生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

こだわるな

2016-10-10 03:40:47 | 日々の暮らし
深夜ラジオのカントリーソングに懐かしく目が覚めました。

2時25分私の朝が始まりました。

今日は夜勤ですから夕方出勤です。

またギターの練習してみようかな。

さて、今日はNHKの真田幸村の前にやっていた黒田如水(じょすい)の話をしたいと思います。

秀吉や家康から警戒されていた策士で、関ヶ原の戦いでは、息子長政を家康側につけて、自分は関西側にて九州を制圧していた。

病で倒れた時に、息子に遺言として遺品を渡しました。

「片方の下駄と

片方の草履(ぞうり)」でした。

長政は意味が分からなく父に聞きました。

「この遺品の意味が分かりません。

どうかお教え下さい」

如水は答えた。

「その遺品には、

何の意味はない。

お前はものごとの裏ばかり考える悪い癖がある。

それは、トップとしての決断が乏しくなる。

あれこれ考え詮索する癖を直せ」

と述べたといいます。

この話は当時有名な話題になったそうです。

この言葉に影響を受けたといわれた宮本武蔵は五輪の書に

「考えなくて

いいことに

こだわるな」と

述べたといいます。

武蔵はいろいろな先人達の言葉をよく学んでいたようです。

中国の古典詩が好きで、
「花に嵐のたとえもあるぞ、

さよならだけが

人生だ」。

それから、影響を受けた言葉と思われるのが、

「いづれの道にも

別れを悲しまず」


「恋慕(れんぼ)の道

思い寄る心なし。

ものごとに好き

好む事なし」

女性や友人にも、ほどよい距離を置いて、
求めすぎることをしてはならないと考えていた。
また、
「郷に入っても深入りせず」

「道においては死を

いとはず思う」

「老身に財宝所持もちゆる心なし」

「家も美食も、調度品も、何も要らない」

「仏神は尊いけれども

仏神を頼まない」

「自分のやったことは

決して後悔しない」

織田信長が好んだ言葉

「一度(ひとたび)生を得て、滅(ほっ)せぬ者のあるべきや」

という考えを好んだといいます。

いづれの道にも別れを悲しまず。

そういう人間になりたいと願っていたそうです。


五輪の書の総論に、

人間は誰でも

「自分の道」を

持っている。

武士の道は兵法の道だ。

それは大工に似ている。

「木くばり」をするからだ。

しかし、今の武士は

このへんのところが

分からない。

と述べています。

宮本武蔵の人生論を読んでいると納得する事がたくさんあり私も影響受けています。

小さな事に

こだわらず。

いづれの道にも

別れを悲しまず


楽しく今日を


生きればいい。


今日の気づきになれば



合掌
コメント
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