波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

パパの頭を滑る。

2012-03-30 11:31:51 | 童話



 [パパの頭を滑る]


 うちのパパは頭が禿げていて毛が少ない。
 夢で私は、パパの頭をスキーで滑り降りていた。少ない髪の毛は、
夢では、少ない小さな木になっていた。小さな木の間をぬって、滑
り降りるのは気持ちよかった。何度も転んで、雪の面に凹凸を作っ
たりした。

 朝起きると、パパは頭が痛いと言った。
 私はびくっとし、隠れてパパの前には出ないようにしていた。
 ママは、
「あんなに遅くまで、飲んでくるからよ」
 と言ってパパをとがめた。
「だって、付き合いだからしょうがないよ」
 パパはそう言って、たいぎそうにしていたけれど、遅刻して会社
に出かけて行った。
 猫のタマコは、悪さをして怒られたときみたいに、遠くから顔だ
けパパに向けて見ていた。
 私はそのタマコを見ていた。
「パパはもう行った?」
「OK」
 タマコはそう言って、毛づくろいをはじめた。私はほっとして、
リビングルームに出ていった。
                          おわり







対話

2012-03-29 23:47:01 | ポエム


    [対話]               


   …私 神様とお話ができるのよ… 
   と女の子は話していたが
   その子も逝って 幼馴染みの男が
   ぶらり古里に帰ってきた。

   同じ風景の中に立って耳を澄ませば
   鳥の声 風の音 梢のさやぎ……
   その奥から
   幽かに通ってくる声――

   少女はそのとき 神とどんな話をし
   ていたのだろう。
  








森のお祝い

2012-03-29 11:02:47 | 童話

 『 森のお祝い 』   


 森の近くに、家が一軒ありました。その家には、男の子がいて、
名前を太郎といいました。
 太郎は今日、七歳の誕生日を迎えました。誕生日のお祝いに、お
赤飯をたいてもらいました。
 太郎がお赤飯を食べていますと、縁側に、
「ぴーよ、ぴーよ」
 と、ひよどりがやって来て言いました。
「わたしはまだ、そんなにおいしそうな 食べものを、見たことが
ありません。一度だけ、そんな食べものを、わたしの子どもに 食
べさせてやりたいのです。どうか、三粒でも 四粒でも 下さいま
せんでしょうか」
 太郎は、箸に赤飯をつまんで、十粒ばかり縁側に置いてやりまし
た。
 ひよどりは、ひょこひょこと頭を下げてお礼を言ってから、赤飯
をくちばしにつまんで飛んで行きました。

 ひよどりが、ひなに赤飯をやっているところに、尾長が通りかか
りました。
 尾長は、ひよどりの母親に訊きました。
「そんなに おいしそうな食べものを、どこで手に入れたの」
 ひよどりは、森の外れの一軒家を、くちばしで指して言いました。
「ほら、あそこのお家の、太郎さんが下さったんですよ」
「それじゃ、わたしも貰って きましょうっと」
 尾長は、ひゅーっと森の上を飛んで、太郎の家の縁側にやって来
ました。
「太郎さん、太郎さん」
 と尾長は、長い尾を振りながら言いました。「なあに」
 と、まだ赤飯を食べていた太郎は、訊きました。お茶碗には、半
分くらい残っていました。
「わたしにも、そのおいしそうな食べものを、分けて下さいません
か。一度だけ、子どもに食べさせてやりたいのです」
 太郎は、尾長にも十粒ほど縁側に置いてやりました。
 尾長は、頭と尾をおもしろおかしく上げ下げして、お礼を言うと、
お赤飯をつまんで森に飛んで行きました。

 尾長が、子どもたちにお赤飯を与えていると、もずが通りかかり
ました。
 もずは、尾長の母親に訊きました。
「そんなに おいしそうな食べものを、どこで手に入れたの」
 ひよどりは言いました。
「あの森の外れの一軒家ですよ。そこの太郎さんから貰ったのよ」
「じゃ、わたしも貰ってこようっと」
 もずは、威勢よく飛び立ちました。

 もずは、太郎の家の縁側にやって来ました。赤い口を開けて、
「キイッ、キイッ」
 と言いました。
「何か、用? 今日はいろんな鳥が来るようだけど」
 太郎は、最後の一口を 口に入れてしまったところでした。
 もずはがっかりして、言葉が出てきませんでした。ところがこの
とき、太郎は茶碗をさし出して、お赤飯のおかわりをしたのです。
もずは今度は、急に嬉しくなって 言いました。
「わたしにも、そのおいしそうな食べものを、ほんの少し分けて下
さいな。一度だけ、子どもたちに食べさせてやりたいのです」
 太郎は、もずが話し終る前に、縁側に十粒ばかり置いてやりまし
た。もずの言いたいことは、はじめから分かっていましたからね。
 もずは、鋭いくちばしに お赤飯をくわえると、何度も頭を下げ
て飛んで行きました。
 もずが、子どもにお赤飯を与えているところに、こじゅけいがや
って来ました。
 こじゅけいは、もずの母親に訊きました。「ちょっと、その赤い
食べものは、どこで拾ったの?」
「拾ったんじゃないわよ。こんなにお目出たい食べものが、落ちて
なんかいるもんですか」「それじゃ、どうしたっていうのよ。まさ
か盗んで来たわけじゃないでしょう」
 こじゅけいは、わけが分からないという顔になりました。
 もずはきかない目つきになって、言いました。
「わたしが盗んだりすると思うの? これはね、あそこの家の 太
郎さんから貰って来たの!」
「じゃ、わたしも貰ってこなきゃ」
 こじゅけいは、慌てて走りはじめました。この鳥は、飛ぶよりも
 走るほうが得意のようですね。それでも、速いとは言えませんで
した。

 こじゅけいが家の縁側に来たときには、太郎の茶碗は空になって
いましたよ。そうとは知らずにこじゅけいは、
「ちょっとこい、ちょっとこい」
 と言いました。
(おや、へんなことをいう鳥だな)
 と、太郎は思いました。
(赤飯を食べてしまったので、怒っているのかな)
 太郎も、こじゅけいが「ちょっとこい、ちょっとこい」と鳴くの
を、知らなかったのですね。
「わたしにも、おいしそうな赤い食べものを、分けて下さいません
か」
 と、こじゅけいは頼みました。
 ようやく太郎は、こじゅけいが怒っているのではないと分かりま
した。けれども、もうお赤飯はありません。
 空になった茶碗を見せましたが、こじゅけいは戻って行きません。
きょとんとして立っているのです。

 そのうちに、この家でお赤飯を貰ったと聞きつけた鳥たちが、次
々と縁側にやって来ました。
 きじばと、めじろ、かわせみ、よたか、こまどり、とんび、から
す、きせきれい、のびたき、しじゅうから……と、それはそれはた
くさんの鳥たちが押しかけて来たのです。お赤飯を貰った、もずや、
尾長や、ひよどりの仲間も交じっていました。
 縁側にあふれた 鳥たちを見かねて、この家のおばあさんが言い
ました。
「よし、わしがもう一度、赤飯をふかしてやるから、みんな待っと
れ、待っとれ」
 おばあさんは、庭にかまどを持ち出して、お赤飯をふかしはじめ
ました。
 鳥たちは、庭の木や、屋根に留って、じっとお赤飯のたけてくる
のを見つめていました。こんなに鳥がいるのに、まったく声がしな
いなんて、考えられないほどです。あのやかましいむくどりさえ、
楢の木にすずなりになって、おとなしくしているのです。
 でも、こじゅけいだけは、いい匂いをかぎに、二歩、三歩と、か
まどに寄って行きましたよ。
 お赤飯がたけると、鳥たちはみんな仲良く順番を守って、貰って
行きました。一度貰って、また貰いに来るものなど、一羽もいませ
んでした。

 明くる朝のことです。太郎は、鳥たちの声で目が覚めました。ぴ
ーよ、ぴーよ、ででっぽう、ででっぽう、けっけんかけきょ、きい
ーっ、きいーっ‥‥
 また縁側に来て、騒いでいるらしいのです。ちょっとこい、ちょ
っとこいと言っている鳥もいます。
 しばらくすると、鳥の声がしなくなりましたので、太郎は縁側に
出てみました。
 するとどうでしょう。縁側には、足の踏み場もないほど、いろい
ろな物が置いてあるのです。
 ナンテンの赤い実があれは、まだ青いぶどうもあります。そのほ
か、名も知れぬいろいろな草の種。
 またこれは、もずが捕まえてきたものでしょうか、いもりさえ置
いてあるのです。どこで捕まえたのか、たにしや、どじょうも置い
てあります。そしてお赤飯によく似た、赤まんまの花もありました。
とうもろこしが、一粒だけなんてのもあります。
〈ははあ、これはみんな、昨日お赤飯を貰ったお礼のつもりだな〉
 と太郎は思いました。
 ところが、どうしてもお礼の品物を、見つけられない鳥がいたの
でしょうか。小豆色のきれいな羽根が一本、縁側の真中に置いてあ
りましたよ。考えたすえに、自分の羽根を抜いていったものでしょ
う。
 この羽根を置いていったのが、何という鳥か分かりますか?
「ちょっとこい」と言われたような気がして、太郎は庭の隅の草か
げに目をやりました。でも、そこには、鳥なんか一羽もいませんで
した。
                おわり


アヒルと羊

2012-03-27 20:38:14 | 童話




 [アヒルと羊]


 野道を羊とアヒルが出かけていく。
「私たち、似た性質ねえ」
 アヒルが話掛けても、羊は知らん顔して、道端の草を食む。知らん顔でも、いつもアヒルを目の片隅に入れていて、間が離れると、さっと追いかける。追かけながら、口をもぐもぐやっている。
「私たち似た性質ねえ」
 アヒルがいくら言っても、羊は口をもぐもぐやっているから話せない。
 アヒルはいささかおかんむり。池が見えたので、そちらへ走って行く。
 羊は草をこいで追いかける。
 アヒルは池にどぼん。
 羊は慌てて水際まで行ったけれど、ふかふかの毛の服では泳げそうもないから、
「メヘー、メヘー」
 と二鳴きして、忘れたように水をのむ。それから池を回ってアヒルを追いかける。
 アヒルは向う岸について、翼をぶるるん、尾羽をゆさゆさとやって水を切ると、また道に戻る。
 羊は息を切らせて池を巡り終え、アヒルに追いついた。
 そうやって二匹はまた道を歩き出す。
 薄雲に入っていたお日さまが、顔を出してぱっと照りつける。周りの世界がいっぺんに輝く。
 おや? その光り輝く前の道を、こちらへやって来るのは飼主なのだ。出先から帰って来たところらしい。
「あれ、おまえたち、どこへ行くつもりだね。似た性質のものが、こんな遠くまで来ると、帰れなくなるぞ」
 アヒルはたまげたふうに首を伸ばして、きょときょとする。
 アヒルは飼主を一ぺんに見直してしまった。何故といって、自分の思っているのと同じことを言ったのだから――。
 二匹はくるりと向きを変えて、飼主の前を走りながら、アヒルはまた言う。
「私たち、やっぱり似た性質ねえ」
 羊は知らぬ顔で、道端の草をすくい取っては、駆けて行く。                          
                            おわり





               

青蛙

2012-03-26 02:15:45 | 散文



[青蛙]



「あら、青蛙」
 艶めいた声が弾けて、青蛙の俺は、胡瓜の葉の上から若い女の掌にのせられていた。
 俺は逃出す気にはなれず、しなやかな女の掌中に安座していた。
 それからだよ、俺がその女にいかれてしまったのは。
 女は郊外の園芸農家の娘さんで、都心のオフィスビルまでバスで通勤していた。
 俺は女がまた胡瓜をもぎに来ないかと、終日待っていた。

 女は二度と現れなかった。俺はそれを儚んで、家の近くまで跳ねて行った。勤めに出かける彼女を待構えるのだ。
 女が出てくると胸が高鳴り、それでなくとも恋情を抑えきれなくなっていた俺は、暴発してしまいそうだった。
 こんなときの女は、通勤バスに乗遅れまいとするのか、俺なんかまるで眼中になかった。
 車道までは土の道で、蛙の足にもよく馴染んだ。バス通りまで俺は女の後を跳ねて追いかける。いくら懸命に跳ねても、女との距離は大きくなっていった。
 やる瀬のない待伏せと追跡をどのくらい続けただろうか。顧みられないだけ思いは募った。
 眠れない日が続くと、頭は逆に冴えてきて、ついに愚行に及ばないではいられなくなった。女に思いのたけを伝えるのだ。

 女の家の玄関前に辿着くと、戸の隙間を探して忍込んだ。
 一目で女のものと判る白いハイヒールを見つけた。
 俺はハイヒールに這登った。納まってみると気恥ずかしくなり、覆いのある靴先へと身をずらせた。
 ガラス戸が開いた。香水の香りが俺の鼻腔の奥へツーンと通ってくる。俺は咄嗟に身を竦めた。
 闇が訪れ、次いで容赦ない足の圧迫と重さに押し拉がれた。
「きゃっ!」
 悲鳴とともに女の足が引抜かれ、再び光が戻った。
 何事かと高校生の弟が飛び出て来る。
「靴、靴の中‥‥」
 女は取乱して、しどろもどろに語を継ぐ。
 弟が靴を手にして、中から俺を引きずり出した。
「何だ、青蛙じゃねえかよ。こんなもの」
 彼は俺を手にしたまま玄関を出て、地面に叩きつけた。
 白い腹を上にして、俺は大地に伸びた。苦労もなく手足は自由に伸びていった。
 朝日が眩しかった。
 しかしそれが頼もしくも感じられた。俺はかんかん照りの太陽に焼かれるのを焦がれた。
 だが、日輪が頭上に来るまで俺はもたないだろう。
 そう感じたとき、女の顔が燦燦と耀き、太陽と重複して迫ってきた。
「可哀想に、青蛙さんだったのね」
 女の柔らかな掌に包み込まれるのを、俺は遠くなる意識の奥深くへ大切にしまい込もうとしていた。

                                了




犬さらい

2012-03-25 07:59:58 | 少年童話




 [犬さらい]


「太郎、太郎、おいで」
 やや嗄れてはいるけれど、甘ったるい声がして、柴犬の太郎は振り返った。
 太郎が飼われている家から二キロも離れている公園で、自分の名が呼ばれるなど考えられもしなかった。
 空耳だろうと、ここまで続けてきた臭い嗅ぎに没頭した。この嗅ぎなれない臭いの正体を突き止めたとき、新しい未来が開けてくるといった、とてつもない夢が太郎の頭に浮かんでいた。嗅ぐ鼻息も荒くなり、それに併せて鼓動も激しくなっていた。
「太郎さん、太郎さん、ご飯ですよ」
 少しく様子を変えてはいるが、間違いなく自分が呼ばれていると察して、太郎は臭い嗅ぎを中断し、足を揃えて立ち止まった。
 まだ日はあるが、建物や木立の影は大きく膨らんできていた。砂場や、広場で戯れる子供たちの数も減っている。
 園内には爽やかな風がめぐっていた。桜の季節は終わったばかりで、地面のおちこちに花びらがかすかに色香を残して寄り固まっていた。そこからくる匂いもあって、五郎の嗅覚を狂わせるのかもしれなかった。そして今や、嗅覚ばかりか、聴覚まで危うくなりかかっていた。
「五郎さん、五郎さん、おいで、おいで」
 甘ったるい嗄れ声は、酷似した幾通りものセリフを口にのぼせつつ近づいて来た。しかしいくら目を凝らしても、その発声源は見えてこないのだ。
 五郎はたまらず、足掻いて湿った地に爪跡をつけた。家人の誰かであるなら、そろそろ帰らなければならない。おとといの夕方ロープを解かれてから、一度も帰宅していなかった。ベンチに食べ残しの弁当はあったし、時期外れの花見客が、気前よく馳走を投げてよこしたから、帰宅の要を感じなかった。
 そもそも五郎がロープを解かれるようになったのは、犬小屋にロープが絡んで首が絞められ、悶絶する寸前に家人に発見されて救い出されるという手痛い経験があったからである。
「危ないから、夜は放しておきましょうよ」 我家の若奥様の提案に、
「うん、そうするか」
 と気の弱い夫君が賛同して、時間限定で夜だけ放される身となったのであった。

「五郎や、五郎や、こっちの水はおいしいよ」
 ごく近くで声がして、五郎は弾かれたように顔を上げた。女の声と思われたが、目の前の小道に立つのは、木綿の白シャツにトレパン姿の老人だった。怪しいと首を捻った五郎の目に飛び込んできたのは、老人の肩に留まって、自分を見下ろしている九官鳥だった。黄色い嘴がバナナにニスを塗ったみたいに光っている。
 老人が九官鳥を肩に留まらせたまま歩き出した。九官鳥は、五郎を斜交いに見て、
「おいでよ、おいでよ、五郎ちゃん」
 と言った。こうまで自分の名が呼ばれると、臭い嗅ぎばかりに専念するわけにはいかなくなった。
 太郎は老人の後について行った。九官鳥は老人の肩口でものぐさ気に回れ右をして、後をつける五郎の方を向いた。
 木立の中の径を辿り、噴水の傍らを通り、公園の外縁に出ると、人家がすぐのところに犇めき合って軒を寄せていた。
 老人は一つの路地に分け入ると、勝手知った気さくな足取りで歩みを進めた。その間も九官鳥は五郎の誘いに怠りなく、嗄れた甘ったるい声で呼びかけてくる。
「五郎ちゃん、五郎ちゃん。私もう五郎ちゃんを放さないから」
 九官鳥は、そんな艶めいた声音すら遣った。
 老人は路地を右折し、左折し、いくつもの民家の塀や生垣をやり過ごして行った。
 一つの角を曲がると、風向きが変わって、もろに吹き付けてきた。風の中に異様な臭いが籠もっていた。先程から怪しいと睨んで追求してきた臭いの正体は、まさにこれではないかと思えるほど、怪しくもどこか近縁な親しさをもって濃密に漂ってくるのだ。
 これはまさしく同類の、しかも自分など及びもつかない巨大な犬が発する臭いだ。
 五郎は怖気が走って、これより先へは進めなくなり、前足を揃えて立ち止まった。
 九官鳥はそれを見て、すかさず、
「五郎ちゃん、五郎ちゃん。骨付き肉あるよ、どっさりあるよ」
 と老人の肩から前にのめりそうになって声を大きくした。
 老人は五郎が立ち竦んでいるのに気づいて振り返ると、
「ほい、来い来い」
 と手を出して優しく招いた。
 五郎はただならぬこの濃密な臭いの正体を突き止めておかなければならないと、好奇心に衝き動かされて再び歩み始めた。もし、ライオンとか虎の咆哮でも湧き上がれば、ひとたまりもなく逃げ出したに違いない。
 だが、老人が石塀に囲われた門前に立ち止まったとき、五郎はただごとではないものを見てしまったのである。
 仁王立ちのようにして立つ老人の脚の間に覗いた光景は、まさしく地獄絵図そのものだった。太郎がよくさ迷い歩く域内に、肉屋があって、牛や豚の肉塊がぶら下がっているのを見かけて、恐怖と渇望の両極端を揺れ動くのが常だった。今、老人の背後の小屋に見えているのは、豚や牛の肉塊ではなく、自分と同類の犬の肉が、頭をもぎ取られただけの原形をとどめてぶら下がっていたのだ。そしてこの嗅覚をバカにしてしまうのではないかと思われるばかりの強烈な臭い!
 これこそ公園から怪しいとみて追跡してきた発生源だったのである。もうもうと立ち昇る蒸気と煙から、犬の燻製が加工されていると思われる。それを空き地の一角に囲われた犬達が、次は自分に襲い掛かる呪われた運命を、悶えつつ待っているのだ。その犬達こそ、九官鳥の甘言にのってついて来てしまった捕虜たちだったのだ。彼等はもう吠える気力もなく、低く悶えるだけだ。
 太郎は足が突っ張って動きが取れなくなっていた。しかしここにいては危険この上もない。
「五郎ちゃん。おいでよ早く。おいしいものあるよ」
 燻製のにおいで、釣り込もうというわけだ。五郎は恐怖から張り付いてしまった足を引き剥がすようにして、石塀伝いに走った。角を曲がると、石壁の崩れているところがあった。そこから犬の臭いが強く吹き出ている。
 五郎は石塀に足をかけて、立ち上がり、中を覗く。すぐのところに犬の檻があって、呻き声が洩れてくる。隙間があまりにも小さいので、口を入れることも、足を入れることも出来ず、とても犬たちを助け出すなんて不可能だ。
 五郎が逃げ出したと知って、老人が追いかけてくるかもしれない。もう九官鳥に騙されはしないが、老人がどんな武器を持って現れるか分らないのだ。
 石塀を離れると、老人の家の玄関口を通るのは避けて、路地から路地へと折れて行った
 公園が見えてきたとき、はじめて救われた気になって、太郎は駆け出していた。
 数歩で公園というとき、車の凄まじいスリップ音で体が飛んだ。車が接触したわけではない。スリップに反応して体が飛んだのだ。
 無事園内に着地、という具合に、太郎は安全地帯に戻っていた。後は一目散に我家を目指して駆けて行った。

 夫が帰宅すると、妻は、
「あなた、太郎が帰ってきたわよ。しおらしく犬小屋に入って寝ているわ」
 と報告した。
「じゃ、また逃げ出す前にロープで繋がなきゃ」
 犬小屋に向かおうとする夫を引き止めて、
「大丈夫よ。ぜったい逃げて行かない。太郎ったら、外で虐められるかして、よっぽどこりたのよ」
「いったい、何があったのかな。明日は休みでもあるから、散歩に連れ出して、骨付き肉でも奮発してやるか」
 
 翌朝、太郎はご飯に味噌汁とかつぶしをかけた食事を綺麗に平らげた。
 夫が散歩に連れ出そうとすると、ロープを張って後ずさりし、応じようとしない。以前とは逆に、飼い主が犬を引っ張って歩き出した。犬も渋々というように足を運んだが、いざ公園が迫ってくると、足を突っ張ってもう動こうとはしなかった。
 仕方なく、肉屋によって骨付き肉を与えると、なにやら怯えてしまって、顔を背けてみようともしないのだ。さらに骨を近づけると、ロープを引き摺って逃げ帰ってしまい、太郎はすっかり変な犬になった。

「変な犬!」
 夫の説明に、呆れ返っている妻の声を、太郎は犬小屋に寝そべって聞いていた。

                      おわり

森に帰ったリス

2012-03-23 19:57:18 | メルヘン



 [森に帰ったリス]


 木材を積み込む無蓋の貨車に、一匹のリスが乗り込んだ。うっかりであったか、故意であったか。
 山が尽き、野が尽き、田畑が尽き、都市に入って、引込み線に入って、着いたところが材木置き場だった
 リスは野積みにされた丸太の上で生活するようになった。山と違うところは、木々は直立しているのに、丸太はどれも横に寝ていることだ。樹の香りという点では、こちらの方がむしろ強く匂っている。それはそうだ。どの木も皮を剥かれて、そう日が経っていないときている。緑が一つもなく、どれも白い肌をしているところも、森とは異なっている。
 リスは丸太の上を飛び跳ねて、楽しそうに過ごしていた。森の中ほど鳥の声はしないが、代わりにサイレンがけたたましく鳴り響いたり、クラクションの狂騒も、山の鳥の声に匹敵するほどだった。
 リスはよく丸太のてっぺんに登って、後ろ足で立ち上がり、都市の景観に見入っていた。スモッグに霞んで、とても空気が澄んでいるとはいえないが、物珍しさから、何分も立ち上がっては、少しずつ角度をずらして、伸び広がる都市の風景を眺めていた。

 木工場で働く本山さんは、五歳の末娘のリカを連れてきて、そのリスを見せた。
 本山さんは、山奥から丸太を貨車に積むときも立ち会っているので、リスが貨車に乗り込むのも見ていたのだ。貨車は無蓋なので、途中で逃げようとすれば、いくらでもできたのに、このリスはそうしなかった。
「ほら、見えるだろう。積み上げた丸太のてっぺんに、小鳥みたいに留まっているのが」
 と本山さんは末娘のリカに言った。
「あのぽつんといる、小さいのが、リスさん?」
「そうだよ。あれが森に棲んでいたリスだよ」
 と本山さんは言った。もう何度もリスの話は娘にしていたので、ほかに説明を加えることはなかった。
「ふーん、リスさん淋しくないのかな。友達だって、お母さんリスだっていないのに」
 この話も何度もしているので、本山さんは、そうだね、と相槌を打ったきり、丸太に番号をふる作業に取り掛かった。
 娘は父親の働く傍らの一本の丸太に腰掛け、リスを見やりながら思いにふけっている様子である。
「あのリスさん、街を見飽きたら、またパパの貨車に乗って山に帰るんだよ」
 と娘が言った。これは家で父親に質問を投げかけ、父親から聞いたものを、そっくりここで反芻しているのである。その中に本山さんは聞き捨てに出来ない内容があるのを知って、訂正しなければならなかった。
「パパの貨車じゃなく、会社の貨車だ!」
 本山さんの声の大きさに、奥で作業をしていた同僚が、こちらに顔を振り向けた。
 娘はしょぼんとなって、父親の傍を離れた。
 本山さんは昼食を、車で十分ほどのところにある家でとることにしていた。今も食事を済ませ、車に娘を乗せて来たのである。かねてから、リスを見せると約束していたので、今日それを果たしたというわけだった。
 もう少ししたら中学生の長女が下校するので、木工場に寄って末娘を連れ帰ることにしていた。
 せっかく連れて来たのだから、あのリスももっと近づいてくればいいのにと、本山さんは腹立たしくもなっていた。

 リカがいないのに気づいたのは、中学生の長女が立ち寄ったときだった。
「あれ、リカは?」
 と長女の言葉に、本山さんは末娘の監視を怠っていたのに気がついた。
 木工場に連絡している引込み線とか、雑草の繁茂する周りの敷地とか、交差する路地など、行きつ戻りつして探し回った。三人の同僚も加わって、探し回った。
「あれは?」
 長女が積まれた丸太の上を指差して言った。丸太の間から小さな頭と手が出て、なにやら蠢いている。
 本山さんはすかさずピッケル状の杖を手にすると、積まれた丸太を伝って、その場所へと急いだ。
 小さな頭が出ている近くの丸太の上から、リスが覗き込むようにしている。リスは今、街を遠望するときの、後足で立つ仕草はしていない。前足を丸太について、体を左右に振り、緊迫して下を見ている。
 本山さんは末娘に近づくと、
「二人頼みます!」
 と応援を要請した。
 間もなく二人の作業員が丸太を伝って行き、リカの救出に手をかした。
 リカが引き上げられたとき、本山さんは抑えが利かず、娘を平手打ちした。ピシッと肌の弾ける音が、下で見守る長女の耳にも届いた。リカの号泣は、やや遅れて起こった。
 幸い擦り傷程度ですみ、大人に支えられて地上に戻ると、長女に連れられて家に帰った。

 それ以来、あのリスは姿を見せなくなった。リカも、リスのその後について訊けるはずもなく、日が過ぎて行った。
 リカは沈み込んでいることが多くなり、少女なりに、リスへの恋が芽生えているのかもしれなかった。
 少女の頭の中で、リスは森に帰っていた。
 あの日父親に、
「パパの貨車じゃなく、会社の貨車だ!」
 と頭ごなしに一喝された、会社の貨車に乗って、少女のことを想いながら、森に帰ったのだと考えていた。
                 了
 
 







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電車の中で

2012-03-20 05:57:18 | 散文



 [電車の中で]



僕は電車の振動に身を委ねながら、執拗に襲掛かる睡魔と闘っていた。その眼をようやく開いたとき、電車がどのあたりを走っているのか見当がつかなかった。
 白髪で小柄のおばあさんが、僕のすぐ横のパイプに掴まって立っていた。布製の手提げ袋がやや重そうだった。
 いったいどのくらい眠ってしまったのだろうか。そして、いつから彼女はここに立っているのだろう。
 そんな自問をしながら、おばあさんに席を譲ろうとして立上がった。彼女は初めぼんやりしていたが、僕が席を譲ろうとしていると知って、皺に囲まれた瞳が朝の湖のように耀いた。それほど僕の行為は、タイミングを外れていたのだ。
「あらあら、ご親切に」
「いやあ」
 僕は気づかずにいたばつの悪さを、頭に手をやる仕種でごまかしていた。
 僕は吊革に掴まっておばあさんの前に立った。彼女はしきりに口を動かして、何か呟いているようだった。ふと、視線が僕の膝の辺りにきて、口の動きが止った。
 具合の悪いことになった。僕のジーパンは両膝が見事に擦り切れて口を開け、肌がくっきり覗いていたからだ。それこそ土色の沼のように。
 おばあさんはしばらくその辺りを注視していたが、手提げ袋の中をまさぐりだした。その間、電車はおそらく、二つ、三つの駅に停車しただろう。何しろ、内密に事を運ぶのだから大変な苦労だ。そこから小さく折畳んだものを取り出し、その手で僕をつついた。
 彼女が何か言っている。今度は口の動きだけではなく、叫ぶほどの声だ。
「こ、こ、これで、ズボンを買いなさい」
 僕はまたまた悪びれて、
「これは、その好きで……」
 などと、擦り切れたジーンズの言い訳をしていた。けれども一徹なおばあさんの耳に届くはずはなく、容赦しないとばかりに折畳んだものをつきつけてくる。
 拒んでいると、彼女は両手を使って、僕の掌に押し込もうとした。
 このとき手放してしまった彼女の手提げ袋が床に落ち、中から瓶詰めが二つ転がり出た。弾みで僕は手に五千円札を握らされたまま、床に転がった瓶を拾いにかかった。
 拾い上げておばあさんの袋に納めたとき、電車はD駅に滑り込んだ。彼女の降りる駅だった。僕の駅はもっと先だが、彼女に続いて電車を降りた。
「あなたも、ここかね」
「いえ、こんなに貰ってしまって悪いから」
 僕は苦笑って、彼女の荷物を持とうとして手を出した。
「何、こんなもの、年寄りの力を甘く見ちゃいけないよ」
 軽くいなしてホームを歩き出した。僕は混雑から老人を守るような形で、なんとなくついて行った。
「学生さん?」
「ええ」
「国は?」
「北海道」
 そんなことを片言に言い交わしつつ、改札に来ると、おばあさんは僕を押しとどめて矍鑠とした足取りで先に進んで行った。

 僕は依然擦り切れたジーパンを愛着していた。貰ったお金は、新しいパソコンソフトが出たときの購入に充てるつもりでしまっておいた。
 ひょっこりおばあさんに出会ったらどうしよう。そんな不安が頭をもたげて、おちおち電車にも乗っていられない気持になった。
 そんな思いが高じると、僕はたまらずジーンズを膝のところで切ってしまい、ショートパンツにした。それでもまだ心配で、サングラスをかけた。
 朝夕、肌に触れる風のそよぎに時に冷ややかさを感じる季節になった。僕はまだ短パンにサングラスで通していた。
 ある日、席を取って、ふと顔を上げると、前のシートにあのおばあさんが坐っていた。口をもぐもぐやっているので、すぐ分った。
 彼女は僕の肩越しに遠い雲のさまでも眺めるように、ぼんやり視線を向けていた。その眼がぎこちなく動いて、僕の脚に落ちた。顔を見られなかったのがせめてもの救いだった。
 おばあさんは僕の太腿の半分から下が露であるのに慌てたらしく、老人らしからぬ敏捷さで、顔があらぬ方角へと振向けられた。汚らわしい。ここまでくると、もう援助の手を差し伸べるどころではない。そんな決然とした拒否の姿勢が表れていた。
 おばあさんがD駅で降りて行った後、僕らしくもなくしばし物思いに耽っていた。心の奥に刺さっていた棘のようなものが、ずきずき疼くようだった。
 おばあさんの善意を、パソコンソフトなどに摩り替えてはならないと思った。
 一度この反省が頭をもたげると、僕はたまらず駅近くのヤングショップに飛込んだ。折よく特売日で、ジーパンを激安の値で購入した。

 新しいジーパンはすぐ体に馴染んでいき、それに併せるように有難みが湧上がってきた。今こそおばあさんに会って、見せてやりたくてならなかった。
 電車が空いているときなど、僕は知らず知らず首を廻らせておばあさんを探すようになっていた。

 ある日、席についてすぐ、普段と違った気配に眼を上げた。通路を挟んで向かい合った席に、あのおばあさんがいたのだ。
 おばあさんは今日も口をもぐもぐやって、どこか遠くを見る眼つきをしている。
 僕は体ごとおばあさんに飛び込んで行き、彼女の前の吊革に掴まった。
「ほれ、おばあちゃん。僕にぴったりでしょう。これ前に、おばあちゃんに買ってもらったんだ」
 彼女はぼんやりしていたわりには、敏捷に反応して、目前のジーパンを品定めする目色になった。
「それで、あの半ズボンはどうしたかね」
 あまりに予期しなかった展開に、僕はうろたえて、
「半ズボン?」
 と返しただけだった。耳の先まで熱くなり、顔が真っ赤になったことは明らかだった。
「私はあの半ズボンのショックが大きかったもので、しばらくどれも短パンに見えて仕方なかったよ。昔孫がそっくりの格好をしていたからね。孫はドライブで飛ばし過ぎ、衝突して死んだけれど」
 僕は僕で、あまりのショックから依然ことばを継げないでいた。おばあさんは続けた。
「何を買いたかったんだね。短パンにまでして」
「ゲームソフト、パソコンの。新しいのが出ることになっていたから」
 僕は悪びれて頭をかいた。
「パソコンなら、いいさね。危なくないから」
 おばあさんは言って、布袋の中をまさぐりだした。しまった。またつまらない事を言ってしまった。今度は五千円札がなかったらしく、千円札を纏めて僕の膝に押し付けてきた。
「悪いよ、そんな何回も」
 僕は半ば自分への怒りで、口を膨らませていた。
「孫にもよく騙されたもんさ。みんな車に消えていたんだ。今日遇ったのも何かの因縁さ。いいから、これで買いな」
「でも、買ったかどうか信じてもらえない」
 僕は依然身を強張らせていた。穴の開いていないジーパンの膝がスースーしてならなかった。
「信じるさ。しるしはこのズボンさ。ソフトを買わないで、おまえさんはジーパンを買った、じゃん」
「じゃん?」
 僕はびっくりして跳び上がりそうになった。衝撃につられて、纏めた千円札を受け取ってしまっていたのだ。
 おばあさんの口元には、してやったりといった笑みが浮かんでいた。
 僕は涙がこぼれそうになって、顔を上げた。
 ――人生はこんなに甘くない――
 夢を見ているような気がして、僕は眼を落とした。おばあさんが口をもぐもぐさせて、車窓に眼をやっていた。牛が反芻しながら遠い雲のさまを眺めるように、どこかのんびりして優しく、慈愛に満ちた眼差しだった。
 僕の前の車窓にも青空が広がっていて、積雲がにじんでいた。その白い雲の一点に眼を据えて、僕は電車に揺られて行った。
 後で調べると、千円札は五枚ではなく、七枚あった。
                               了