波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

猫やなぎ

2012-02-09 16:33:27 | 散文
                            ◇
                           猫やなぎ
                           赤子あやして
                           喰はれけり

 赤子に玩具を買ってやると、珍しいうちは弄り回しているが、厭きるともうかえりみない。一時の執心が強ければ強いほど、熱がさめた後の、玩具へのつれなさもひとしおである。あたかも、一時心を奪われていたことに復讐するかのようである。
 玩具は部屋の片隅から、物置へと追いやられ、それっきり人の目にはつかなくなる。引越しのときなどに、
「あら、うちにこんなのあった?」
 などとあしらわれるくらいが、関の山だ。
 手が離れた赤子は、デジタルのゲームにこっていて、母親の声も上の空だ。
 そんなものだ。過ぎ去り行くものの運命なんて、すべてこのようなものだ。

 それに比べると、猫やなぎなんて、もって瞑すべしなのではないか。
 若い母親に抱かれた赤子は、猫やなぎを見せられただけではもの足りず、取ってくれとせがむ。母親は少しだけならいいだろうと、周囲の目を気にしながら、小枝を折り取って、子に与える。
 赤子はその柔らかくしなやかな、弾むような感触を愉しんでいたが、幼いなりに想像が膨らんでいく。
 それはそうだろう。猫やなぎのまろく小さな莟は、緑の梢となって光に流れる、未来の大きな可能性を含み持っているわけだから。
 それを今、眼前に見ようとしても、所詮無理というものだ。木の芽はゆるやかな季節の流れに乗って、生い育っていくのだから。
 しかし赤子は容赦なく、隠しているものを、今見せよと迫るのだ。
 指で触り、こね回しても、一向にそれが見えてこないものだから、彼は狂気に駆られたようになり、つい口に入れてしまう。
 あたかも咀嚼すれば、その意味の解読が可能になるとでもいうように。