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サクラ サク

2018-03-23 22:07:48 | 母のこと
3月 22日 (木)のち


ジムのトレーニングを終え、熱いシャワーを浴び、ラウンジでプロテインを飲んでいた。

いつもなら、さっさと帰るのに今日は、なかなか動けない…。

ジムで一番の仲良しキヨさんが、
「気が重いことは、さっさと済ませた方がいいわよ。早く行きなさい。」と、背中を押してくれた。

一昨日、グループホームへ入居した母に会いに行くのが、私は怖いのだ。


* * * * *〜 〜 〜


昨年9月21日、帯状疱疹で約1ヶ月の入院治療した母は、10月23日、ショートステイSに入所。

私が入所させたかった大きな心療内科病院に併設する老健のホームは、3ヶ月待ち…という事で、リハビリ施設があり理学療法士がいるというショートステイSに入所。




老健のホームから、昨年、「年内には入所出来ます。」と、言われたが何の音沙汰もなし。

年が明けて問い合わせると、「2月の入所は固い。」と、言われたが何の音沙汰もなし。

2月末、また問い合わせると、「3月にショートステイなら入所できる。」との事。

ショートステイ?それなら今と変わらない…。
5ヶ月も思わせぶりをされて待ち続けてショートステイ?



周りの人たちは、「5〜6件、申し込んでおいて空いた所に入所させたら?」と、言うけれど、施設なら どこでもいいというわけにいかない。

判断力のない母は、施設を選べない。
娘としては、ここなら母を託せると信頼できる施設で、お世話になりたい。



ショートステイSにいる母に会いに行くたび、
「ここの職員は、挨拶もできない。礼儀の基本は、挨拶だよ。」
「ここの職員は、人当たりがキツい。全く嫌になるよ。」
と、職員への不満は、最初から最後まで変わらなかった。




1月14日の日曜日に発熱した母を救急医療センターへ連れて行った。インフルエンザは、陰性という結果だったので、ショートステイSへ戻そうと電話すると…

「検査が早かったかもしれません。今晩は自宅で過ごさせて下さい。」と、言われた。

は?じゃあ、母がインフルエンザだったら、どこでインフルエンザに感染したの?って言い返したかったが、言葉を飲み込んで「無理です。」と、固く断った。



母の靴下がなくなった時は…

「ご本人が、ゴミ箱へ捨てたのかもしれません。包帯(母は、脚のむくみ防止で包帯を巻いている)をゴミ箱へ捨ててありましたから。」と、言われた。

認知症の高齢者を介護しているのだから、ゴミ箱ぐらい確認して下さいよと言いたかったが黙っていた。結局、靴下は、「他の利用者さんの洗濯物の中にありました。」と、電話がかかってきた。そして、その靴下が、母の元へ戻ったのは1ヶ月後のことだった。たかが靴下、されど靴下。一事が万事だ。




リハビリも「ご本人が拒否されるので。」と、なかなか進まなかった。2月に母の杖を返された時には、本当に残念な施設へ入れてしまったと悔やんだ。拒否するのを上手に乗せて介護するのがプロでしょう?入院していた時は、喜んでリハビリしてたわよと言いたかったが黙っていた。

いくつも苦言を呈したかったが、母は人質だから…何も言えなかった。

母に「もう少し待ってね。もっといい所を探してるから。」と、ただただ繰り返すしかなかった。

介護3。認知症とはいえ、人とのふれあいは十分に認識できる母。

一日も早くショートステイSから出してあげたかった。




3月に入って、老健のホームに見切りをつけ、ケアマネさんと従妹のrindaちゃんに相談して、新しい施設を探した。ケアマネさんも従妹もグループホームYを勧めた。

グループホームYは、静岡県で人気ランキング1位の施設だ。




建物は、外観も内装も一般家庭と同じ。
一般家庭と同じような玄関があり、リビングがあり、奥にダイニングキッチンがある。目の前で、手作りの食事とおやつを作ってくれる。
そして、個室が9つある。

家庭にいるという雰囲気で、施設感が全くない。

9人の利用者を、3人の職員さんと1人の看護士さんが介護してくれる。職員さんと利用者との距離がとても近い。

別棟には、以前、義母が入居していて、このグループホームYは、数回訪れた事があるから対応の温かさはよく分かっていた。いつも笑顔であふれていた。



グループホームYへ、申込書を書きに行ったのは、今月 6日のこと。
ショートステイSでの母の様子と、私の一日も早く、こちらへお世話になりたいという強い思いを伝えると、深く共感していただけた。

そして、14日の審査会で母の入居が決まり、20日に入居という運びとなった。

たった2週間で入居できるなんて❣️

まさに空から幸運が舞い降りてきたという感じ。見上げると、空から天使が幸せの矢を放ってくれたような。



ただこのグループホームYへ入居するのには、超えなければならないハードルが2つあった。

1つ目は、実家から300mほどしか離れていない事。建物を見て、ここが介護施設だと思い出さないか?家に帰ると言い出さないか?

2つ目は、叔母(父の妹)も入居しているのだ。
母は、5年前に入居した叔母の存在をまだ覚えている。でも、顔を覚えているかどうかは分からない。

入居が決まって大喜びしたものの、この2つの不安をかかえながらの入居だった。


20日 、グループホームYの皆さんに温かく迎えられ入居。

母の部屋




何のことはなかった。母は、建物も叔母の顔も覚えていなかった。

案ずるより産むがやすし

知らぬが仏



* * * * * 〜 〜〜



入居して2日経ち、やはり母がどんな様子なのか、とても気になる。

ショートステイSに入った時は、それはそれは辛いものだった。

訪問するたびに母に責められ、酷い言葉を甘んじて受けた。
何の根拠もなく「大丈夫だよ。」と繰り返し、背中をさすり続けた毎日。


次女の「家族顔合わせ」の前日まで3日間、全く何も口にしないハンストを起こした。「私、死ぬから。」と、言って。

トイレットペーパーで「こより」を作って、常に手首に巻いていた。「これで首を締めて死ぬから」と、言って。
トイレットペーパーで首は締められないのに、母の目は、本気だった。

「まだお迎えが来ないよ。」と、茶化して誤魔化そうとしても、母は、笑わなかった。

「死にたい」とか、「死ぬから」とか、親からこんな酷い事を繰り返し言われるなんて、これほど辛いことはなかった。

今、思い出しても拷問のような訪問の日々だった。


だから、あの頃の母を思い出すと、グループホームYへなかなか足が向かない。


1ヶ月ほど経つと、慣れてきたのか諦めたのか、私をなじる事は なくなり、訪問する度に感謝されるようになった。
ただ、職員への不満は絶えなかった。



ラバーシーツと車椅子用の低反発座布団も買って車に入れてあるけれど、「明日でもいいか。」と、先延ばししたくなる。


でも、キヨさんに背中を押されてグループホームYへ向かった。


母は、他の利用者さんと一緒にテーブルを囲んでいた。
南側の大きなサッシから明るい陽光が差し、花壇の花や洗濯物が、よく見える。
今更だが、母をコンクリートの箱の中へ5ヶ月も入れてしまった事を悔いた。

側へ行って声をかけると、私の手を取って握りしめ、私の名前を呼んで〜


「こんなに楽しい1日は、初めてだよぉ。いい人ばかりで嬉しいよぉ。」と、笑顔の母。


いい人〜というのは職員の皆さんの事。
利用者さんのほとんどは、言葉を発しない。
職員の皆さんが温かく母を介護して下さってるのだ。

母の心からの笑顔を見るのは本当に久しぶりだ。
声も生き生きとしている。
私は、思わず目頭が熱くなった。

「誰が、ここを紹介してくれた?」と、言うから、ケアマネさんと相談して決めたんだよと伝えると「くれぐれもお礼を言っておいてよ。」と、母。

私は、やっと母から、合格通知をもらえたような気がした。



サクラ サク





🌸おしまい🌸
コメント (2)
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