立山、黒部旅行 その1
私の母方の祖父は京友禅の型紙彫り職人をしていました。今では絶滅寸前のような職業ですが、当時は職人とは言え私の叔父に当たる長男、次男と他に2人の職人を置き、さらに市内や三重県にも下職を抱えてかなり羽振りが良く、たまに祇園の方にも遊びに行っていたようです。また、年に一度職人、下職、知人を集めて慰安旅行を行ったり、夫婦でも年に2度ほど旅行に出かけていました。
8月に入ってその年も慰安旅行の日が近づいて来ましたが、今回の旅行先は立山、黒部方面で、いろいろな鉄道に乗る予定があるので鉄道好きの私にもお誘いがありました。多分、鉄道好きの叔父(長男)が取り次いでくれたのだと思います。
地蔵盆も終わった8月20日過ぎだったでしょうか。往路は夜行列車なので、早めに夕食を取ってバスで祖父の家へ向かいました。着くとすぐに、「列車の中では十分に寝られないから今のうちに寝とけ」と言われて玄関脇の小部屋の畳の上にごろ寝させられました。旅行を前にして興奮状態で寝られるわけもありません。
横になって2時間ほど経った午後10時過ぎに起こされて、近くにあった営業所から呼んだタクシーに乗せられて京都駅に向かいました。
23時頃に京都駅に着き、他の参加者と合流して1番線でこれから乗る急行[つるぎ]を待ちました。23:30頃にピンクとクリームに塗り分けられた[つるぎ]がホームに入って来て乗り込みましたが、2等の座席指定を取ってあった ので全員ほどなく着席できました。
席に就いて車内を見渡すと、この車両の内装がこれまで福山からの帰りに乗った[宮島][関門][びんご]と全く同じなのに気が付きました。けれども、何で車体の色が違うのかまではその時は十分に理解できていませんでした。
初めての夜行列車は、途中で車内放送を止めたり、車内の蛍光灯が減光されたり、警察官のような服装の公安官が見回ったりと新しい発見が幾つもありましたが、車窓からの風景は、照明に照らされた通過して行く駅や、時折街頭に映し出された家並以外は漆黒の闇で退屈なものでした。それでも寝付けないので車窓を眺めていたら、「眠れんでも目を閉じとき。自然に眠れるから。」と叔父に言われて仕方なく眠れもしないのに目を閉じる事になってしまいました。