遍性を持つ習俗であるとする考え方(神社非宗教論)は誤っている事を確認すべきである。
自民党改憲草案(信教の自由)では現行憲法第20条に3項を加え「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」と改悪している。その理由は「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、国や地方自治体による宗教的活動の禁止の対象から外し、地鎮祭に当たって公費から玉串料を支出するなどを可能とするためである」と説明している。神社の儀礼は社会的儀礼又は習俗的行為であり、宗教儀礼ではない、とする考え方を憲法改悪によって正当化しようとしている事を確認しておこう。
そして、天皇家(皇室)とそれを翼賛する政治勢力は、憲法に定める「政教分離原則」に違反し続けている事と「憲法尊重擁護の義務」を蹂躙しつづけている事を確認しておこう。