8月7日から20日まで、北海道で開催されたトランスエゾ・アルティメイトラン(宗谷岬~襟裳岬往復1100km)に参加してきました。
結果から言うと、途中、3日目で制限時間に間に合わず、スタッフのクルマに乗って残り10kmを移動、その後、気持ちが切れて、翌日は
半分の40kmで止める。後半(襟裳岬~宗谷岬)は、台風の影響で朝から雨・・・ついでに3足目の靴を買うべく途中で電車に乗って旭川へ。
ってな具合に、完全制覇ならず・・・でした。(この課題は、来夏に持ち越しだ!)けれど、トータル1000km以上走り、途中で出会った
北海道の大自然と他の参加者のおかげで私自身、成長することができました。
以下、少しずつ、日々の記憶をたどって記していきたいと思います。
8月6日(土)、実は、今月1日(月)から北海道小樽の実家に帰省、日中は海水浴場の監視で、すでに日に焼けて真っ黒!下地は十分できている。
北海道は広い。最北端の宗谷岬の宿に夕方集合するのに、小樽の実家を朝6時過ぎに出る。札幌でJRを乗換え、稚内行きの特急で約5時間・・・
真っ青に晴れた宗谷岬を見るのは初めてだ。ここは、いつ訪れても「寒い」の印象しかない。(真夏でも)が、今回に限り、暑い。稚内駅前から宗谷岬経由の路線バスは行列ができていた。数年前では信じられないことに、アジア系の観光客が増えていた。
その観光客に混じって、「川の道」と書かれたポロシャツを着たご夫婦がいた。当然、私と同じ大会の参加者に違いない。だが、私は「川の道」という
ネームバリューに恐れをなし、話しかけるタイミングを失った。(奥様は付き添い、ご主人が参加でしたが、ご主人もこの大会は初めて、ということで後で考えれば、お互いけん制しあっていたのかもしれませんね。)
通称「トランスエゾの家」、民宿・清水に到着。さっそく、作業が待っていた。やはり、余裕を持って来るべきである。この大会は、スタッフと参加者
が一丸となって成り立っている大会である、ということを最初っから思い知らされる。参加者は決して「お客様」ではないのだ。
今までお名前はお聞きしておりながら、なぜか一度も会う機会のなかった、トランスエゾのクウィーン、まみさんに初めてお会いする。そのまみさんのもと、参加者のゼッケンと参加賞のTシャツを振り分け、それが終わると一人一人に配る14日分の地図の準備・・・
すべて作業が完了したのは18時前だった。
「最北端食堂」でセレモニーの後、みんなで夕食。缶ビールは店の主人からサービス。もっと飲みたかったが、さすがに明日からのレースを控え、それ以上、注文する人はいなかったので、宿に戻って1本だけビールを飲む。
明日から、いったいどんなドラマが始まるのだろう・・・レースと言っても、まだまだ私の中では「走り旅」感覚であった。実は、この「感覚」が3日目に大きく影響してくるのだが、そんなことは露とも知らず、心地よい眠りに落ちていった・・・
結果から言うと、途中、3日目で制限時間に間に合わず、スタッフのクルマに乗って残り10kmを移動、その後、気持ちが切れて、翌日は
半分の40kmで止める。後半(襟裳岬~宗谷岬)は、台風の影響で朝から雨・・・ついでに3足目の靴を買うべく途中で電車に乗って旭川へ。
ってな具合に、完全制覇ならず・・・でした。(この課題は、来夏に持ち越しだ!)けれど、トータル1000km以上走り、途中で出会った
北海道の大自然と他の参加者のおかげで私自身、成長することができました。
以下、少しずつ、日々の記憶をたどって記していきたいと思います。
8月6日(土)、実は、今月1日(月)から北海道小樽の実家に帰省、日中は海水浴場の監視で、すでに日に焼けて真っ黒!下地は十分できている。
北海道は広い。最北端の宗谷岬の宿に夕方集合するのに、小樽の実家を朝6時過ぎに出る。札幌でJRを乗換え、稚内行きの特急で約5時間・・・
真っ青に晴れた宗谷岬を見るのは初めてだ。ここは、いつ訪れても「寒い」の印象しかない。(真夏でも)が、今回に限り、暑い。稚内駅前から宗谷岬経由の路線バスは行列ができていた。数年前では信じられないことに、アジア系の観光客が増えていた。
その観光客に混じって、「川の道」と書かれたポロシャツを着たご夫婦がいた。当然、私と同じ大会の参加者に違いない。だが、私は「川の道」という
ネームバリューに恐れをなし、話しかけるタイミングを失った。(奥様は付き添い、ご主人が参加でしたが、ご主人もこの大会は初めて、ということで後で考えれば、お互いけん制しあっていたのかもしれませんね。)
通称「トランスエゾの家」、民宿・清水に到着。さっそく、作業が待っていた。やはり、余裕を持って来るべきである。この大会は、スタッフと参加者
が一丸となって成り立っている大会である、ということを最初っから思い知らされる。参加者は決して「お客様」ではないのだ。
今までお名前はお聞きしておりながら、なぜか一度も会う機会のなかった、トランスエゾのクウィーン、まみさんに初めてお会いする。そのまみさんのもと、参加者のゼッケンと参加賞のTシャツを振り分け、それが終わると一人一人に配る14日分の地図の準備・・・
すべて作業が完了したのは18時前だった。
「最北端食堂」でセレモニーの後、みんなで夕食。缶ビールは店の主人からサービス。もっと飲みたかったが、さすがに明日からのレースを控え、それ以上、注文する人はいなかったので、宿に戻って1本だけビールを飲む。
明日から、いったいどんなドラマが始まるのだろう・・・レースと言っても、まだまだ私の中では「走り旅」感覚であった。実は、この「感覚」が3日目に大きく影響してくるのだが、そんなことは露とも知らず、心地よい眠りに落ちていった・・・