ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「纏足の靴」

2011-09-18 14:34:10 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「纏足の靴」という本を読んだ。
サブタイトルには「小さな足の文化史」となっているが、確かに纏足というのは我々にとっては奇異な風習にみえる。
この地球上には人間の集団としての民族がいくつあるのか正確には知らない。
我々は大雑把に漢民族だとか満州族だとか、ネイテイブ・アメリカンだとか、大和民族などと便宜的に使い分けているが、このそれぞれの民族には、それぞれの独自の風習を持っているのも当然のことであろうと思う。
その風習を異民族の視点で見れば風変わりで不思議な風習、因習ということになる。
そういう意味からすれば、我々の先輩諸氏がしていたちょん髷も、それと対を成す女性の様々な日本髪も、他の民族からすれば不思議な習俗とみられても仕方ない。
我々が中国人、いや満州族の弁髪に違和感をもつのと同じくらいの奇異な感じで受け取られていたとしても不思議ではない。
そういう意味で、中国の女性の纏足という風習も、我々の価値観からすると奇異な感じを免れないものであるが、我々としてはその風習を彼らの野蛮性なるが故の悪習だという認識でいた。
我々の認識では、男性優位の社会において、女性を性の奴隷として家から出さないように、足を自由に動かす事がままにならないように、家に拘束しておく手段として存在している、という風に認識していた。
しかし、この本ではそういう考え方を否定して、女性自身が自分の意思でというよりも、家族が本人の女性の将来に為に思惟的にそういう処置をしたと語られているわけで、女性の逃亡を防ぐとか、家から出られないようにすると言う、男性本位の抑圧の手段ではないと述べられている。
こういう錯誤は歴史上に数々あるわけで、日本が朝鮮を統治していた頃、朝鮮民族の創氏改名は日本の強制であったと言われているが、これもあの時代状況の中で、朝鮮の人々が如何に生きやすくするかと考えた時、日本名にした方が何かと有利だったので、彼ら自身が競い合ってそうしたのである。
それが再び時代状況が変わった途端に、自分達が自ら選択した道にもかかわらず、「強制された」と言い募る手前勝手さには驚かざるを得ない。
どこの国にも、どの民族にも、下衆な人間というのは居るもので、そう驚くことはないが、そういう人間がメディアに踊らされて大手を振って罷り通っていると思うと憤懣やるかたない思いがする。
それもただその人の持つ価値観の問題で、女性の足に対して、そういう小さな足にこそ価値がある、と当時の中国の一般常識がなっていたので、人々はその風潮の影響から、纏足の足に中国女性の美を見いだしていたということだ。
こうなると、ちょん髷とか、日本髪とか弁髪と同じレベルの価値観なわけで、「そのどこが良いのだ」と言っても説明が付かないのと同じことになる。
当時に生きた人々にとって、「それは良いものだ」という価値観を後世の人がいくら「ナンセンスだ」と言ってみたところで何の意味もない。
ある一種の流行なわけで、世の中の流行り物に説明を求めたところで、整合性のある説明はあり得ないものと推察する。
私が不思議に思うことは、こういう愚にもつかないことを深く掘り下げて考えると、それが学問になるという事である。
昨今の日本ではマンガも学問の範疇になったらしく、日本の大学の中にはマンガ学なるものを教えるところもあるやに聞くが、この本の意向もその辺にあるのではなかろうか。
昔の人の風俗の不思議さというのは、今に生きる我々からすれば、不可解千万なものが多いと思う。
例えば、我々の先輩のちょん髷とそれと対比する日本髪、纏足と同じような不思議さの弁髪、その他、地球上のあらゆる未開地に居る人々の入れ墨の習慣など、我々の感覚からすれば不可解千万のことばかりであるが、それを調べると学問になるというのも何とも不思議なことだと思う。
そういうものをひっくるめて民俗学と称しているが、それを学問と捉える部分に、学者先生に心の卑しさを感じるのは私一人であろうか。
しかし、纏足というものに対する私自身の認識は、やはり性の奴隷として、男性のエゴイズムの発露として、一度囲った女性が逃げ出せないように、抑圧の具体的な手法として纏足だと考えていた。
この本のよると、ああいう足の女性が価値ある女性と見做されていたから、家族が誠心誠意、自分の娘にああいう処置を施して、女性としての付加価値を高めたと記されている。
ところが、ああいう足の形に価値があるという認識は、その当時の中国の人々の共通認識であったわけで、良い悪いを超越した価値観であったに違いない。
当時の中国の人々は、ああいう足の女性こそ、男性の恋焦がれる存在だと思っていたのである。
それは、当時の中国の人々の全部が全部、そう思い込んでいたわけで、娘の家族も、当の娘も、それを嫁として迎え入れる男も、そう思い込んでいたわけで、人々はその小さく変形させられた足こそ、美の象徴として崇めていたのである。
そこには、若い娘の足を苦しめている、片端にしているなどという発想は微塵もないわけで、全て美の極致を極めているような心境であったに違いない。
こういう価値観の相異は話し合えば解決されるという問題ではない。
その価値観そのものをぶち壊さない限り、悪習、悪弊は治らないと思う。
そもそも自分達が今まで何の疑いも持たずにやって来たことを、いきなり「それは悪い習慣だから改めなさい」と言われても、迷うのが精一杯の反応だと思う。
そもそも、人の価値観というのは、受け取る側の感覚次第でどうにでも変化するもので、例えば女性の美醜でも、やせた人が美人であるかと思えば、肥ったふくよかな女性が美人であったりするわけで、ならば真の女性の美は何なんだということになる。
そういう価値観というものから人の習俗を考えれば、日本人のちょん髷も、日本髪も、弁髪も、不可解極まりない存在であるが、当時のその場にいた人たちにとっては、それが普通であり、そうでない習俗こそが奇異であったわけで、そういう意味からすれば纏足だとて何ら不思議がる事はない。
しかし、如何なる民族でも、こういう風習、習俗というのは何ら合理的な思考でそういう実態が普遍化したわけではなく、ただただほんの一握りの人の思いつきが、世間一般に広がったにちがいなく、言い方を変えればただ単なるその時々の流行であったに違ないと思う。
「そうしなければならない」と言う整合性のある、説得力のある説明など一切無しに、ただ何となくそれが流行になったが故に、我も我も、そうしなければ時代遅れになる、人から笑われる、時代遅れとみなされる、人と同じようにしなければ、という付和雷同的な思考に突き動かされて、その風習が継続されたものと推察する。
こういうことを言うと、今の日本人が極めて流行の弱く、ものごとの流行り廃りに非常に敏感で、流行り出すとネコも杓子も一斉に同じ方向を向くことが非難中傷されるが、これもある意味でメデイアの後押しがあってそういう傾向に拍車が掛かるわけで、流行の問題というよりもメデイアの報道の仕方の問題だという面が強いと思う。
纏足やちょん髷や日本髪や弁髪の時代は、メデイアがさほど発達していないので、情報の伝達は口コミしかなかったわけで、その分、流行り物の拡散は遅々たるものであったが、皇帝や貴族のしている事を真似たいという庶民の願望は、何時の時代も変わらないようだ。
この上流階層のすることを下層階級のものが単純に真似たがる心境というのは実に面白いと思う。
そもそも、物事の流行というのは、人のことを真似たがる、他者の持っている価値観を共有したい、という願望ではないかと思うが、そこに纏足のように、人間の生存にとって何の意味もない行為であっても、それが流行であるという理由だけで、我も我もと人が真似するという現象である。
これは現代人だとて全く同じ傾向を持っているわけで、流行であるというだけで、その効用など何ら考慮することもなく、真似することは今も生きている。
今、韓国の経済成長が著しく盛況を極めていて、韓国人は整形手術を安易な気持ちで行っているようだが、これも本当ならば憂慮すべき事だと思う。
若い時には良いと思って行った手術でも、それが50代、60代、70代になった時、とういう影響が出るかはまだ実績がないわけで、そうなればなったで又手術をすればいいという問題ではないと思う。
そもそも、天から授かった自分の肉体に、後から人為的に何かを施すということは、神を冒涜する行為だと思う。
天から授かった天与の造形、具象を、そのままの姿形で美しく感じないという感性は、その人のもつ感性が鈍っているわけで、そもそも審美眼がマヒしているということである。
そもそも、天から授かった女性の足を、そのままの形では美的に思えないという感性は、その人の持つ審美眼が狂っているわけで、その部分の「狂い」そのものが野蛮という言葉になる。
そういう見方でものごとを見れば、我々の先輩諸氏のちょん髷というのも、随分と野蛮であったが、私個人としては同じ時代でも、女性の日本髪には何とも言えぬエロチシズムを感ずる。
纏足でも、日々の手入れはかなり大変だったように思うが、その意味では日本髪でもそれを維持する手入れはそうとうに難儀であったに違いないと想像する。
その時々の流行とは言え、その流行に乗り遅れることなく、リアルタイムでついていこうとすると、洋の東西を問わず、並大抵の努力では収まらないということなのであろう。