波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

海のない男 

2018-09-21 07:11:47 | 超短編



東京に行けば海がある。
そう思って、何年も前に飛び込んだ。
実際には、何年も前ではなく、何十年も前に。
飛び込みはしたが、海は遠かった。

 電車とバス、バスと電車、複雑な経路を辿って、
青い海の前に立ったのは、何年もしてからだった。、
至難といってもいい、長い旅の帰結のようだった。

 そこで最も安易に過ごせる場所として、目に飛び込んできたのが上野の、御徒町を最寄りの駅とする、アメヤ横丁だった。
 御徒町なら、京浜東北線か山手線に乗れば、間違いなく、御徒町を通過する。通過したくなければ、降りるだけだ。
 疲れていようが、心が塞いでいようが、そこで下車して、人の背を押し、人に押されて、足を進めていけば、必ずその通りに出る。アメヤ横丁。

 夕方だった。
 海浜魚の助「これは海を愛する彼のペンネームのようなものだ」は御徒町で降りて市場の奥まったところに並ぶ鮪のトロに目をやっていた。ガード下の近くの酒場で安酒を二三杯引っ掛けて帰るつもりだった。高校生の息子と娘がいるが、二人共受験勉強に追われていた。そんなときは酒好きの父親など、家にいないほうがいいのである。しかし頭の血の巡りをよくするためにも、子供に大トロでも食べさせてやりたかった。生魚を扱う魚屋は早々と店をしまってしまうので、飲むのは後にしようと考えていた。
「……旦那千五百でいいよ。毎度の旦那のことだ」
 海浜魚の助はそう値切られても、買うつもりはなかった。奥で行われている釣りマニアの男と店の主人の話に耳がいっていた。釣りマニアの男は、海で釣り上げた大きなカレイを五枚、この魚店で引き取らせる交渉をしているところだった。
「……それはちと高いと思うな。いくらまだ生きていたにせよだ。もともとタダだった魚だよ。電車代とか宿泊代とか言ってもだよ」
 値切っているのは、魚屋のほうだ。
「五枚は家に持ち帰るさ。残るこの五枚は、買って貰わないとさ。いくらなんでもそんなタダみたいな値でおくわけにはいかないよ」
 魚屋の主人は黙ってしまった。海浜魚の助の深いところから、言いようのない憤りのようなものが湧き上がってきた。この釣りマニアは海を自分のものにしている男だった。海に勝利している男だった。その男が海浜魚の助の漁場に乗り込んできて荒らし回ろうとしている。海浜魚の助は自分がかろうじて生きている場所まで根こそぎにされてしまう。そうさせないためには、海を買い上げるしかない。男のカレイを買い取るだけだ。頭がそういう方向にしか回らなかった。
 そこで海浜魚の助は、やや離れた場所から声を放った。焦りとも怒りともつかない感情に押しまくられて、
「そのカレイ、俺が買った!」
 そう叫ぶと釣りマニアと主人のいる方へいそいそと足を運んだ。
  海浜魚の助は、釣りマニアが最後に提示した値段で買い上げてしまった。五枚のカレイに一匹おまけをつけさせて。
 それを魚屋の主人にこの店のレジ袋に入れてもらい、魚屋を出た。
 海浜魚の助がてっきり御徒町駅に向かうと思っていた釣りマニアは、
「じゃ、俺は上野にいくから」
 と言って魚屋の前で別れた。釣りマニアは途方にくれて、行き先を失ったような慌て方をしていた。
「じゃあな、バイバイ」
 と海浜魚の助は元気よく言った。
 
 おわり

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スタート

2018-09-20 18:41:17 | 超短編


 道場から庭に出て剣道の練習をしていた一人の男が、
「えいっ!」
とばかり、竹刀を突き出してきた。
 このとき道場に近い笹薮の道を、ひとりの女が走って来て、庭をすり抜けるところだった。
 女は、
「ぎゃあ!」
と、女のものとも思えない奇声を発して後ろへ倒れた。女は倒れたが、傷はなく、むしろ明るい顔で地面から立ち上がった。
 驚いたのは竹刀でうち叩いた男の方で、
「お怪我はありませんでしたか」
 と女が立ち上がるのを助けて言った。
 てぶらの相手に打ちかかるなど、あってはならない出来事だった。
「怪我どころか、助けられました。実は藪の中の道を急いでおりましたところ、大きな蛇が寝そべっているのに気づきまして、うっかりその頭を踏みそうになったのです。体がふらついて踏み込んだところ、意外にも小蛇に化けておりました。気味の悪さは逆に大きくなって、恐怖から抜け出そうと、必死に駈けて来ました。あっ、申し遅れましたが、私は朝霧広場で毎朝コーラスの練習をしておりまして、そこに向かって急いでいたのです」
「ほう」
 男は女の話の腰を折ってきた。「実は僕も今朝は奇っ怪な霊的体験をしまして、道場での練習を早目に止めて、庭に出て来たところでした。どす黒い霊的な悪魔がひそんでいて、それを断ち切らなければならなくなり、そのものに向かってしないを振り下ろしたのです。そのとき倒れたのはあなたでした。僕はとんだ間違いを起こしたと思っていました」
「これではっきりしましたわ。あのとき、私を悪魔が襲ったのです。私は恐ろしくて逃げましたが、包み込むように追いかけて来たのでしょう。それをあなたが霊に感じて、退治してくださったのです。倒れた後、気分がすっきりして、ご覧のように歌えるのですよ。
 女は言って、ソルベーグの歌の一節を軽快に口ずさんだ。「あっ、コーラスの練習に遅れる!」
 と女は言った。
「急いでください。この竹刀の剣先の方向に走るのです」
 男は言って、続いていく道に向かって、竹刀を突き出していた。ついで気合を入れた。
「えいっ!」
 男が叫ぶと、女はつづく一本道に向かって、走り出していた。男を振り返ったら、その竹刀の剣先が自分に降りかかる恐怖にかられて、一心に駈けて行った。

 おわり
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虫のいたずら

2018-09-16 13:27:58 | 超短編


虫のいたずら


 通勤バスを利用している町子は、バスを待って十人ほどの列に並んでいた。列の前の方である。観葉植物の樹が三鉢置かれ、真ん中の樹に鈴虫が留まっていて、清々しい声で鳴いていた。細くて長い触角が町子の半袖の腕に届きそうである。鈴虫を飼ったことのある町子は鈴虫に興味が湧いて、それとなく身を近づけてみる。触角の先が町子の手に触れて、鈴虫は少し後じさりした。町子は動じず、鈴虫のの方も一度当たってみて安全を確認したのか、今度はひるまなかった。むしろそれを示すかのように、声を大きくして鳴き出した。
 町子は飼っていた鈴虫のことを想い出し、大胆に手を近づけた。鈴虫は人間に好感を持ったらしく、町子の手の甲につかまって、観葉植物の葉っぱから、全身を町子に乗り移ろうとして腕を這い上ってきた。
 それを見た列の若者の一人が苦渋を浮かべ、周辺にざわめきが起こった。
 バスがやって来た。町子は困った。せっかく鈴虫が彼女を頼って移ってきたのに、それを見捨てるようにして、バスの人になっていくことが、虫のためにも彼女自身のこころのためにも不都合な気がした。バスが停って扉を開くと、町子は列から出て横に身を逸らし、列の後ろの人に「どうぞ」という身振りをした。
 全員乗り込んでも、まだ空席があった。若い運転手が開いている前ドアから、町子のことをじっと見ていた。このバス停は一路線のみの停留所で、ほかのバスを待っているとは考えられない。今まで並んでいて、どうして一人だけ横に抜け出したのだろう。
 全員乗り込んでしまい、町子一人だけ残っているのを見ると、運転手は町子の方へ向き直って、彼女に早く乗るよう促した。大きくそういう身振りもした。
 町子は運転手の心遣いが痛いほど読めて、
「いいんです。どうぞバスを出してください」
という身振りをした。頭を下げ、それから顎をバスの進む方角に向けて、恭しく、瞳には感謝をこめて。
 運転手には、彼女の心の優しさや感謝は伝わったが、町子を一人残して走り出すことに、躊躇いと困惑が残った。どうしてこの人を置いて行けるだろう。
 次のバスが来るまでには、まだ三十分はある。このバスは空席を残している。その潤沢に手をつけず、放棄したまま出発することに躊躇いがった。
 そこでもう一度、町子を促し、打診するこころみをした。そうせざるを得ないというように、この美しい人を一人残して走り去る無情を自分はおかすことができない。運転手は顔を向けてはいても、町子その人を見てはいなかった。
 町子はこの鈴虫がいるから、そうせざるを得ないのだと、虫の留まった腕を挙げて訴えてみるが、運転手には伝わらなかった。
 運転手は町子を誘う最後も試みに出る。だがそうするにはとてつもない勇気を必要とした。今彼女を見逃したら、二度と会うことはないという打算に根ざしていたからである。しかしとにかく、彼女をここで失うということは、絶望にも等しい慄きだった。闘わなければならない。そう自分に言い聞かせた。一目惚れだな、と彼に囁く声がした。たった今芽生えた恋の戦慄。その発見に彼は怖れを抱いた。とはいえ、公私混同であろうとなかろうと、自分が立ち至った現実に挑戦しないではいられなかった。もう彼女に呼びかけるなどできるはずもなかった。彼女の方を見ることもおぼつかなくなっていた。
 冷静になってみると、運転手にはこんな思いも湧いてきた。
彼女はそこで愛人を待っていたのではないか。その愛人を運転手の自分が、このバス停に連れて来て降ろさなかったために、彼女にいらぬ苦悩をもたらし、愛人は次のバスでやって来るかも知れないと、あそこに立っている。
 だが、そう受け取るには、彼女はあまりにも余裕に溢れている、あの恭しい聖女のようなもの腰は、ちょっとした演技などでできるものではない。
 運転手のおぼろに霞んだ目は、町子をまともにとらえることはできなかった。乗客の中にちぐはぐな空気が流れ、運転手ははっと我に返って、短くクラクションを鳴らすと、バスは町子の立つ停留所を出て走りだした。
 町子は黙って頭を下げつづけた。ごめんね、と呟いたが、鈴虫にだったか、若い運転手に向けてだったか、あいまいになっていた。
「おまえが悪いのよ。私の腕につかまって来たから」
 そう語りだしたが、町子自身に語っていることばのようでもあった。

 おわり
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鈴虫 未完 超短編

2018-09-14 21:16:33 | 超短編


 小学二年生のタキミの家は、寂しい山里にある。山里に学校はな
いので、少し離れた町の学校までバスで通っている。
 タキミは一匹の鈴虫を飼っていた。実家の近くの草むらで捕まえ
たのだ。小さな虫かごに入れて飼っているが、タキミによくなつい
て、彼女が小学校に出かけると寂しがって、全く鳴かなくなるらし
い。それで虫かごに入れて、彼女が乗るバス停まで連れて行き、バ
スが来ると草の茂みに虫かごごと隠しておき、帰りにはそれを手に
して帰っていくのだった。それでは家に置いておくのとあまり変わ
りがないが、それでも鈴虫には、ちょっとした変化があって、たの
しいらしかった。それはそのような環境の変化があったから、家で
もよく鳴くようになったことでも分かった。それは彼女がバスから
降りて鈴虫を手にするまでのわずかな時間にもしきりに鳴いて、自
分の居場所を教えることでもはっきり分かった。
 ある日学校の二人の親友に、自分が飼っている鈴虫の話をしてや
った。二人は興味を持って、その鈴虫を見てみたいと言い出した。
二三日後、二人の友達もタキミ同じ帰りのバスに乗った。寂しい村
といっても、バスが三つ目のバス停に止ると、もうタキミの村だっ
た。
 いつも通学するとき隠しておく草むらにに来て、タキミの心臓は
止まりそうになった。いつもタキミを迎える鈴虫の声がしないのだ。


未完
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空き缶叩き 未完

2018-09-14 20:56:17 | 超短編



 空き缶を叩けば青大将もやって来る。頭踏んだら逃げていっ
たよ。
 缶叩く、そこに鶏やって来て、卵産んだよ。温泉みたいに
湯気昇らせて。
 綿羊も、オイラの傍に寄って来て、早く毛が生えるように
頼んでいった。
 寒くなるので早々に毛を生やしてやらねばやらねばなんね
え。そう唄ったら綿羊は、ケケケケケケと笑いやがった。
 綿羊なんか勝手にしろだ。
 と兄貴の一人が叫んだ。
「あんな奴のために、唄なんかやめれ」
 と別のあんちゃんが言った。羊の人気がないのは、子供の
ために手袋一つ残していないからだった。空き缶叩きの出べ
そは、それを知っていた。羊毛の業者がやって来て、電気バ
リカンで羊の毛を皮でも剥ぐように、綺麗に刈り取り袋に毛
を詰めて持っていったきりだった。お金は母さんが業者とヒ
ソヒソ話し込んで貰っていたが、いくらになったのかも、子
供たちは知らなかった。はっきりしているのは、赤裸の綿羊
が一頭残されただけだった。その時からこの羊は、出べその
空き缶叩きに頼るようになったのである。
 自分を慕ってくる綿羊を、出べその空き缶叩きは無視する
わけにはいかなかった。自分に缶叩きのちからしかないので
あれば、それでかばってやりたかった。しかしこの羊の前で
は、いくら缶を叩いても湿った音になってしまい、あの雌鶏
が卵を産んだ時のような、威勢のよい甲走った乾いた響きは
立てなかった。エメー、エメーとかぼそくたよりなげな声で
鳴くだけだった。
 出べその空き缶叩きを小学校の子供たちが足を止めて、耳
を傾けるようになった。デベソは缶叩きの他には何もでき
なくても、人気があったのである。デベソの話は荒唐無稽で、
口から出任せにしゃべっているように見えたが、要所要所に
真実が入っているので、つい足を止めてしまうのだった。
 その空き缶叩きのデベソが、突然ある日姿を消してしまっ
たのである。


  未完


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自慢の息子

2018-09-13 08:49:17 | 超短編


 子供の頃体が弱く、学校を休んでばかりいた父親は、学校の成績も
よく、なんでも知っている息子に頼って、分からないことは、その息
子に訊いた。
「さっき、庭でしきりに鳴いていた虫がいたな。あれはなんという虫
だ?」
 息子は首を傾げていたが、逆に父親に質問した。
「パパ、そこの農道を鈴を鳴らして通ったものがあったけど、あれは
何だったの」
「あれは近藤さんちの馬だ。馬が馬車を引いて通ったのさ」
「それじゃあ、カンタンさ。庭で鳴いていたのは、ウマオイさ」
 息子は言って、パソコンのゲームに挑戦して行った。

 おわり
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カリガネ

2018-09-11 23:24:53 | 超短編


バスで通う音楽の先生と、バス停に向かう道が一緒になった。咲子はコーラス部に所属していて、音楽の先生の指導を受けているのだ。
 バス停が近くなったとき、頭上を雁が渡った。七八羽の雁がか細い声で鳴き交わしながら薄暗くなりかけた中空を横切っていく。
 先生がいきなり立ち止まった。革鞄を脇に挟んで、神妙な顔をして目をつぶっている。
 咲子は先生が病気になったと思い込んで、
「どうしたの?」
 と傍に寄って顔を見上げた。先生は依然目をつぶって、何かに集中している。
「どうもしない。かまわずに君は先に行ってくれ。僕はここで雁の声を聴いていく」
 そう言って、目をきつく閉じた。その顔はさっきより深刻で、どうして目を開いては聴けないのだろう、と訝った。さすが音楽の先生だと思う一方で、こんなふうに私の歌声も聞かれているのかと不安にもなった。
 雁は最初の七八羽は前へ行ってしまい、次の群れがやって来るところだった。そのか細い声が暮れかかる街並みを突き刺すように響いてきた。
 咲子がまだ心配で立ち去れずにいると、
「カリガネというだろう。あれは飛ぶ姿のことではなく、雁の音だ。雁の鳴く声のことだ」
 と言った。咲子の姿なんか見もしないで。明日学校で、誰かに言わないと、心がおさまりそうもなかった。

 おわり
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2018-09-10 08:58:15 | 超短編


 ゴメの湧く下には、大漁の鰯漁船が、岸壁に横づけになっていた。
 久しぶりに外出の許可が出て、病院に近い河口の土手や漁港の周
辺を散歩していた岩城三郎は、いのちについていろいろなことを考
えていた。ひとつは儚いいのちについて。大漁の鰯の中には、まだ
生きている鰯もいるようだった。そしてその鰯を存分に食すること
のできるゴメ。
 岩城は病院に向かって足を運びながら、左側の肩が重くなってい
た。下がっているのは手術をした左の肩だ。鰯には鰯のいのちが、
ゴメにはゴメのいのちがある。それは判っているつもりだったが、
人間にも人間のいのちがあると言ってやりたかった。彼は何故かた
まらず,いのちが安価に扱われているような気がして、自然のいの
ちの法則に逆らってしまったのである。それは彼が子供病室の女の
子に頼まれて購入してきた銀色に光る風船を、レジ袋から取り出し、
夕日にきらめく岸壁で振り回してしまったのである。ゴメが湧きあ
がったのは、そのせいだった。
 不思議に彼には罪悪感はなかった。若い漁船員の一人が、何をす
るのか、というような目を向けはしたが、その男は岩城に背を向け
て船員室の方へ歩き出していた。
 ゴメは今頃、大漁の鰯の山に戻っているだろう。
 岩城は入院中の病院に向かって歩いていた。ゴメの翼よりはずっ
と重い足取りで。
 せめて銀色の風船がゴメの群れを驚かしたように、風船を手にし
た少女が目を輝かせ、元気になってくれたらいいと願いながら、彼
は病院の坂道を登って行った。

 おわり
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踊り

2018-09-09 16:25:18 | 超短編


 一人娘のヒロミと飼い猫のミキは、窓を全開にして盆踊
りを見た。家の前の広場が盆踊りの会場に当てられていた
からだ。広場の中央にはヤグラが組まれ、ヤグラの中央には太
鼓が置かれて打ち鳴らされた。
 その太鼓叩きの一人に、タマミの父親も選ばれているの
だった。町の役員をしていれば、選ばれたってしょうがな
いよ、と父は言っていたが、選ばれたのを誇らしく思って
いたのだ。
 いよいよその父が、ヤグラの上に登場して、一打を放っ
た。バチを持った腕をくるくるっと振り回してから、太鼓
に一打を浴びせた。
「カッコつけちゃって」
 とタマミは嘲ってみたが、内心父の名演に拍手を送って
もいたのだ。
 猫のミキがどんな思いで見ているか気になったが、ミキ
が父を見ていることは確からしく、父が太鼓を打つ度に、
大きくミキの肩が揺れ動いた。

盆踊りも幕が下りて、実家でも父を交えて酒盛りとな
った。母も父の名演を褒めていた。ヒロミは「かっこ
つけちゃって」と冷やかしもしたが、ミキは体を揺す
って見ていたよ、と言ってやった。すると父は、
「それは知らなかった。ミキはどこだ。ミキはどこだ。
こっちに来い。来れば、お前を褒めてごちそうして
やるのに」
 そう言って猫を探しにかかった。
 しかしどうしたものか、猫のミキはカーテンの裾
に隠れて、父の前に姿を現わそうとはしなかった。
 ヒロミは思った。
父がバチを振り上げ、それが太鼓に振り下ろされる
一瞬、ミキに走った慄きのようなものを。あれは父
の名演に感心するというよりは、あのとき父に入っ
てきた何かに怯えたのではないのだろうか。一体あ
のとき、何が我が家の大黒柱に襲いかかったのだろう
か。それをミキに、こっそり訊いてみたかった。ミ
キはいくら父が呼んでも、カーテンの裾の後ろに隠れ
て出て来ない。

 おわり
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白いスニーカー

2018-09-08 01:01:04 | 超短編


 新聞配達の学生が、朝刊を配り終えての帰路、いつもそうしてい
るように、近道の草原を通った。軽くなった自転車を飛ばしていく
と、前方から手ぶらで軽装の、白いスニーカーの女性がやって来る。
身ごなしの軽さもあって、散歩中と見受けられる。 
 野の中を通る狭い道なので、学生は自転車のスピードを落とした。
すれ違いながら、学生は少し気になって隣に目をやった。驚いたのは
白いと思っていたスニーカーが、草の汁で斑に緑に染まっていたこと
だ。靴から顔を上げてもっと驚いたのは、彼女の目から涙が溜り、頬
を伝っていることだった。そそっかしい彼は、それがスニーカーを染
めたと早合点したことだ。しかしそんなはずはない、と彼は通り過ぎ
てしまってから、考え直した。あの涙だって、思い出しているうちに、
ふっと湧いてきたのだろう。そんなことはよくあることさ。
 と、そのときである。
「ハハハ、私って、ッタク、ドウカシテルノヨネ」
 振り返った学生の目に飛び込んできたのは、遠く霞む都会の方角に、
ほぼ九十度向き直って叫ぶ、あの泣いていた白いスニーカーの女の姿
だった。女の声は山もないのに、木霊のようによく響いた。
~本当に、どうかしてたんですよ、あなたは~
 学生は女を慰めるように、あるいは励ますように、そう呟くと、自転車
をいつものように飛ばして、野の道を帰って行った。

  おわり
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猫の退散

2018-09-06 10:55:01 | 超短編




 縁側に花茣蓙が敷かれると、飼い猫が来て、寝そべるようになった。しかも牡丹の絵模様の真上に来て、座ったり寝たりするようになった。
 牡丹の花の上に坐って毛繕いをし、満足すると横になって寝てしまうのだった。
 この家の三歳児である森男は、その猫の行動が好きではなかった。森男が牡丹の花の上で寛ごうとしているのに、猫に場所をとられてしまうからだった。森男が縁側に出てみると、猫が既に来ているか、森男が出てくるのを待ち構えていたかのように、さっと現れて、牡丹の花の上をとられてしまうのである。森男は口に涎をいっぱいためて、抗議するが、猫は言うことをきかなかった。
 ある日森男は、ついに実力行使に出た。身を横たえる前の毛繕いをしている猫を、追い立てにかかったのである。
「あっち行け!」と、まず猫に向かって一声を放った。心の中がうまく表現されていれば、そうなったはずである。連なる言葉も同じである。
「その花茣蓙は、ママがスーパーの特売所から買ってきたんだよ。おまえに買ってきたんじゃないよ。この僕とか、家のために買って来たんだよ」
「家のためなら、オイラだって、入ってらあな」
 猫がそう口ごたえした気がしたので、森男はしゃくに触って、拳を固め、猫をぶちにかかった。けれども猫は場所をどけようとはしないで、花茣蓙の牡丹の花を背中の下にして、腹をくねらせながら上に向け、じゃれる作戦に出たのである。じゃれる力技なら、こんな赤子に負けはしない。そんな自信がありありと出ている。ここで泣いてママに助けを求めると、男がすたる、とまで考えたかどうかは知らない。しかしそれに近いと思えば、そうなったにちがいない。森男は泣かず歯を食いしばって、グイグイ這いながら頭と肩の力で押していったのである。しかし猫は巧みに身をかわして赤子の力を半分以下にしてしまった。しかも血が出ない程度までは、爪と牙の威力を行使したので、猫の歯と爪の痛さをこらえるだ
けでもかつて経験のないことである。
 森男は知恵を絞って、花茣蓙を巻いて猫を追い払うことを思いついた。そうすると一時は後退することになるが、先の勝利のためには仕方がないとして、猫に背を向けて這い這いになり、花茣蓙の端まで後退した。
 そこから花茣蓙の巻き取りが開始されたのである。
「行くぞ」とも「今に見てろ」とも赤子は口にしなかった。 変な奴が、変なことを始めたぞ、と猫は思ったが、猫は寝たまま首だけをよじって、赤子の行動を見守っていた。
 三歳児は息を喘がせながら花茣蓙を巻き始めた。ゴザが狭められていくのは明らかだ。
 猫は慌てだした。心では動揺しても、体は定まっていた。この愚かものがと身構えていた。腹の下にした牡丹の花は、
自分のものだ。何としても、この花の絵は自分のものだ。これまで自由にできたのだ。急に追い出されるなんて、そんな異変はこれまでの生き方の中で味わったためしがない。あんな赤子に追い出されてたまるか。猫はそう決心して、牡丹の花の絵を守る姿勢になった。
 赤子は荒く息をつきながら、特等席に陣取る猫に接近していった。
猫のいる位置は、花茣蓙の中心というよりは、縁側の外側に近かった。
それだけに、ゴザを巻いていけば猫の領土を狭めることになる。心強いことこの上もない。これだけ多くの領地を巻き取って抱え込むので、重たさは相当なもので、赤子の精神に及ぼす影響は甚大だ。牡丹の絵を確保して陣取る猫が近づくと、赤子はゴザを巻くのに力がいった。
 猫がどんと座り込んで、その無形の力が赤子に及んでくるのだった。
赤子はその猫を追い払う為に、掛け声を大きくした。赤子の心中を補って言えば、「ここまで来れば、時間の問題だよ。覚悟しな。後からこの森男さんに睨まれないために、今のうちに腰を上げたほうがいいよ。何でも辛抱すればいいという、ものではなく、潔く諦めたほうガ良い場合だってあるんだよ。今がその時だ!
 しかしこの猫は、何をぬかすかとばかり、森男を睨みつけていた。
 先ほどじゃれつこうとした素振りなど、いまはまったく影を潜めている。
「どけったら、どけ!」
 言葉足らずの赤子ではあるが、それに近い発声をしていた。猫に迫り、猫が牡丹の上から身動きしないと見て取ると、赤子は声を限りに叫びつつ、全力投球して、それ以上は続かないところを、別の力で補うために床を這うことをやめて、二本足で立ち上がったのである。そうやって両手で丸めた花茣蓙を抱え込んでいた。さらに花茣蓙を持ち
上げて、猫を振り落とそうとしている。
 赤子の総力をあげた戦いが,他に伝わらないはずはなかった。ここではシンクで夕食の支度をしていた母親の耳を異様にして、揺さぶった。吾子に異変が! と見た母親が、ドアを開いて顔を出した。
 これまで一度も立ったことのない赤子が、丸めたゴザを抱えて、下にいる猫をどやしつけていたのである。
 母親は慌てふためき、奥にいる自分の母親、森男の祖母を呼んだ。
「おばあちゃん、来て、来て。森男が今、立っているのよ。危ない、危ない。立った森男が、倒れる!」
 そう言うなり、母親は縁側に飛び出していた。この騒ぎに祖母が奥から出てきて、孫の立ち姿を確認した。
「よかった、よかった。発育不良じゃなかった。ほれ危ない。持ったこともないものまで、抱え込んで」
 この家族ぐるみの狂乱に、怖れをなした猫は、牡丹の花茣蓙を立ち退き、夕日のきらめく外へと、逃げ出して行った。

  了                     
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夏掛け

2018-09-04 17:13:23 | 超短編


あるようで
ないようでもある
夏の掛け布団
その過不足が夢に
ふと湧く

君が短大を卒業して、故郷に帰るとき、
僕に贈ってくれたもの。
それは純粋な綿織物だから、肌触りが
よく、移りゆく季節にもあって、随分
重宝したものさ。けれど季節も進んで
早朝の寒さが増して来ると、夏掛け一
枚ではもたなくなった。特に最近はそ
んな日が続いている。と言って、毛布
をプラスすればちと暑い。僕は肌の感
覚に合わせて、足を伸ばしたり、縮め
たりしながら、君の心中を推し量って
いた。
どうして僕に、こんなものをプレゼン
としてくれたのかなって。シツレイ!
そんな君へのいとおしさと、もどかし
さを、半々に感じながらの明け暮れをし
ている折りも折り、ついさっき、近く
にある町工場の正午のサイレンが鳴ら
されるのと同時に、君からの宅配便が
届いたのさ。これは正直、嬉しかった
な。羽根布団が実用を満たしてくれる
だけではない。添えられていた文面が
僕を欣喜雀躍させたのさ。
君が母校に戻って、あと二年間学びた
いということ。実家の経済状況を考え
れば仕送りは無理だから、アルバイト
でも、家庭教師でも、率先してやると
いうこと。何より嬉しかったのは、君
が僕のことを母親に告げてくれたこと
だった。
「だって無理でしょう。その羽根布団は
誰に送るのかって、それはそれは執拗に
訊いてくるのだもの」
と君は、母親に負けないくらい、しつこ
く書いているけど、それは話してくれて
よかったのさ。僕にも母親に執拗に訊か
るだけの価値があったわけだからね。た
だあの夏掛けのことは、母親にも内緒だ
ったと思うから、小さくまとめて押し入れ
の一番上にでも隠しておくよ。

        了


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子犬のハンカチ

2018-09-02 07:44:40 | 超短編

ハンカチに


潜るごとくに


犬が嗅ぐ


 


 それが若子が家を出るとき残していった形見のハンカ


チであることも知らずに。


 四日経っても、子犬がハンケチを咬む行為をやめない


ので、若子が出て行って一週間になる日曜日、早雄は若子


に電話をした。このペットは、早雄より若子になついてい


たから、どうにかしてくれと訴えたい思いもあった。


  若子は一瞬押し黙ったが、


「困ったわね。じゃ行ってみるわ、お昼頃になると思うけ


れど」


 早雄は若子との短い生活を目に浮かべながら、彼女がよ


くこしらえた卵と茄子の手料理を作って待っていた。


 ドア口に若子の匂いを嗅いだペットが、ハンケチを投げ


出して、慌てだした。慌てるといっても、歓迎を赤裸々に


した騒ぎようである。


 早雄はどうぞと声を放った。


 子犬は若子に跳びつき、吠えまくった。傍らには咬まれ


て原形をとどめないハンケチが、ボロ切れとなって横たわ


っている。


「あらあら、これは」


 若子はハンケチを手に取り、うろたえたが、それを床に


戻すと、


「お前には、いくら咬んでも傷つかない合成樹脂でできた


お人形を見つけてきてあげたからね」


 そう言って、ショルダーバックからその人形を取り出し


た。ペットのダックスフントの毛色に近い、茶髪の外国製


の人形だ。


 若子が人形を与えると、ペットは前両足で抱え込んで舐


め始めた。何でも口につけなければ気の済まない犬だ。


 若子は次にビニールの包を出し、


「これはあなたのタオル」


 そう言って彼の前にシックな模様の入ったブルーのタオ


ルを置いた。


 包がもう一つ残っている。彼女はそれを示して、


「これはねえ、私用のタオル」


 そう言って赤い刺繍を施した女性用のタオルを、彼のタ


オルの隣に並べて置いた。


 彼は何も言わなかった。シンクに立ち妻直伝の卵と茄子


の簡単な手料理を皿に盛った。


 この調子では夕食の心配もしなければならないと思うが、


何にしたらよいだろう。


 彼が額を押えて考えこもうとしているところを、若子


が目敏く見つけて声をかけてきた。


「夕食何にしようかなんて、頭を悩まさないでね。明日


からは私がするんだから。今晩だけは店屋物にしようね。


あなたの好きなツグミ屋のパイを頼んできたから」


「おっ、ツグミ屋か。久しぶりだなあ」


 彼の声が弾んで、手料理を運んできた。


「私こう見えても、ママにさんざん言われて、反省して


るんだから。でも電話してくれてよかったわ。電話がな


かったら、どうなっていたかしら。ペットちゃんに感謝


しなきゃ」


 若子がこう言ったとき、ダックスフントが、小声で


ワンと吠えた。


 


 了


 


 


 


 


 


 

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昼寝

2018-08-22 07:35:26 | 超短編





 妻と一人娘に、パパと呼ばれている、中年のサラリーマンが、暑中休暇を取った。その一日、リビングで昼寝をしていて野鳥に起こされた。何という鳥なのか、名前はわからない。無名の鳥だ。
 父親は縁側にいた小学六年生の娘に聞いた。
「今鳴いていたのは、何という鳥だ」
「知らないよ。少し大きめの、頭の赤い鳥だった」
「けしからぬ鳥だ。あんな大声で鳴くんだから」
「パパその鳥に起こされたのね。それでそんなに怒っているのでしょう」
「寝なおそうにも、寝られやしない」
「そんなに癪に障るんなら、あんな松の木切ってしまえばいいのよ。花も咲かないし場所ばっかり占領して
「馬鹿、あの松はおじいちゃんが、群馬の業者から購入してきて植えた大切な木なんだ。そんな可哀想なことできるか」
「群馬県から、馬のあとを追ってくるなんて、変な鳥ね。花の木に来るのなら分かるけど」
「おじいちゃんは、競馬が好きだったからね。パパもよく連れられて行ったものさ」
 娘ははじめて聞く父親の新情報にびっくりして、足から頭のてっぺんまで、しげしげと観察した。
「でれでれしたパパが、どの馬が速いとか、よくそんな見立てができたね。へえー?」
 としきりに驚いている。パパは娘に逆らうことはせず、
降参した。
「見立てはおじいちゃんで、パパはもっぱら、おじいちゃんに来る蚊を追うのが専門だったな。その代わり帰りには、高級なローストビーフをご馳走してもらったものさ」
 それにも娘は負けていなかった。
「馬のお肉ね」
「ばか、どうしてお前はすぐ、飛躍するんだ」、
「牛だって、豚だって同じよ。生き物なんだもの」
 このとき松の木に別の鳥が来て鳴いた。頭の赤い大きな鳥ではなく、娘もよく見かけるかわいらしい小さな鳥だった。目白だった。
「この鳥はいいの?」
「ああ、パパはもう寝ていないし。目白はママの好きな鳥だから、ママを呼んでいるんだろう」
 こう言って間もなく、ドアの開く音がして、買い物に出ていた母親が帰ってきた。
「ママよ。私お土産にアイスクリーム頼んだんだった」
 娘が戸口に駆けて行った。目白はまだ鳴いている。

 おわり。
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狐火

2012-12-16 17:37:20 | 超短編



*狐火


辺境の山村に、一つの灯りが瞬いている。麓から見ると、どうして

も狐火だ。狐の火が見えるようになるとは、ただごとではない。悪

い霊が取りついたのか。

彼は追い払うべく、さかんに頭を振った。


頭振りを止めると、目の前に女が立っていた。東京に就職した近所

の女だ。彼の初恋の相手でもある。ゴーカートを手にしている。

「どうしたんだよ、いきなり現われて」

「あんたこそ、どうしたんよ。目茶に頭振ったりして」

「狐火が見えたから、頭冷やしていた」

「やだ、私が狐だって言うの? 私東京勤めを辞めて、帰って来た

のよ。これからよろしくね」

彼はにわかには信じきれず、慎重に女を探りにかかった。

まるでどっちが狐なのか判らなくなる。


  ☆


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