へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

始めるのに遅すぎるコトは無い・・・

2017-04-08 08:04:42 | 旅とランニング


 「(自分の脚で)走って日本縦断します!」と宣言するまでもなく、初めて出会った人は、筋肉質な私を見て、「学生時代、何かスポーツされてたんですか?」と必ず聞く。

 「な~んにもしてません」

 「?」

 そして、次に私が発する言葉で一気に関心が私に寄せられる。

 「合唱部でした!」


 肩書や資格を並べ立てた名刺は、いらない。実際に会って、見ていただくのが一番、「説得力」があるのかもしれない。(笑)

 だからって、「ハイ、歌唄え」って言われても困るのだが・・・


 一人っ子で近所に男の子しかいなかった私は、みんなと外で遊ぶより、一人で本を読むのが好きでした。でも、なぜか「外」が好きで、本を持って「外」で読んでましたね。北海道というコトで日照時間は極めて少なく、太陽の存在は「希少価値」でした。だから、天気のいい日は、本を持って外へ出る!

 おかげで、「引きこもり」にならずに済んだけど、目が悪くなったのは(北海道といえど)直射日光下で活字を読んだからなのだろうか?それとも、幼少期から習わされていたピアノの細かい譜面を読んだせいだろうか?

 いずれにせよ、小学校の運動会は、いつもビリから2番目・・・ビリじゃなかったのは、なんとかゴールぎりぎりで踏ん張ったから。いちおう、「負けず嫌い」なのね、私・・・

 だから、運動会は大嫌い。球技も、だいたい、みんなとカラダ使った遊びをふだんからしていないから、ニ・ガ・テ・・・

 今じゃ、笑い話にしか聞こえないけど・・・短大の音楽科に行くと決まってた高校時代は、球技などの体育の授業は「見学」してたコトもありました。突き指したら、ピアノ弾けなくなるからね・・・(笑)

 そのクセ、必須クラブは「柔道部」に入ってたし(柔道の方が突き指する確率高い!)、いちおう、中学校時代は合唱部のほかに夏場は(当時は年中使える温水プールなんて無かった)水泳部に所属してました。やっぱり、本心はカラダを動かしたがっていたんだと思う。

 そして、何より、あれほど大嫌いな運動会のあった小学校時代は、遠足が一番の楽しみ・・・でした。

 今思うと、バス代をケチった母親が、入学前の私を連れてひたすら歩き回ったのが現在のウルトラマラソン、ジャーニーランの私の「原点」だったのかもしれない。


 そうして、音楽の道に進むのか?と誰しもが思う中、周囲の級友は学校の音楽教師やピアノ教室の先生になる中、私だけ自衛隊に入りました(笑)

 本当は、警察・消防・・・の順で受けたんだけど・・・


 やっぱり、カラダを動かしたかったんだよね=


 でも、私が本格的に走り出すようになったのは、まだまだ先のこと・・・

 30歳を前にして、その頃は、新入隊員を教育する(映画の鬼軍曹を思い浮かべてください)部署にいたので、先輩・同僚がこぞってフルマラソンを始めたの。でも、みんな翌日、階段を上るのに横の壁を伝って上ってたんで・・・

 「フルマラソンって大変なんだなあ~。私は、誘われても、ゼッタイにやらないゾ」

 って思ってたの。で、フルマラソンではなく、10kmの大会に誘われて・・・

 ゴールした時、んじゃあ、ハーフにでも出てみようかな?


 で、一人で申し込んだ。ハーフって、もちろん10kmの倍の距離で大変だったけど、おもしろかった。もう、この時点で10kmに興味は無くなった。で、しばらく、ハーフを攻略してた。

 初めてフルマラソンを走ったのは、1995年の八重山マラソン(いまの石垣島マラソン)

 「最南端のフルマラソン」といううたい文句に誘われて、一人でエントリーしました。当時、毎日、空手をやっていたので、師匠にはバレないように、翌日の練習に出られるよう、ゆっくり慎重に走ったら、4時間45分で完走~実は、コレ、今の私のタイムより速い!(笑)


 ほな、100kmいけるんでないかい?まさかね。でも、イケルかも・・・なんて一人でもごもご考えていた時に、やはり、教育隊の先輩が、「俺、サロマ湖行こうと思ってる!」って言ったの。んじゃあ、イコカ!

 ってノリで初めての100kmは、1996年6月のサロマ湖でした。なんと、10時間34分で、年代別4位でした。3位まで表彰ってコトで、悔しくて翌年もエントリーしました。で、また、4位・・・悔しいから、その後も何度かエントリーして、ベストタイムは9時間47分です。

 もう、二度とあのようなタイムは出ませんね。全力を出し切ったため、帰りのバスが来ても、座り込んだまま、なかなか立ち上がれませんでした。

 でも、こんなにボロボロになるまで走りたくは無い。以来、ゆっくりまったり走るようになりました。

 萩往還250kmに初めて参加したのは、1999年のこと。前の年の100kmの大会で同室になった人が、募集要項をくれました。

 当時は、100kmしか走っていなくても、参加資格があったので、迷わずエントリー。

 スタート前から雨・・・初めてのナイトラン・・・途中で心が折れて、175kmの宗頭でリタイア。一晩寝て、往還道の35kmを歩いて帰りました。制限時間ギリギリにゴールするランナーを見て、「なんでリタイアしたんだろ~」って悔恨の念・・・

 翌年は、周りのランナーに助けられて無事、ゴールしました。

 
 最近は、250kmという超長距離の世界も、走る人口が増えて、私自身、旅ランに移行するようになりました。地図を見ながら、走り歩きして毎日、一定の距離を進む・・・

 「大人の遠足」です。小学生の私が大好きだった「遠足」デス!(笑)


 「日本縦断走り旅2017」には、全行程を私以外、10名がエントリーしています。ほとんどの人が、定年を迎えて仕事をリタイアした方です。

 そして、多くの人が、学生時代、何もスポーツをしていなかった・・・的な人デス。


 始めるのに、遅すぎるコトは無い。

 あるのは、「やりたいか?やりたくないか?」ただ、それだけ。

#welovegoo
#旅ラン

 


 
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