ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「昭和恋恋」

2011-09-04 07:09:00 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和恋恋」というを読んだ。
山本夏彦氏と久世光彦氏の共著というか、写真をふんだんに使ったエッセイ風な文章であって、非常に読みやすい本であった。
山本夏彦氏は大正4年生まれ、西暦でいえば1915年生まれ、久世光彦氏は昭和10年生まれだから西暦でいえば1935年生まれである。
私が昭和15年生まれで西暦でいえば1940年生まれである。
まさしくその生涯の大部分で昭和の時代を生き抜いてきたことになるが、奇しくも私は今年の夏、自分の母親の、私自身の育児日記というものを読む機会があった。
昭和15年に私を産んだ母親は、大正元年生まれで、西暦でいえば1912年ということになり、私は母親の28の子であって、当時としてはかなり遅い結婚であり、出産であったようだ。
この母親がその当時つけていた日記を読んでみると、当然のこと、その当時の社会の事も垣間見れる。
最初に、物資の統制の事があって、炭の配給のことから、たまたま買い置いた炭があったので、正直に申告すればバカを見るから、いくらか誤魔化して申告するという生活観のにじみ出る事が記されている。
私の生まれた昭和15年という年は、まだ日米戦争は始まっておらず、世の中は好景気に浮かれていたとも言われているが、今あの戦争を振り返ってみた時、こういう平和な時に我々は何をどのように考えていたのか、という事を真摯に考えなければいけないと思う。
戦争が始まってしまえば、その後、考えるべき事は、勝つ事しかないわけで、「如何に勝つか」を戦争指導者は考えなければならない事は言うまでもない。
だが、この平和な時にこそ「万一戦争になったとき、如何に身を処すべきか」という近未来の事を考えなければならなかったと思う。
こういう発想は、我々の日本民族の中に、昔も今も果たしてあるであろうか。
それに引き換えアメリカは、日本が対米交渉で如何に妥協案を引き出そうかと模索している最中にも、対日戦の構想を練り上げていたわけで、「日本を如何に料理するか」ということが最初から政策決定という丼の中に入っていたのである。
日本が日米交渉で如何に妥協しようとも、彼らの目的は、日本を戦争に引き込むことであったのである。
私がここで言いたい事は、日本の昭和初期のこの好景気の時に、世界戦略という大風呂敷の構想を考える度量が無かったということである。
そもそも好景気だと、それに溺れて自分の身の程をわきまえずに尊大に振舞う、というの思想から荷け切れていないところに我々の民族の浅はかさが漂っている。
これは戦後復興を成して、アメリカに次ぐ経済大国になったと云われた時にも、同じ構造パターンを呈しているわけで、まさしく身の程をわきまえない驕り高ぶった立ち居振る舞いを、恥ずかしいと考える知性さえも失った証拠である。
日本とアメリカは、その国力の差をGDPで表される以上に隠れた差異があるわけで、その隠れた差異を我々日本人は未だに見落としている。
私も丸々戦後世代の人間であって、自分でも軽佻浮薄なアメリカかぶれと自認し、ジャズを好みアメリカ映画の好きな人間であるが、日本人とアメリカ人の本質の違いは充分に判っているつもりである。
アメリカに移り住んで英語を自由自在に使いこなしても、日本人とアメリカ人の本質の違いを指摘する人はいない。
その本質の違いとは、発想の相異であって、日本人とアメリカ人では、同じことを成すにも発想の原点が根本的に違っている。
既に述べたように、日本とアメリカが真っ向から正面衝突をして、戦争になるかもしれないという時、我々の側は、その戦争を出来だけ回避しようと、天皇陛下を始め政府要人から戦争指導者まで、最期の最後まで開戦回避を願っていた。
ところがアメリカ側は、それとは全く反対の行動を取っていたわけで、早々に対日戦の戦争プランを立ち上げて、それをオレンジ作戦と称して、日本を罠に掛ける事をもくろんでいたではないか。
問題は、我々の同胞の中にも、「アメリカと戦争しても勝ち目はない」ということがわかっていながら、それを言葉と態度に表す事が出来なかった政治風土、社会風土、民族的特質の存在である。
物事の本質をつまびらかに開陳すると、その人を疎ずる政治風土を、深く、仔細に、掘り下げねばならないが、我々の同胞の中でこれをする人は一体誰なのであろう。
あの昭和の初期の時代に、我々の同胞の中でも、アメリカと戦争して勝ち目はない、中国から手を引かなければ アメリカがしゃしゃり出て来るという事がわかっていた人も大勢いると思う。
そういう人に発言の機会を与えず、黙らせてしまったのは、いうまでもなく軍国主義ということになるが、それはやはり我々の国が、国全体として冷静な知性と理性を失ってしまっていたということではかと思う。
この二人の論者も、昭和の初期の日本は景気が良くて、国民はのびのびとしていたと述べているが、のびのびとしていたという点に危機感の欠如と、近未来への思考の怠惰が潜んでいたのではないかと思う。
つまり、中国戦線で「勝った勝った」という戦勝気分の本質を考える事もせず、ただただそのムードに酔いしれて、点と線の勝利でしかないものを中国全土を征服したような気で見ていたのではないかと思う。
こういう時の政府や軍部の対応は、全てが泥縄式の対処療法であったわけで、計画性は全く無く、その場その場で付け刃式の政治であり、戦争指導であったという事だ。
これは今でも我々の民族では改善し切れておらず、今回の東日本大震災における東京電力の福島原子力発電所の対応でも、見事に従来の我々の手法を踏襲しているではないか。
話が大きく飛躍してしまったが、私も昭和の時代を生き抜いた人間の一人ではあって、物事が変化するということは、人間が生きている限りついて回る事だと思う。
それは文化のバロメーターでもあると思う。
近代文明が発達して、我々の生活が便利になったので、本来の人間性が阻害されるというのは、知識人の傲慢な思考だと思う。
この本に載っている写真を見ていると、今の我々の生活は隔世の感がする。
この本の表紙の写真は、金魚売りの周りに集まったお母さんとその子供の姿であるが、この子供こそ私と同世代なわけで、この時の子供が成人して、コンピューターで文章を綴ったり、携帯電話でメールを打つなどという事が想像し得たであろうか。
私自身についていえば、私が小学校の6年生、あるいは中学生、あるいは高校生の時でも、今の私の生活は想像だに出来ないことであった。
自分が、自分の家を持ち、自分の車を持ち、自分のコンピューターを持つなどということは、想像だにできなかった。
文化がこれだけ進化すれば、その弊害も当然あると考えなければならないし、その進化について行けれない人のやっかみの感情も無視するわけにもいかない。
そいう人が進化の裏側をことさら強調するのも、トータルとしては人類の平安に寄与している部分もあるには違いない。
しかし、昔の事が懐かしく思われるようになったということは、自分が年取ったという事と同義語なのであろう。
だが、回顧からは新しいものは生まれないのではなかろうか。
昔の事を回顧して懐かしがっているだけては何にもならないと思う。
歴史から何かを学ぶという意味での回顧ならば意味があるが、人間の生き様というのも案外面白いもので、歴史から教訓を得るということは案外難しく、人は前例を踏襲しがちである。
昭和の軍人は、日清・日露の戦役の成功事例のみを手本として、失敗から学ぶということをしなかったが、この点でも我々とアメリカ人の発想の相異を検討することが可能である。
成功事例を踏襲するということは、「同じ柳の下で二匹目のドジヨウを狙う」と言うのと同じことなわけで、そんな事がありうるわけがないのに、それに終始するということは一言でいえばバカだったということである。我々が成功事例を踏襲しようと考えることは、安易な方法で事に当たるということを指し示しているわけで、その時、相手は彼らの失敗事例から何かを学ぼうと考えているわけで、ここに発想の相異があり、この発想の乖離は結果として大きな影響が出ると思う。
それは別の言い方をすると、現実を直視して、その現実を深く深く考察して、そこから何がしかの本質を探り当てなければならないということである。
我々の戦争前の体験も戦後の体験も、現実を直視することなく、思い込みに陥り、ありもしない虚像に目を奪われ、無責任なメディアに翻弄されたということに他ならない。
この本の中に、防火演習の話が出ているが、これは町内会が主催する今でいえば避難訓練であるが、これの音頭取りというのが、それぞれ町内の長老的存在の年寄りであった。
ところが、この連中が極めて単細胞で、上から言われたことを、事の他、厳格に順守しようとするので不評を買っていたようだ。
そもそも1万メートルの上空から落とす爆弾に、バケツリレーやハタキで対応しようという発想そのものが最初から陳腐なわけで、それに病弱者や老人まで一様に参加させようということからしてナンセンスそのものである。
昭和の時代において、もっとも不可解な事は、私に言わしめれば、あの終戦の日、昭和20年8月15日という日においても、日本の軍人の中の一部の者は、本土における徹底抗戦を心から信じ切っていたという事実である。
あの東京の焼け野原を自分の目で見ていながら、それでも尚徹底抗戦をしようという、旧大日本帝国の軍人の発想は一体どこから出て来たのであろう。
こういう考え方の軍人、高級将校、高級参謀があの戦争を指導して来たと考えると、我々は負けるべくした負けたと言わざるを得ないではないか。
国を挙げての戦争が、軍人の面子の維持の為の戦争に成り変わってしまっていて、天皇陛下の戦争でもなければ、日本国臣民の為の戦争でもなく、ただ大日本帝国軍人の軍人の為の戦争であったとしか言い様がないではないか。
その事を考えると戦前の日本の政治は実に愚昧だったと言えるが、この愚昧さは戦後も同じように続いていたと思う。
それはそうだと思う。
戦争に負けたからといって、日本人がすべて入れ替わったわけではなく、中味の人間は合いも変わらず日本民族の生き残りであったわけで、そうそう大きな変革を経験したわけではない。
確かに戦前と戦後では我々の価値観は大きく変わって、その変わり様はまさしく180度、真逆に変わったといっても良い。
ただしここでも我々の変革は、表層面の上面の変革だけで、本質は全く変わってない。
その部分に民族としての普遍的な潜在意識が潜んでいたに違いない。
戦前の我々の同胞の思考は、完全なる軍国主義で満ちあふれていたが、戦後はこのベクトルが逆向きになって、平和主義というか左翼思想に被れてしまって、左翼的な言辞を弄さないものは人であらずという風潮になった。
この考え方の変化の原因は、要するに、我々は自分の頭でものを考えないということに他ならないわけで、人の言辞に左右されて、右に行ったり左に行ったりと右往左往するということである。
昭和の時代が63年間続いたということは、今現在、戦後66年を経た事を考えると、大きな時空間の流れであったと思う。
その中には、昔はあったが今は廃れて目にしなくなったものも当然数えきれないほどあるわけで、それを見て懐かしむということは完全に懐古趣味である。
ここで考えなければならない事は、廃れたものにはその理由があると思う。
例えば、日本人の主食はコメの御飯と熱いみそ汁であるが、これは我々が殆ど有史以来引き継いできた食文化だと思う。
これが21世紀の現在においても廃れないというのは、それだけ人々の期待を担っているからだと思う。
それでも米以外の食材の押されて、米の需要そのものは下降線をたどっているらしいが、日本人の食材から米がなくなってしまうということは多分ありえないだろうと考える。
今まであったものがなくなるということは、それだけ人々の心がそれから離れたという事で、その意味では趣向の変化、思考の変遷という問題も大いにあるわけで、この変化のサイクルが近代文明の隆盛の見えざるエネルギー源であったと言わなければならない。
例えば、身の回りの誰かがテレビを買う。隣近所の人もそれが欲しくて欲しくて仕方がないが、すぐに買うという訳にもいかず、しばらくの間はそのテレビを見させて貰わざるを得ない。
だが、「自分も頑張って自分のテレビを買おう」と考える事が、戦後の日本の経済成長の基底の部分に流れていた潜在意識だと思う。
日本の戦後復興とそれにつづく高度経済成長はこうして実現したに違いないが、問題は、その後の我々の身の処し方にあったわけである。
『坂の上の雲』を目指して一目散に切磋琢磨している間は、人々の努力はした分だけ見返りがあった。
ところが、峠の頂に自分が立ってしまうと、さて次は何をすればいいのか皆目分からないという状態になってしまったのである。
我々の身の回りでも、家も作った、車も持った、テレビも買い替えた、大型冷蔵庫も買い替えた、海外旅行もそれなりに行った、さて次の目標は何に定めようかという時に、その目標が設定し切れていないのが今の日本の低迷の原因だと思う。
人間社会の栄華盛衰ということは、矢張り、如何なる民族や国家にもついて回る事で、繁栄が頂点に達してしまえば、後は下り坂を転げ落ちるのが世の習いだとは思う。
私の世代がまだ若かった頃、昭和30年、1950年頃、イギリスの社会福祉が「ゆりかごから墓場まで」と言われて称賛の的であり、我々もそれを目指して福祉を充実させなければというわけで、それこそこの場面でもコンプレックスに苛まれていたが、結果として福祉の充実は人間を怠惰な思考に向かわせたわけで、人々の善意が悪意のある人間に食い物にされてしまって、サッチャー首相の福祉の見直しをせざるを得ない状況に追い込んでしまった。
国家が、弱者救済という大義名分で貧者に金をばら撒くということは、人間の基本的な自尊心を踏みにじる事だと思う。
昨今の日本の知識階層の福祉に対する見識は、ただただに人気取り以外に何の意味もないプロパガンダに過ぎない。
帝国主義はなやかりし頃の植民地の映像であろうが、コロニアル風の家の玄関先で、西洋婦人が硬貨をばら撒くと、現地人の大人も子供も群がってそれを拾う光景を見た事があるが、今の知識人の言う福祉、つまり国が国民に金をばら撒くということは、この映像と同じなわけで、貧乏人に金をばら撒くことによって人望を得ようと画策している図である。
それに群がる国民も、そんな端した金で、自分の魂を売り渡していることに気が付かず、当座の小使いを得た事で喜んでいるのである。
21世紀の日本人の心の内がこうである限り、日本の復興、リニューアルはあり得ないと考えなければならない。
第2次世界大戦が終わって、東西冷戦が終わって、中国が経済成長を達成して、世の中は大きく変わった、この大きな変化の中には、日本の変化も内包されているわけで、21世紀の日本の存在意義は限りなく小さなものになって、地球上に、世界規模でみて、日本という民族の存在意義は無に帰すのではないかと思う。
アメリカには白人も、黒人も、ヒスパニックも、中国人も、あらゆる民族が内包されているが、その一人一人は全てアメリカ人であり、アメリカの市民である。
21世紀の日本も、あのアメリカ合衆国と同じように、国の主権とか地方の自治ということは成り立たず、ただ単なる烏合の衆以外の何ものでもなく、ただたんに人間の集団であって、統治という機能が存在しない集団に成り下がっているのではないかと思う。
別の言葉で表現すれば真のグローバリズムということになり、究極の無国籍者ということになる。