JR石川町駅から、山下ふ頭入口に向って歩いていくと元町公園プールへ向かう道を歩いていくと「ジェラールの瓦工場跡」の標示板の立っているすぐ前の石段のみちがあります。これが額坂であります。
「横浜の坂著者 小寺 篤 発行 今野繁光」には次のようなことが記述れていましたので、投稿いたします。
さて、額坂の語源でありますが、フランス人ジラウが池を掘り、池の上にへ自分で焼いた煉瓦と瓦で上屋を造り、水質純良の水がこんこんと湧き出て水屋敷として、これを居留地に、また着船場への給水管にも自分の製造した土管を利用して売り込み等を始めた。そこで「額坂」であるが、明治30年代の地図に出ているだけなのだが、多分「ひたいざか」と読むのではなかろうか。両側の谷にはさまれて額のように突き出した崎の高いところを二つに分けて通じている坂、たとえば笹下町に「うとふ坂」というのがあって、「江戸の坂東京の坂」の著者によると「とにかく「うとう」は「鳥頭」であって善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形、すなわち、山や海辺の出崎を言ったのであろう。」というような例もあって、これにならえば「ひたいざか」もおかしくはない。
この坂は、石段の坂ではあるけれども。二・三歩は敷石でつぎに一段上る繰り返しなので、その点とんとん急がしい運動をつづけなくともむすむようになっていて、この工事はなるほどあまり立派なものではないが、年月を経た古さにどこか親しめるものがある。と云うような記述がありましたので、投稿したします。

(額坂の上りきったところに 坂の標識)

((額坂の上り口付近)

(階段坂が二つに分か右がプール方向へ左側が上り口方向へ)

(ここが、語源の「鳥頭」であって善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形「ひたいざか」)

(フランス人ジラウの池)

(元町公園の水屋敷と云われる公園入口)
「横浜の坂著者 小寺 篤 発行 今野繁光」には次のようなことが記述れていましたので、投稿いたします。
さて、額坂の語源でありますが、フランス人ジラウが池を掘り、池の上にへ自分で焼いた煉瓦と瓦で上屋を造り、水質純良の水がこんこんと湧き出て水屋敷として、これを居留地に、また着船場への給水管にも自分の製造した土管を利用して売り込み等を始めた。そこで「額坂」であるが、明治30年代の地図に出ているだけなのだが、多分「ひたいざか」と読むのではなかろうか。両側の谷にはさまれて額のように突き出した崎の高いところを二つに分けて通じている坂、たとえば笹下町に「うとふ坂」というのがあって、「江戸の坂東京の坂」の著者によると「とにかく「うとう」は「鳥頭」であって善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形、すなわち、山や海辺の出崎を言ったのであろう。」というような例もあって、これにならえば「ひたいざか」もおかしくはない。
この坂は、石段の坂ではあるけれども。二・三歩は敷石でつぎに一段上る繰り返しなので、その点とんとん急がしい運動をつづけなくともむすむようになっていて、この工事はなるほどあまり立派なものではないが、年月を経た古さにどこか親しめるものがある。と云うような記述がありましたので、投稿したします。

(額坂の上りきったところに 坂の標識)

((額坂の上り口付近)

(階段坂が二つに分か右がプール方向へ左側が上り口方向へ)

(ここが、語源の「鳥頭」であって善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形「ひたいざか」)

(フランス人ジラウの池)

(元町公園の水屋敷と云われる公園入口)
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