秋の乾いた風は肌に心地よく、竹の梢や木々の枝を渡る風の音も爽やかに響きます。
そんな秋風の響きを 「爽籟(そうらい)」といいます。
「籟」とは穴の三つある笛のことで、その穴から発する響きをいいそこから風の吹き通る音をさすようになりました。
家の近くの竹やぶを通るたびに爽やかで肌に心地良い風の響きを感じています。
爽籟に感謝して
合掌
秋の乾いた風は肌に心地よく、竹の梢や木々の枝を渡る風の音も爽やかに響きます。
そんな秋風の響きを 「爽籟(そうらい)」といいます。
「籟」とは穴の三つある笛のことで、その穴から発する響きをいいそこから風の吹き通る音をさすようになりました。
家の近くの竹やぶを通るたびに爽やかで肌に心地良い風の響きを感じています。
爽籟に感謝して
合掌
秋の夜は、高倉健が愛した山本周五郎を再び読んでいる。
13歳に東京、木挽町の山本周五郎商店に住み込み奉公した。
この商店の主人を終生の恩人として、ペンネームにしたという。
一斎の文壇の賞の受賞を拒否した作家として有名です。
人情味あふれた言葉の 宝石箱と思っています。
「世の中には賢い人間と、賢くない人間がいる。
けれども賢い人間ばかりでも、世の中は うまくいかないらしい。
生まれつき一流になるような能を備えた者がいるけれども自分一人じゃ何にもできやしない。
能のない幾十人という人間が見えない力を貸しているんだよ。」
「栄さんが職人として立ってゆくには、幾人か幾十人かの者が陰で力を貸しているからよ。
さぶちゃんはよく云ったでしょ。
俺は能なしのぐずだって、けれどもさぶちゃんの仕込んだ糊がなければ栄さんの仕事だって思うようにはいかないでしょう。」
(作品さぶより)
「温床でならどんな芽も育つ。
水の中でも、芽を育てる情熱があってこそ、 真実の、生き甲斐があるのではないか。」
「毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものをひきだす努力をしなければならない、人間は人間なんだ」
(作品赤ひげより)
古い読者からコメントがあった。 僕は赤ひげのような人だと。
生きる力になっているとの言葉に、良かったとしみじみ感じています。
偉そうにと感じる方も いるかも知れませんが 表現力が未熟なためお許し下さい。
今日もあなたらしく 生きて下さい。 感謝 合掌