波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

休日の大通り公園

2012-02-14 10:49:53 | 散文


 [休日の大通り公園]


 二月といいながら、暖かな陽射しの降り注ぐ三連休の中日である。
 大通り公園広場で、三つのゴム風船を持った中年男と、三匹のダックスフントを連れた中年女が鉢合わせをした。
 別に意図的にぶつかったわけではないが、女の連れた三匹のダックスフントが、そろいもそろって、男のゴム風船を見上げて、動こうとしなかったことから、三個対三匹という遊具とペットを携えた両者は、さりげなく擦れ違うことができなくなってしまったのである。
「ピチちゃん、ジャブちゃん、ランちゃん、人様のものを欲しがってはいけません」
 中年女は、三本まとめて手にしたペット達の紐を、手繰り寄せて言った。上は黒い薄手のカーデガン、下は黄色いスカートを着用し、赤いネッカチーフをそよ風に靡かせている。唇の色は、あるかなしか。上気した肌とも違う頬紅を見れば、唇にもほんのり朱がのっていると分かる。
 中年男はというと、ジョギング用のネズのトレパンの上は、薄緑のジャンパーだ。そして三本のゴム風船を持つ手には、手袋をはめている。この暖かな日和に、手袋は不要だ。
 そんなちぐはぐな出で立ちからして、ゴム風船は似合っているのかもしれなかった。今どき子連れでもない中年男が、ゴム風船を頭上に揺らしながら歩くなんて、奇妙きてれつな光景だから。
 三匹のダックスフントが、足を揃えて立ち止まってしまったのは、そんな男の風体から異様なものを嗅ぎつけたのかもしれなかった。
 男は三匹のダックスフントと睨み合っているわけにもいかないので、ゴム風船の一個を空いた手に取ると、腰を屈めて一番小さい犬の首輪に括りつけてやった。犬たちは赤い舌を出して、男の手にまつわり、思いがけないプレゼントを歓迎しているようだった。
 三匹は小さいほうから大きさの順に並んでいた。真ん中の犬が、下の子犬に風船がいって、自分が貰えない不満を、ワンと一つ吠え声に表したので、男は青い風船をその犬に与えようと手に取った。
 どういうわけか、最初の子犬は、するすると女の手を離れていき、歩道上に浮かんだ赤い風船の流れ行くままに、駆け出して行った。その走り方といったら、上に浮かぶ風船に持ち上げられるままに、前足は地面から離れて、後足だけで走って行くのだ。
「ピチちゃん、あなたどこ行くの。戻って来なさい」
 中年女は叫び声を上げるが、もうピチの耳には届かないほど、離れてしまっていた。
「大丈夫ですよ。風船は子犬の気持を読み取って、そちらへ吹かれていきますから。きっと、あっちに子犬のお家があるんでしょう」    
 男は青い風船を真ん中の犬の首輪に結んでやりながら言った。
「そうだわ、あっちは私の家の方角だわ」
 男はそれには取り合わず、
「これでよし」
 と真ん中の犬の首輪に、青いゴム風船を結んでしまった。と同時に、ジャブも婦人の手を離れて跳び出して行った。
 ところがこちらの犬は、家の方角には行かず、最初の子犬とは逆方向に駆け出してしまった。この犬も少し助走すると、前足が浮いて、後ろの二本足で駆けて行く。
 この二匹の犬の出立を見ても、いかにダックスフントが小柄で軽量であるかが分かるというものだ。それにしても、ゴム風船の浮揚力は、何と力強いことだ。
「あら、ジャブ、ジャブ、お家はそっちじゃないでしょう」
 女が二匹ともロープを手放してしまったことを見ても、いかに狼狽しているかが見て取れる。他人になつかず、自分だけになつくように躾けたはずの犬たちが、見知らぬ男の誘惑に呆気なく嵌められてしまったことに、呆れ返っていたのである。
「彼女でもいるんでしょう。あちらの方角に」
 と男は言った。
「ジャンは女の子よ!」
「それは失礼。では彼氏でも…」
 と男は言い換えた。

 一回り大きいランが、男を見上げてお座りをしていた。正確には、風船を見上げていたのかもしれない。いや、男を見、風船を見、この二者の間に視線を往復させていたというべきだろう。
 男はこの犬に、残った白い風船を与えるかどうか、考え込んでいた。与えれば、風船のさすらうままに、この犬も婦人を離れていくことははっきりしている。先の二匹の場合は、犬の心を風船が読み取って漂い流れて行くと言ったが、はたしてそう言い切れるだろうかという思いも男の中にはあった。持つものに任せて漂って行くのが風船なら、風に身を委ねて彷徨って行くのも風船の性質ではないか。この場合は、犬の意志とは逆行する風の意志だ。風の意志とは天の思いに近い。
 ここまで来ると、ランに白いゴム風船を与えて、婦人の最後の望みまで奪ってしまうのが、はたして善行と言えるのか、どうか。いささか迷っていたのである。
 一心に見上げている犬の心を裏切るのは忍びないが、落胆する飼主の心も尊重しなければならない。
 男が白いゴム風船の紐に手をかけたときだった。
「それは私にちょうだい。私も私自身の心をゴムの風船ではかってみたいから」
 と婦人が言うと、ランがワンと一つ吠えた。飼主にしてやられたと思ったのかもしれない。しかし男が、
「どうぞ」
 と白い風船を婦人に渡したときは、どっとばかりに同意の思いが体中に広がったらしく、尻尾を大きく振りはじめた。お座りしたままそうするので、地面を掃く具合に、落葉を左右に寄せてしまった。飼主に渡ったのであれば、自分が貰ったのと同じだと思い直したのである。なんとなれば、婦人は自分のロープを手にしており、このまま従って行けば、安全な住まいと、餌のあるところへ帰還できるのである。

 男と婦人は、どちらからともなく公園内の道を歩きはじめた。そこは最初の子犬が駆け抜けていった道だったが、途中から路地へ曲がった。
 そこをしばらく行ってから、婦人が呟くように洩らした。
「ここはいったい、どこかしら。私の家の方角ではないわ」
「奥様は、クズ町の何丁目ですか」
 と隣の男が言った。
「奥様じゃなくってよ。こう見えても、ミスですからね」
「丁度よかった。僕はチョンガーですよ、こう見えても」
「それでここは、どこへ通じる道なの?」
 男の言葉には取り合わずに婦人はそう言った。
「もうすぐ僕の家です」
 男がこう言ったとき、遠くの方に青い風船が路面上に浮いているのが見えた。風船の下を犬が走っている。
「あれは、ジャブだわ。そうに違いないわ」
 そこに向かって、ランが走り出て行った。一方、ジャンが走ってくる道と直角にのびている細い道を、走ってくる子犬がある。すぐ上に赤い風船が浮かんで、すーっと移動している。
「あれはピチよ。間違いなくピチだわ」
「ピチとジャブが交わる角に建っているのが、僕の家ですよ」
 ランが走り込んで、三匹が合流した。二つの風船が接近して、ぶつかった弾みで、左右に分れた。といっても、三匹の犬は、お互い舐め合うことで再会を喜んでいる。
「一体どうしちゃったの、これ。あなたがはかりごとをしたのね」
「いいえ、僕にはそんな力はありませんよ。もしはかったものがいたとしたら、ゴム風船を動かした気流、風の流れですよ。もっと端的には、天の意志です」
「そうやって、あなたと私は結ばれるってこと?」
「どうもそうらしいですね。ここまで重なると」
 間もなく、男と婦人と白い風船が、三匹の犬、赤い風船、青い風船と合流した。

           了