12の楽しみ!

ここでは色んな楽しいことをランダムにアップしていきます。

工房の落ち葉掃除

2024-06-25 07:36:14 | 陶磁
梅雨入りが遅れている。
ならばこの隙に、落ち葉の掃除をしよう!と一大決心をする。
毎年やっていることだが、一人で仕上げるにはそれなりの気合がいるのだ(笑)。
まずは現状の記録写真。工房横。奥に竹が4本見える。手前の茶色くなった後ろにもう1本ある。
 
 
 
 
 
工房裏。あれ⁉写真がぶれてる(笑)。
 
 
 
 
作業するには長袖長ズボン。
蚊取り線香を3か所にパワーアップで焚いて(両側から火をつけて煙多めにする)。😆
自分にも虫よけスプレーを振り掛ける。
 
 
作業は地味~にコツコツと。
奥から一気にと言うわけにはいかず、手前から少しずつ落ち葉を掻きだす。
数年前に切った竹。大きく育ちすぎて切ったはいいけど重すぎて運び出せずにいた。
それが年月が経つうちにボロボロになり、衝撃で折れた!
3本ほど切ったのが全てボロボロだ。一気に全部運び出せた。ラッキーである。すっきりしたー。😆
落ち葉掃除もしやすくなった(笑)。
 
 
てなことで2時間ほどやって。1日目終了。1人で片付けるには無理をしないこと。
単に取り掛かりが遅かっただけと言う話でもあるが(笑)。
ここまで進めば明日は早く終わるかな。これもブレブレね~。😓
 
 
 
 
竹が5本から2本になった。😄
 
 
 
 
集めた落ち葉。てんこ盛り。そのうち土にかえる。
そのころイノシシが来て掘り返しミミズや昆虫などを捕っているようだ。
 
 
 
 
2日目。溝掃除に取り掛かりすぐに気が付いた。
落ち葉が重い!昨日は、湿ってはいたが比較的熊手でどんどん掻き出し送り出せた。
U字溝内の落ち葉は、水を含んでいるというより水の中かと言うほどの水分の重さ。
 
 
これはホウキ🧹では無理と判断し鍬を持ち出した。
これなら掻き出せる!これも手前から少しずつ掻き出していく。
 
 
 
 
工房の裏から横を通り表へ出すのだが、重労働。💦
出しても熊手では勝手が悪いのでテミ(大型塵取り)を使う。
今回も2時間かかったが、完成!!
竹のひげ根がはびこっていた右端の掃除がなかなか手間取ったがキレイになった。👍
 
 
 
 
これで梅雨を乗り切れる。
山となった落ち葉。濡れ落ち葉の重みで昨日よりかさが低くなった(笑)。
 
 
 
 
 
 
次の落ち葉シーズンまでお休み、道具たち(笑)。
 
 
 
 
 
汗びっしょり良い運動になった。
夏に向けて青葉が輝く。
 
 
 
 
 
落ち葉が溜まっている状態で大雨が降ると工房内に水が流れ込んでくる。
恒例行事なのだが、怠けていると梅雨に突入して掃除の機会を失う。
今回は梅雨入り前に無事終了した。
屋根の上に突き出ている隣からの竹も取り除きたい。
 
 
そろそろ土練り始めないと、ぐい吞み作れないぞと思う。
なんか昔、勉強する前に机の上を片付け始めるのと似ている。変わらんな。😅
 
 
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水野俊治陶展 2024.5

2024-06-08 20:00:15 | 陶磁

瀬戸から70㎞あまりの美浜町へ出かけた。

野間郵便局旧局舎は登録有形文化財。

なんでも、郵便制度が始まった明治初期に廻船問屋・味噌醤油製造業を営んでいた森田伊助が明治 13 年(1880)に5等郵便局初代局長として旧野間郵便局舎近くにある自宅の一部を事務室に改修して開局したことが始まりとのこと。

野間郵便局旧局舎は、伊助の孫の森田定吉が、昭和 6 年(1931)に現在の地に新家として建設し、普通3等郵便局3代目局長として引継いだ建物。なるほど~🙄

 

解説によると

知多半島の伊勢湾側に建つ、もと郵便局舎。大屋根と、中央前面に張出す玄関の屋根を半切妻とし、玄関の左右屋根上に切妻のドーマー窓を配して特徴的な外観を形成する。外壁の横板張に上下窓を配すなど瀟洒な洋風意匠になり、地域のランドマークとして親しまれる。

 

なかなか味わい深い。

 

 

さて、本題はここからです(笑)。

この横を通り・・・

 

 

見えてきました。

 

 

頂いたDM。水野俊治陶展。

 

 

会場は旧森田定吉邸。そう、先ほどの郵便局の三代目の邸宅。リフォーム仕立ての玄関。

 

 

水野先生と作品。
窯業専門校時代に轆轤講師として指導をうけて、専門校終了後もずーっとお付き合い?させて頂いて現在に至る。工房・自宅によってご馳走してもらったりしている。😊

 

 

こちらの割れた壺。穴窯焼成中に薪が当たり割れてしまったのだが、逆に味わいが出た様子(笑)。

 

 

灰被りが良い感じ。

焼成中、停電が起こりデジタル温度計が使えなくなったそうだ。

薪窯焼成の経験者が炎の色を見ながらなんとかピンチを超えたとのこと。😆

 

 

会場全体。食器や花器が中心の作家である。

 

 

こちらは、花器。

 

 

花が入ると雰囲気ある。

 

 

話が前後するが、こちらの建物は知多郡武豊町で有名な喫茶店『治郎兵衛』(2023.2閉店)の連れ合いの本家となるそうだ。

その『治郎兵衛』のカップ&ソーサーなどが水野先生の作品であった縁で今回の陶展となった。(先生談)

急きょ、コーヒーも出すことになって治郎兵衛ファンが駆けつけて、陶展をメインにする人よりも多かったらしい(笑)。

 

1年ぶりぐらいに色々と話をして、飯碗を購入。会場を後にした。

せっかくここまで来たのだからとすぐそばの海に向かう。引き潮の静かな海が広がる。😃

 

何事も長く続けていると、色んな人との出会いや繋がりがあるものだと思う。

経済的財産より、人との繋がりが財産だよな。と年齢が進むにつれて思うのである(笑)。

 

💖

 


愛知県立名古屋高等技術専門校窯業校

2024-02-14 11:40:49 | 陶磁

 先日、愛知県立名古屋高等技術専門校窯業校 の構内販売に出かかた。
長い名前だが、昔で言うところの窯業の職業訓練校である。

 
訓練生の1年間の成果として実習作品を展示販売する。ここ数年は、パンデミックで開催されていなかったようだ。
湯飲みやお皿、人形、花入れなど作品は様々。しかもかなりお安い値段になっている。
県税で運営されているのでそんなには儲けることはできない(笑)。
さて、なぜ出かけたかと言うと作品を買うためではない。恩師(指導員)に会うためである。
別に隠してはいないが自分もここの修了生である。ずいぶん昔の話だが(笑)。
出掛けた時間が遅めだったので作品はほとんど売れている。
 
 
 

自分が在籍していた当時の校名は、愛知県立窯業高等技術専門校 。製造科1,製造科2、デザイン科があって各科30名。
それに現在はない専攻科が10名ほど。計100名ぐらいの訓練生がいたが、現在は製造科30名、デザイン科20名で計50名と半分に縮小されている。
大きな要因は、せとものの町瀬戸において、残念なことに窯業の仕事が激減しているためである。せっかく愛知県税で訓練しても仕事がないため、お隣岐阜県に人材が流れているのである。
これは県としては残念過ぎるので、窯業校廃止かとささやかれたほどだ。💦

(参考:瀬戸市)
 
 
入校するには選考試験がある。自分の時は筆記試験、デッサン、そして面接だった。筆記試験は簡単な数学があったことを覚えている。他は英語だったかな?デッサンは自分の手を描く課題。鉛筆を忘れてシャーペンで描いたのを覚えている(笑)。面接は、入校の動機とか聞かれるのだが、職業訓練校なので、窯業に携わりたいとか、瀬戸で働きたいからとか答えるのが普通。間違っても陶芸家になりたいと言ってはいけない。それは芸大や美大の話。陶芸家になりたいと言って保留だった現友人を知っている。定員に空きが出たため追加合格となった(爆笑)。
 
 
 
製造科1は30歳までの人が対象で製造科2はそれ以上の年齢の人。デザイン科は特に年齢分けはない。
学ぶ内容は、陶芸ではなくあくまで窯業。食器工場などで働ける人材の養成である。しかし製造科は轆轤(ろくろ)の授業があるのでとても人気だ。面接では言わないが、陶芸家になりたいと思って大半の人が来る(笑)。一方デザイン科は、染付(そめつけ)や上絵(うわえ)と言った絵(筆)の技法を中心にいろいろ学ぶ。
専門校が轆轤以外にとても人気がある理由が2つある。1番はやはり授業料が無料ということだ。作業服的なものは必要だが、基本、授業料は無料である(一部有料あり)。2つ目は公立の窯業専門校が瀬戸と京都と全国に2つしかないからである。そして京都は、ホントかどうか?口利きがないと入れないと言われていた。京都を受けようとして、どなたか陶芸家か京窯元のお知合いいますかと聞かれたそうだ。
 
 
 
製造科1の選考倍率は3倍ぐらいはあったらしい、よく合格したものだ。😀
訓練生は、東海3県(愛知・岐阜・三重)のほか、東京や北は北海道、南は九州からと全国から来ていた。
転職のため、窯元の跡継ぎ、美大出の人もいれば、高卒の新卒もいた。実に様々。
 
訓練は座学と実習。座学では、窯業全般のほか、釉薬や土などを学ぶ。しかし皆の関心はやはり実習。
製造科の訓練は、大きく3種類。窯業としての訓練なので工場に近い。石膏型への鋳込み、機械ろくろ、そして轆轤。
多くの人間が轆轤(ろくろ)をやりたくて製造科に入る。
しかし全く土を触ったこともない人もいる。土練りから入るのだが、数日は土練り。できる者にとっては退屈(笑)。
 
(参考:大数建設)
 
 
 
 
轆轤はかなり訓練した。伊賀焼の窯元の跡継ぎがいて、お互い競い合った。😁
同じサイズの湯のみをひたすら挽く。練習なので焼かずに粘土に戻される。
そんな時間が極めて貴重なのだ。
おかげでその当時はそれなりに轆轤を挽くことができた。もちろん技術に終わりはないけどね。
窯業の職業訓練は、1年で修了となる。1年ぐらいでは大した技量はつかないが、それぞれ食器工場に就職したり、手作り窯元だったり、変わったところでは原料屋だったり、いきなり一人立ちしようとする者もいた。
自分は、製造科が終わって弟子入りの話が来た。好きな備前焼。ある陶芸家の元へ話を伺いに岡山まで出かけた。
少し悩んだ結果、備前弟子入りは丁重にお断りした。師弟関係が大変そうというのもあったが、備前に入れば備前一筋になる。
釉薬を使ったり、絵をかいたりと言うことがほぼない。と総合的に判断して備前はやめた。
 
 
最終的に同校の専攻科に行くことにした。現在はない制度だが、当時数名だけ科を入れ替えて訓練を続けることができた。製造科にいると絵付けなどは全くやらなかった。反対にデザイン科にいると土を触らない。素焼きされたものに絵付けをするからだ。せっかくなので両方学びたいと思ったのである。記憶があいまいなのだが、一応専攻科のための試験があった。土練り時間も含めて、2時間で切立ち湯呑50個を作る。トンボ、コテ、ヘラの道具も使う。だったかな~(笑)。1個2分ぐらいで轆轤を挽かなければならない。かなり集中したのは覚えている。😎
 
(参考:大数建設)
 
 
 
デザイン科で、染付を学ぶ。これがかなり難しい。ダミ筆と言う筆がある。簡単に言うと習字の太筆をもう少し太くしたようなもの。細筆で輪郭を描いた(骨描きと言う)中を塗るのだが。普通の絵具ならまさしく塗るになるが、ダミ筆は違う。顔料のゴス絵具をたっぷりと含ませた筆。傾けると筆先からぽたぽたと滴るぐらいにして器に、ここが重要なのだが、筆先を器に付けない!表面張力で絵の具をのばしていくのである。しかも失敗は許されない。轆轤と同じくらい練習しないと無理だと分かった(笑)。
 
 
 
ざっくりと、母校の話を書いてみた。😁
山の話ばかり書いているのに『陶芸ブログランキング』に登録しているのはそう言うことである(笑)。
終了してからの作陶生活はまたの機会にしよう。
そのうち新作や個展の案内がアップできるようにしたいと思いつつ・・・
 
あなた何者と時々言われるのでその一つを書いてみました。
興味のある方は、どうぞ愛知県立名古屋高等技術専門校窯業校
 
 
 
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せともの祭り あれこれ

2023-09-15 00:46:50 | 陶磁

『第92回・せともの祭り』が2023年9月9日(土)、10日(日)に開催された。

そもそもの始まりは、量産物の2等品や半端ものを安くして在庫整理する廉売市、そして見本市でもあった。

江戸時代末期、瀬戸の陶工、加藤民吉(かとうたみきち)が九州は有田(磁器の産地)で磁器の技術を学び、陶器の瀬戸に磁器を広めた。

ゆえに彼を磁器の祖(磁祖)とし、招魂する意味もあったのだが、まあ商魂の方が圧倒する(笑)。

その昔、あの加藤唐九郎(陶芸家)も出品していたらしい。

 

さて今回、工房仲間の3人で出店。

仲間のうち1人は「ポタリー木」という屋号で活躍中である。

もう1人は、以前有名な陶芸家の下で修業していたことがあり、現在は会社員をしながら週末に作品を作っている。

なので2人には作品が十分あるが、自分は小品精鋭と思い2回焼成したが満足のいく結果とはならなかったので、昔のものをかき集めて何とかである。😅

 

今回の屋号『ポタリー窯風』については、これから先どう続いていくか未知数だったのでせともの祭り用に新しく考えたものだ。

○○窯という屋号が多い中で、窯風とはなかなか良いのではないかと思っている。広い意味で窯業の風よ吹け!

ポタリーは古いフランス語からきているらしいが、意味は陶器、陶芸、陶器製造など、セラミックスも意味はほぼ同じ。chaina(チャイナ)にも陶磁器という使い方がある。

japanに漆、漆器という意味があるように。まあ、身近なものには類語が多いものだ。

 

祭り前夜にテントを運び、翌早朝、交通規制のかかる前に作品の入ったサンテナを運ぶ。

まずはテントを立てる。便利なポップアップテントが多い中、運動会・イベント用の白テントだ。ずいぶん昔自前で買ったものが役に立つ。ただ重い!😁

それぞれが作品を並べる。作風によって何となく場所が決まる。

 

 

9時からのスタートなのだが、やきもの好きはすでにあちこちのテントを物色し始めている。駐車場も少ないので早めに来るのだ。

良いものは、それなりの値段でも売れていく。長年出店している作家にはファンがいて、新作などを楽しみにして数万円のものでも売れるのである。

祭り全体は、量産の陶磁器、作家モノ、テキヤのテントが並ぶ。その昔参加したときはその並びが無茶苦茶と言っていいほどだった。

食べ物屋の隣になると目的の違うお客さんが押し合いへし合いとなる。当然のようにトラブルが色々とあり、整理されて今日に至る。

メンバーの2人。右の女性がポタリー木の主、陶芸家として活躍中。😀

 

 

初日の天気は、晴れ。人多し!暑い!水分補給!😅

メインは瀬戸川沿いにお店が並ぶ。自分たちは尾張瀬戸駅横のビルに面している。

 

 

左のビルは、今月オープンしたルートインホテル。

ジブリパークへのお客さんを当てにしているとかいないとか。パークまでここから車で20分かからない。

 

 

コロナが終わった訳ではないが、マスクしている人はかなり少数。

また、コロナ以前は夜8時までの開催だったが、昨年からは夕方6時で終了に変わった。

午後4時前。人の波は途切れない。

 

 

と言うか増えている!

祭りは友人、知人が集まる場でもある。教室をしている彼女は生徒さんが入れ代わり立ち代わり、お話楽しそう。

窯業専門校で同期の彼には、勤め先の社長さんが見に来たり(笑)。もちろん作品に興味・関心をもってお話しするお客さんも。

 

 

初日は午後6時に閉店。いったん作品を仕舞う。

最終日が花火だと思っていたが、初日だった。

6時半から45分間ではなく、6時45分までと言う15分間の短さ。まだコロナの影響が残っている⁈

交通規制した交差点に大勢の人が座って花火を待っている。自分は帰り道の途中で(笑)。

 

 

別の角度から、なんか家の明かりとイイ感じ。

 

 

しっかりと花火を見たのは久々。今年見る花火、最初で最後かな。花火が上がらないパンデミックは、なかなかのもんだったな。

今はヨーロッパの戦争が大変だが、コロナが続いていたら戦争は起きなかったかもしれない。どちらも困るけど。

同じ火薬でも花火が断然良い。😎

 

 

翌日の朝。青空だ。

 

 

さあ、2日目がんばろう!

 

 

自分は売るのが目的と言うより、陶芸活動のリハビリなので過去作品で手前の大皿を持参した。

技術的には、レリーフのようにカンナで彫り、釉薬を厚めにかけて濃淡を出している。

自身でもまずまずの出来栄え。何人かのお客さんが、至極感心されていたのが嬉しかった。

『お金持ちなら買えるけど』とおっしゃるご婦人に・・・感謝。😄

青瓷蔦紋大皿(せいじつたもんおおざら)

径41.3㎝ × 高5.4㎝

さてさて、天気予報では午後に通り雨が来る。せともの祭りは必ず雨が降るという伝説がある。

先に書いた加藤民吉にまつわる話である。九州で修行していたころ、当地で奥さんをもらう。

修行を終えた民吉は、磁器の製法を瀬戸に広めるため、奥さんと子供を残して一人瀬戸に帰ってきたそうだ。奥さんは民吉を追って瀬戸まで来たそうだが、

村人は九州に連れ戻されるのではないかと心配して、いろいろ理由を付けて会わせなかったそうな。

悲しみに暮れた奥さんは、入水して自ら命を絶った。それ以来せともの祭りの時は、必ず奥さんの涙雨が降るようになったと。

伝説なので、実際は色々と矛盾があり真実とは異なるようだ。しかし、雨は降るのである。瀬戸の人間はそう信じている。

心の奥底に瀬戸人としての何とも言えない気持ちを抱えている。

なので磁祖と敬われ瀬戸焼に貢献したにもかかわらず、民吉グッズも民吉饅頭も瀬戸にはないのかもしれない。🙄

興味深いことに修行先の有田では、民吉最中が売られ、♪~民吉よか男~って盆踊りまであるそうだ。

ちなみに民吉最中を食べたことがあるが甘さ控えめで美味しかった。😆

 

 

雨雲が厚くなってきた。ぽつりぽつりと振り出したかと思った次の瞬間一気に土砂降り、雷も響き、おまけに風が強く横殴りの雨。

祭り開催中に降る雨としてこれほどの強い雨は何年ぶりだろう!

しかも5分、10分で止むかと思えば40~50分続いた。

駅隣接のビルは、身動きできないほどの雨宿りの人々。丁度、同じフロアにあるコンビニからで出ようとして動けない。😫

なんとかテントに戻る。風が強くテントが浮きそうである。3人で必死にテントを抑える。

自分は備えでカッパを持って来ていたがここまで降る予想はしていなかったので上着だけ。

テントの梁にぶら下がるぐらいでい必死で抑えたが、横殴りの雨でズボンは、びっしょり。早く止んでくれることを願いつつ耐える。

左端が自分(笑)。

 

 

テント内には避難してきたカップルが2組ほどいたが、一組はいつの間にか脱出していった。

小降りになった。やれやれである。最後まで残っていたカップルは気を使ってくれてポタリー木の作品をお買い上げ。アリガト。

最終時間は5時半だが、もうお客さん来ないかと思っていたら然(さ)にあらず。

どんどん出てきた(笑)。

 

 

各テントも最後の追い込み。食べ物系は大変である。

 

 

午後5時半終了。

片付け搬出が一斉に行われる。テントは濡れたままたたむ。明日明後日も雨模様。晴れたら干さないと。

こうして2日間のせともの祭りは終わった。昭和初期のころは3日間もあったそうだ。かなりの気合だ(笑)。

 

祭りを終えて、陶芸にしっかり取り組まねばと思った次第。自分の作品はいわゆる今どきの売れ線ではない。どちらかと言えば伝統系。

それでも、青磁の煎茶碗などが売れたのは励みになった。自分でもまずまず良しと思ったものは、求める人がいるのだ。

来年も参加できるように・・・今からだな。😎

 

夏の終わり、工房の片隅に朝顔が咲いていた。

 

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せともの祭り 

2023-09-03 19:18:56 | 陶磁

『せともの祭り』が、9月9日(土)、10日(日)で開催される。

最終日は花火も上がる。焼き物の町、瀬戸市の一大イベント。😆

 

 

陶芸も頑張らねばと半年ほど前にせともの祭りに参加することを決めた。何十年ぶりか⁉ぐらいの感じ。😅

山の話ばかりだけど『陶芸ブログランキング』に参加しているのだ(笑)。

メンバーは3名。自分と専門校同期の友人。そして隣の工房で活躍中の女性だ。

半年あったのだが、時はあっという間に過ぎ去りもう今週だ(笑)。

 

タタラ作りで皿を作る。

 

 

化粧掛け。

 

 

茶碗と湯呑?タンブラー?(笑)。

 

 

合間には、下屋の修理。

トタンが腐食して穴が開いている。当然、雨降ると駄々洩れ。😂

 

 

塩ビの波板を買ってきた。下屋に登ると抜け落ちるのでナントカして設置。

強力両面テープと波板用くぎを打てるところには打った。

 

 

遠目に見ると。それなりか⁉😁

もう少し片づけたい。

 

 

窯詰してスイッチオン!

 

 

電気窯での還元焼成。バーナーで炎を入れる。炎の強弱で還元をコントロールする。

 

 

温度は順調に上がる。電気窯はそういうところが楽である。

それにしても、ボディーのステンレス腐食が激しい。中のレンガもひび割れなどある。

どこかに良い中古ないかなぁ。

 

 

翌日窯が冷める間に、溝掃除をする。綺麗になった!😄

 

 

窯出し。還元が弱かった、イマイチ。

 

 

ここに皿は入れていない。もう一度窯を炊く。

今度は少し強めで還元をかけよう。

日々の努力がいい作品につながるのだが、ブランクが長くまだリズムが作れていない。

日々の精進が何事も肝心!分かっているけどね~😅

 

せともの祭り、晴れてくれるといいけど。

3人で出すテント屋号は『ポタリー窯風』と名付けました。

 

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