ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「風呂と日本人」

2011-09-21 07:48:40 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「風呂と日本人」という本を読んだ。
前にも風呂に関する本を読んだが、前の時は「今どきの若い女性は、銭湯に入る時に、前も隠さず大手を振って堂々と入ってくる」という風に、若い女性の羞恥心について話を進めたつもりだが、この羞恥心というのも、時と場合と状況によって大いに変わるもののようだ。
先に読んだ纏足の話でも、美の価値観の問題という視点から説いたつもりだが、羞恥心というのも基本的には価値観の問題に行きつく話だと思う。
ところが、この本は、風呂そのものについての記述が多いが、日本の風呂が最初は蒸し風呂、いわゆる我々の認識でいうトルコ風呂乃至は、サウナというものが主流であったということは前の本にも述べられていた。
そして、我々が普通にしている全身を湯につけるという入り方の方が異例であったと言うことも前の本に書かれていた。
風呂に関する記述で、昔は蒸し風呂が主流で、全身を湯につける入り方の方が異例であったとは言うけれど、日本のみならず人の居るところには必ず刑務所や監獄、はたまた軍隊があるわけで、そういうところの風呂は一体どうなっていたのかという話が極め少ない。
私の個人的な経験からすると、風呂の在る会社は、それだけ労働が厳しいから風呂があるのだから、そこで働く時は、そういうことを考慮に入れて、職場の選択をすべきだ、と人生の経験から言うことができる。
半世紀も前の話だが、私も若さゆえに無責任な曖昧な生き方をしていた時期があって、深く考える事もなく、臨時工などといういい加減な仕事について糊塗を凌いでいたこともあった。
ところが、そういう職場には大概大きな風呂が用意されていた。
仕事を終えて、暑い風呂に入って一日の汗をきれいさっぱり流して、一杯ひっかけて家路をたどるのが、その時の刹那的な生き様であったが、こういう時の風呂というのは、大かた銭湯のような立派な風呂で、その日の汗は綺麗さっぱり流すことは可能であった。
つまり、そういう環境に自分の身を置いているということは、会社というヒエラルキーの一番最下層にいるということで、一日の汗を綺麗に流して、会社の前の屋台で一杯喉を潤して家路に帰るということは、見た目は幸せな図かもしれないが、将来の夢も希望もそこにはない、という立派な証拠である。
大の男が、風呂の在る職場を誇りにしていては、将来の出世はあり得ないということである。
会社の風呂というのも、会社の福利厚生施設の一環という面もあるが、職場に風呂があるということは、風呂に入らねばならないほど労働がきついということでもあるわけで、働く側としては喜ぶべきことではない。
民間企業で、職場に風呂があるという場合は警戒しなければならない。
そういう職場に居て、今度は自衛隊に入ると、ここにも立派な風呂があるわけで、この自衛隊の風呂というのは、労働の汗を流すとはまた別なニュアンスがあるようだ。
そういう意味で、自衛隊の風呂に関連して、旧軍隊の風呂はどうなっていたのか、はたまた刑務所、監獄の風呂はどうなっていたのか、興味の尽きることはないが、ここだけはまだ入ったことがないので詳細は判らない。
しかし、自衛隊の風呂はプールのように深くて大きいが、如何せん温泉ではないので武骨で、コンクリートの打ちっぱなしで、蒸気で沸かすようになっているので、温泉気分に浸るというわけにはいかない。
実用一点張りで、まさしく体を洗うという機能のみで、気分転換とかリラックスするというような情緒的なものはまるっきり備えていない。
そして、新兵さんの時は、この風呂の湯を最初に攪拌する作業員の役を割り当てられる事があって、しぶしぶ出頭すると、浴槽の蓋になっている長い板を湯船の中に突っ込んで掻きまわすのであるが、まさに草津温泉で絣の着物に赤いたすきをかけた女性が湯を掻きまわす図と同じである。
そんなに難しい作業ではないので、言われた通りにしておけば事なきを得た。
しかし、そういう作業が無い時ならば、一日の稼業が終わった後、自由に入ってもよかった。
だがそこは戦後の自衛隊であって、旧軍ではどうであったか、ということは案外知られていない。
あの時代、日本の男性の8割9割の人が、軍隊生活を経験している筈であるが、その中で風呂の話は余り聞いた事がない。
全然ないわけではないが、新兵さんの時は自分の身体を洗う間もなかった、というような話は漏れ聞いている。
旧軍のおいては、階級制度が厳格に順守されていたので、新兵と経験豊かな兵隊では、風呂の入り方にも相当な苦労の開きがあったのではないかと思う。
しかし、日本の軍隊では如何なる駐屯地にも、大なり小なり風呂というものは設置したと思う。
我々の感覚では、我々、日本人の生存には、風呂というものが無しでは済まされない必須アイテムであるので、如何なる生活条件でも、入浴の施設は真っ先に設置するという思考であったのではないかと思う。
しかし、この本でも他の本でも述べられているように、我々が首まで湯につかる入浴方法というのは、極めて新しい風習なわけで、日本全国津々浦々そういう生活習慣があったわけではなさそうだ。
そういう意味で、日本の旧軍隊の存在というのは、我々が首まで湯につかる入浴方法を全国に広めたのは案外軍隊での経験があったからかもしれない。
軍隊の生活が、人々の生活の革新を促したということは、結構あるような気がしてならない。
例えば、我々が皮靴を履く習慣なども、案外、軍隊生活がそのフォローをしたようにも思える。
というのも、明治維新による文明開化も、都市の住民は常に見聞きするが、地方の人々は、そうそう新しい文物を見聞きするわけではないので、徴兵制で兵役について初めて近代化した文物に接したという人も結構いると思う。
そういう意味で、軍隊に入営して始めて皮靴を履いた、という人もいても不思議ではない。
風呂の習慣も、案外そういう動機で、軍隊では毎日風呂に入っていたので、それで除隊してからも、その習慣がそのまま残った人々が、風呂を愛好するということになったのではなかろうか。
我々の文化を考える時、昔の軍隊が国民の文化レベルの向上に貢献した部分もかなりあるように思う。
先に示したように、皮靴を履くことも、銭湯に入る習慣も、案外、軍隊生活の影響ではないかと私なりに考えるが、卑近な例ではトイレの西洋式の便座も、自衛隊での経験が土台となって我が家に取り入れた。
そもそも、戦う集団としての軍隊、あるいは自衛隊というのは、戦う事を前提とした組織であるならば、あらゆる場面で、究極の合理化を追求しなければならないわけで、ミニマムの力でマキシマムの効果を得る工夫をしなければならない組織である。
その中では当然のこと、普通の日常生活においても参考になる事例は山ほどあると考えなければならない。
軍隊、あるいは自衛隊を経験した人が、社会に出てそれを応用するということは、極めて有意義なことだと思う。
我々が毎日でも風呂の入りたがるという習性は、そういうところからも広がっていったに違いない。
で、ああいう大きな風呂について、私がまだ現役の時、ある会社の鋳物工場の警備の仕事をしていた。
鋳物工場というのは、溶かした鉄を型に流し込んで製品を作るのだが、型は粘土で出来ており、その表面に、製品を剥がしやすいように黒鉛が噴きつけられている。
この一連の作業は極めて過酷な作業で、作業員は一日仕事を済ませると、全身真っ黒になる。
それで、当然のこと、その汚れを落とす為に風呂が用意されていて、その風呂たるや、まさしくプール並みの広さであった。
その風呂に、我々も貰い湯の形で入れさせてもらうわけだが、彼らの使った後の浴槽には、身体に付着した埃が澱のようにたまっていたものだ。
ここで私が言いたいことは、風呂のある職場は、それだけ労働が厳しいという事だ。
昔の国鉄の蒸気機関車の運転手たちも、この鋳物工場の人達と同じような苦労をされていたのではないかと思う。
我々、日本人は極めて風呂好きといわれているが、風呂に関する文献というのは案外少ないように見えるが、果たして本当はどうなのであろう。
「衣食住」と言う言葉があるが、その中にも風呂のことは入っていないわけで、日常生活の中でも、風呂のことはついつい忘れてしまうということなのであろうか。
旅行に行っても風呂に感動したという話はあまりない。
最初に目にした時は「わ―、すごい」と思ったとしても、家に帰りつくともうその事は忘れてしまっている。
そして不思議なことに、自分で思い描いていた以上の時は、その場では確かに感動するが、その反対の時は執拗に覚えているのが不思議だ。
つまり、旅行に行って泊まったところの風呂が人並みの時は何も記憶に残らないが、想定外に悪かった時は鮮明に記憶に残るということだ。
そして西洋にも風呂というものはあるわけで、イタリアの遺跡から発掘された公衆浴場とか、北欧のサウナの話というのはよく聞く。
ローマの古代遺跡が示している公衆浴場というのは、たぶん今の我々が思い描いている銭湯と同じ使い方であったと想像する。
しかし、北欧に広がっているサウナという風呂の形態は、明らかに我々の概念でいう風呂とは異なっているように思えてならない。
ただ、人間の肉体を外側から暖めて発汗を促し、汗と共に表面の垢も刷り落とす、という健康法というか、生き方というか、時の過ごし方というのは、万人に共通の癒しを提供するものらしい。
そもそも、人間が首まで湯につかって温浴するということは、水の量という意味からも、その水を湯にするテクニック、つまり燃料の問題からしても、昔の人に取って大きな問題であったわけで、そう誰でも彼れでもが安易にできるということでなかったのであろう。
だから、我々のようにいつでもどこでも温浴ができるという状況ではなかったので、国によって、あるいは地域によって、或いは民族によって、風呂に入らない、入りたくても入れない、そういう習慣がもともとないということも往々にしてあったに違いない。
しかし、習慣というものは恐ろしいもので、我々、日本人も外国に行く機会が増えたが、あの西洋式のバスというものの使い方は未だに満足がいかずなじめない。
何とか寝そべって、首まで湯につかる事はできるが、バスタブの中で石鹸まるけになって自分の身体を洗う、というのは何時まで経ってもなじめない。
しかし、考えて見れば、西洋式の便座は今の日本では公衆トイレにまで普及してきているが、あれだとて、最初は我々も非常な違和感を持っていたわけで、誰でも彼でもがあれを使うようになるとは思えなかったことを考えると、バスタブの使い方も時間の問題かも知れない。
西洋式の便座も、最初に見た時は、あんなところに自分の尻を据えれるか、と誰もが思ったに違いない。
しかし、使ってみれば、日本古来の蹲踞の姿勢よりもはるかに楽なわけで、楽であればすぐにでも取り入れて見よう、というのが我々の進取性でもあったわけだ。
私はこういう場面で非常に民族のものの考え方に深く疑念を持つ。
今の西洋式の便座でも、我々は戦後しばらく経って、そういうものを自分の目で見るまで、その合理性に気が付かなかったことである。
蹲踞の姿勢で中腰でするよりも、尻を据えてしまった方が断然楽なことに、大和朝廷以来誰も気が付かなかったことの不思議さである。
こういう考え方は、我々の民族の価値観の在り方に起因しているのかもしれない。
というのも、我々の民族が古来から持つ価値観の中で、風呂で汗を流す行為や、ウンコをすることに関して、人は何にも考えたことがない、思いを巡らしたことがないということだと思う。
我々の価値観、或いは美意識というのは、全て花鳥風月を指向していて、そういうものには思考を巡らしてああでもないこうでもないと口角泡を飛ばして議論することはあっても、風呂の入り方や排泄に関して思考を巡らさなかったということだと思う。
あきらかにそういう行為を不浄という概念で捉えていたということだ。
しかし、一旦、西洋式の便座の合理性に気が付くと、その合理性を超越して、ウォシュレットの普及というところまで突き進んでしまったが、その前に私個人としては、我々が有史以来21世紀に至るまで、西洋式の便座に匹敵する発明品がなかったという点である。
蹲踞の姿勢からウォシュレットまでは僅か50年の進化であるが、それまでの2600年以上の時空間では何一つ進化していなかったわけで、ことをどういう風に考えたらいいのであろう。